都城の田の神2 |
小平成18年1月1日、都城市は、山之口町、高城町、山田町、高崎町の4町を合併し、新しい都城市となった。合併した4町にも多数の田の神像が見られる。特に高崎町には江戸時代の神官型の田の神が多い。その中で特に優れた田の神は谷川の田の神である。80pを越える大型の腰掛け型の田の神像で、小林市の新田場の田の神とともに宮崎の神官型の代表といえるものである。 高城町も神官型の田の神が多い。その中でも、保存状態がよく、見事な彩色がほどこされた田の神が、桜木町横手の田の神である。また、高城町には、都城の乙房神社の田の神と同じ様式の農民型の田の神や大黒天型の田の神も見られる。 |
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谷川の田の神 都城市高崎町前田谷川 享保9年(1724) 高さ85cm |
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田平の田の神 都城市高崎町大牟田田平 高さ75cm |
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縄瀬の田の神 都城市高崎町縄瀬 三和・共和・横谷 享保11年(1726) |
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・ JR日豊線「西都城」駅下車。「西都城駅前バスセンター」より、「小林バスセンター」行きバス乗車「横谷入口」下車。「横谷入口」からは徒歩(上記参照)。 |
桜木の田の神 都城市高城町桜木 文政12(1829)年 |
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・宮崎道都城ICより、国道10号線を北へ約1q。「桜木」を右折し400m。斜め右に入りすぐ右折。南へ200mで将軍神社。入口に桜木の田の神。将軍神社より、南へ約800m進み、右折し花木川を渡り、すぐ左折。200mで横手の田の神。 ・JR日豊線「都城」駅下車。「都城駅」より、「雀ヶ野」またぱ「有水・田尾上」行きバス乗車「桜木」下車。 |
穂満坊の田の神 都城市高城町穂満坊前田 |
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石山の田の神 都城市高城町石山 片前・中方・萩原・迫 |
高城町穂満坊の北が高城町石山で石山地区には6体の田の神像がある。その内一体が農民型で他は神官型である。 石山片前の水路脇に水田の方に向かって座している石山片前の田の神は像高1mの腰掛型の神官像である。堂々とした姿から江戸時代の中期の作と考えられる。顔は摩滅し目と口の穴が残るだけである。また、輪組みした手の部分や袂も破損している。青山幹雄著「宮崎の田の神像」によると、石山地区と豊満地区(旧都城市)との間で田の神盗みあいがが盛んでその時傷ついたものであるとのこと。現在、台座にセメントで固定されている。 石山中方の菅原神社にある神官型田の神も立派なもので像高1mを越える。現在木製の祠に祀られている。束帯姿で手は輪組である。腰掛け型ではなく台座の上に安座する。束帯は赤く彩色した跡が残る。この像も石山片前の田の神と同じように顔は大きく破損摩滅している。この2つの像の顔の破損は自然に摩滅したというよりは意図的に削り取られたような印象をうける。 石山萩原の北の外れに小さな農民型の田の神像がある。この像も穂満坊の像と同じキ城型で右手にメシゲ、左手に碗を持つを持つ。碗は真上から見た姿を真正面に彫りつけ、見た目にはボールを持った形になっている。シキと衣裳は赤く着色され、メシゲと椀と顔は白く塗られている。小さな眼とおちょぼ口がかわいい。コンクリートの台石に腰まで埋めこまれているが、台座が白く塗られているため、穂満坊の田の神に比べれば違和感はあまりない。 石山迫の田の神は石山迫の集落の北の上園権現という小さな神社の入口に祀られている。神官型座像の田の神で御所人形を思わせる丸顔である。両手を輪組にする。摩滅も少なく目鼻立ちはっきりしている。掛緒に着色の跡が残る。
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有水西久保の田の神 都城市高城町有水西久保 |
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正近の田の神 都城市山之口町富吉正近 |
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田中の田の神 都城市山田町山田田中 |
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浜之段・池ノ原の田の神 都城市山田町山田浜之段・池ノ原 |
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古江の田の神 都城市山田町中霧島古江 |
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