高原町の田の神

 小林市と接する西諸県郡の高原町の田の神像も江戸時代の神官型の田の神が中心である。その中には享保年間の田の神も見られる。その中で特に優れた田の神は高原町井手上の田の神で、80pを越える大型の腰掛け型の田の神石像である。鮮やかに彩色された花堂の田の神は安座型の大型像で像高は1mを超える。

 農民型の田の神も見られる。鍬を持つ像(出口の田の神)やメシゲと枡を持つ像(小塚と並木の田の神)、杵もしくはスリコギを持つ像(梅が枝の田の神)などバラエティーに富んでいる。



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井手上の田の神  西諸県郡高原町広原井手上    享保九年(1724)

 JR吉都線「広原」駅、西400m、広原小学校の裏手にある王子神社の参道にこの田の神はある。

 新田場の田の神と同じく束帯姿(強装束)の神官像で腰掛け姿の像である。手は両手を前で合わせ孔を作っている。祀る時にそこに笏を持たせるためであると思われる。衣紋等の表現は新田場の田の神や谷川の田の神と比べると直線的で写実性に欠けるが、石の硬さが直線的な表現で生かされ、端正な顔と共に気品のある田の神像となっている。北向きの参道の木陰にあるため日が当たらず苔むしている。顔の左面の表面が崩れているが惜しい。


 「享保九甲辰閏四月八日 寄進者、森雲平」の記銘がある。

アクセス
・宮崎道高原ICより北北東へ約6q。(国道221号線より、県道西麓小林(405)線へ、広原小学校前を西へ200m。
・JR吉都線「広原」駅下車。西へ700m。

 

 

鷹巣原の田の神   西諸県郡高原町広原鷹巣中尾   大正12年(1923)  

 JR吉都線「広原」駅の南西に広がる鷹巣原とよばれる開墾地にこの田の神がある。

 野良着を着た農民型の田の神で、椅子に着座する。大きなシキを笠のようにかぶり、右手にメシゲ、左手に袋のようなものを持つ。荒涼とした開墾地に坐す木訥な農夫のようなこの田の神像の背後には霧島連山がそびえ、絶好の写真ポイントになっている。

 台座の銘により、明治32年(1899)2月の鷹巣原の開墾成功を記念して、大正12年(1923)10月10日に地主たちが共同で立てたことがわかる。台座には新田求という石工の名の記銘もみられる。
 

アクセス
・宮崎道高原ICより国道221号線を北へ0.6km。「高原町仲町」 を左折県道405号線を西へ1.5q 。左分しJR吉都線の踏切を越えてすぐ右折。JR吉都線沿いの道を北へ2.6q、宮崎自動車道の上に架かる橋をわたり、すぐに左折、西へ0.9q。
JR吉都線「広原」駅下車。南西1.2m。右折し0.2q。



並木の田の神   西諸県郡高原町西麓並木    

 JR吉都線「高原」駅、南西1.1qの水路脇にこの田の神は祀られている。台座の上に安座する像高100pの田の神で、シキを阿弥陀にかぶり右手にメシゲ、左手に枡を持つ。

 銘はなく制作年は不明であるが、かたわらの水神碑銘には「嘉永三年戌七月廿一日」とある。嘉永3年(1850)に完成した下川原開田を記念し、その工事の奉行であった平島平太左衛門に似せて作らせたという伝承がある。そのため、平島田の神ともいう。味わい深い顔をした田の神である。

アクセス
・宮崎道高原ICより国道221号線を北へ約0.2q。「高原町二本松」を左折し国道223号線を1.9q。右折し100m。 
・JR吉都線「高原」駅下車。
南西1.1q。
 

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小塚の田の神  西諸県郡高原町藺牟田小塚下    

 
 JR吉都線「高原」駅
約2.6q、高原町小塚の集落の西の端にある納骨堂前の小さな児童公園に置かれている。宮崎県の農民型の田の神としては大型で高さは1m近くある。現在、赤と白とで鮮やかに彩色されている。

 シキをかぶり、右手にメシゲを持つ。左手は椀ではなく桝を持ち、安座する。着色された太い眉とどんぐり眼の目とおちょぼ口の容貌が印象的である。服装は野良着ではなく狩衣で神官型と農民型を融合させた田の神像である。

アクセス
・宮崎道高原ICより国道221号線を北へ約200m、左折し国道223号線を西へ約3.5q。左折し小塚の集落へ。
・JR吉都線「高原」駅
、南西約2.6q。
 

 

 

花堂と祓川の田の神    西諸県郡高原町藺牟田高松・藺牟田越平

 藺牟田地区には5体の田の神像がある(「高原町の文化財」)。すべて神官型の田の神である。その内、2体は彩色され、現在も信仰を集めている。

 花堂の田の神は台座に着座する像高107pの大型の神官型の田の神で、狩衣姿で立烏帽子(冠の巾子?)をかぶる。両手は組まずに拳をつくり、そこにそれぞれ差し込み口がある。制作年は不詳であるが、両手は組まずに拳をつくっていることや狩衣の写実的な表現などから江戸時代中期の田の神像と思われる。顔は摩滅していてもとの彫りはわからない。

 祓川(神武天皇がお祓いをする際に使用した場所といわれる。)の田の神も古い様式を残す田の神像で、小林の新田場の田の神や高崎町谷川の田の神と同じように腰掛け型で両手は組まず拳を作っている。しかし、これらの田の神と比べると装束の表現は硬く、写実性に欠ける。毎年、化粧直しがされ田の神講が開かれている。像高78p。

アクセス
宮崎道高原ICより国道221号線を北へ約0.2q。「高原町二本松」を左折し国道223号線を2.5q。左折し国道223号線を0.7q。旧道を斜め右に入り0.2q。高崎川に沿って右折すぐで「花堂の田の神」。
・ 「高原町二本松」から国道223号線を2.5q。左折し国道223号線を4.1q。左折し東へ県道413号線を0.9qで「祓川の田の神」。
・JR吉都線「高原」駅下車。
南西2.3qで「花堂の田の神」。「高原」駅より南西5.6qで「祓川の田の神」。(「高原駅」より「祓川」行きバス乗車「祓川」下車。東へ1q。バスは一日4本)



出口の田の神    西諸県郡高原町西麓村中    

「高原町二本松」から県道29号線を野尻町方面へ0.6qいった所を右折し、0.6q進むと左手に小さな森がある。その森の前にこの田の神がある。

農民型の立像で像高73p、シキをかぶり、腰にワラヅト(山に帰る田の神に持たせるためのご馳走を藁のゴザで包んだもの)をつけ、両手で鍬を持つ。ワラズトを背負い、鍬を持つ像は鹿児島県の大隅地方でよくみかけるが、宮崎県では珍しい。(「鹿児島の田の神さあ」の「田の神さあ4」「田の神さあ5」参照。)

アクセス
宮崎道高原ICより国道221号線を北へ約0.2q。「高原町二本松」を右折し県道29号線を北東へ0.6q。右折し0.6q。
・JR吉都線「高原」駅下車。東へ2.6q。




梅ヶ久保の田の神    西諸県郡高原町西麓梅ヶ久保    高さ95cm

 高原町から野尻町へ向かう、県道29号線が越(後川内越)方面へ行く道と分かれる三叉路を過ぎてすぐ斜め左の細い道を入ると梅ヶ久保の集落である。その小さな集落を通り過ぎ突き当たった所を右折して農道を下ると岩瀬川にそった水田地帯になる。その水田地帯の真ん中に梅ヶ久保がある。

 農民型の田の神で、シキを阿弥陀にかぶり、右手にメシゲ、左手に杵を持ち右足を一歩踏み出した立像である。農民型の田の神の多くは田の神舞を踊る姿を表していると思われるが、ほとんどは棒立ちの姿でこのように動きのある田の神は珍しい。田の中で力強く一歩踏み出すこの田の神の姿は印象的で心に残る。

アクセス
宮崎道高原ICより国道221号線を北へ約0.2q。「高原町二本松」を右折し県道29号線を北東へ2.7q。左折し梅ヶ久保の集落を通り抜け、農道を約1q。
・JR吉都線「高原」駅下車。北東へ5.6q。

 

 


 

ballb03.gif (1352 バイト)キ城市の田の神1 ballb03.gif (1352 バイト)小林市の田の神 ballb03.gif (1352 バイト)えびの市の田の神
ballb03.gif (1352 バイト)キ城市の田の神2 ballb03.gif (1352 バイト)野尻町の田の神     ballb03.gif (1352 バイト)えびの市の田の神2
ballb03.gif (1352 バイト)三股町の田の神 ballb03.gif (1352 バイト)宮崎市の田の神

 

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