小林市の田の神 |
宮崎県の田の神は、鹿児島のようなメシゲを持つ農民型も見られるが、神官が正装して神前に座る姿で表した神官型や、僧衣を着た仏僧型が多いのが特色である。その神官型と仏僧型の最も古い作例が小林市にある。それが「新田場の田の神」(神官型)と「仲間の田の神」(仏僧型)である。ともに享保年間の記銘があり、彫りも優れ、宮崎を代表作する田の神像である。 |
小さな写真をクリックしてください。拡大写真につながります。
新田場の田の神 小林市真方新田場 |
||||
享保五年(1720) 高85p 小林市有形文化財 | ||||
|
仲間の田の神 小林市東方仲間 |
||
享保七年(1722) 高120p | ||
|
||
|
陰陽石と田の神 小林市東方仲間 |
||||
|
||||
|
大丸の田の神 小林市東方大丸 |
|||
|
二原の田の神 小林市東方北二原 大正8年(1722) |
||
|
||
|
松元の上の田の神 小林市堤松元の上 弘化3年(1846) |
||||
|
柏木ノ上の田の神 小林市堤柏木ノ上 |
||||
|
細野の田の神 小林市細野 脇元・島田前・内田・山中 |
JA小林の南出張所の北50mの田の中に瓦葺きの立派な祠があり、その中に脇元の田の神は祀られている。像高85pの神官型座像の田の神で、両手は輪組をする。装束は赤と白、顔は白、頭と笏は黒に化粧されている。笏は胴体部に彫りつけている。「享保乙己」の刻銘があり、享保十年(1725)の作。 島田前のガソリンスタンドの南隣のブロックで作られた祠に祀られている田の神も江戸時代の神官型座像の田の神である。両手を膝の上ではなく、胸元で輪組みする。装束は赤と黒、面長の顔と手は白で彩色されている。 内田の田の神は市の浄水場の前、県道に面しておかれている。神官型座像の田の神で両手は膝の上で輪組をしていると思われるが、コンクリートで補修しているため確認できない。頭部は体に比べると大きいが、これもコンクリートでの補修である。顔だけが白く塗られている。 家畜改良センター宮崎牧場の東の細野山中の広域農道沿いに山中の田の神はある。農民型の田の神でシキをかぶり、右手にメシゲ、左手に椀を持ち、中腰ですねから下を丸出しにして立つ。えびの市などでよく見かける姿の田の神である。
|
|
南西方地区の田の神 小林市南西方 |
南西方の各地区に祀られている田の神像は神官型・農民型・僧侶型などバラエティーに富んでいる。中には、中孝の子の田の神のように僧侶型の胴体に神官型の頭をのせたものもある。中でも、特にユニークなのは東大出水の田の神である。神官腰掛け型の田の神に仁王像の頭を後に継いだもので、帽子のような笠?(冠)をかぶる。田の神像では珍しい厳めしい顔の像である。享保10(1725)年の建立である。 人参場の田の神はベレー帽のような頭巾(シキ?)をかぶった素朴な表現の農民風の田の神座像で、手は欠損している。昭和3・4年頃の建立という。県道53号線(山麓線)から南へはずれた霧島山系が見える水田の中の畦道にある。着衣に朱塗りの跡が残るが現在は化粧はしていない。 西大出水の田の神は大出水の集落の北のはずれにコンクリートの祠の中に祀られている。旅僧姿をした田の神座像で、笠のような物をかぶっている。両手は軽く膝の上へのせ、何も持たない。鼻は後世の補作であるが素朴で穏やかな顔が印象に残る。胴体は朱塗りで、顔には白粉を塗ったあとがある。 上芹川の田の神は芹川の南東のはずれの三叉路のコンクリートブロックの祠の中に祀られている。頭巾のようなシキをかぶり、右手でメシゲをかざし、左手は膝の上に置く。目鼻立ちは風化してわからない。胸の部分に南無阿弥陀仏と彫ってある。
|
|