高原町の田の神
 小林市と接する西諸県郡の高原町の田の神像も江戸時代の神官型の田の神が中心である。その中には享保年間の田の神も見られる。その中で特に優れた田の神は高原町井手上の田の神で、80pを越える大型の腰掛け型の田の神石像である。鮮やかに彩色された花堂の田の神は安座型の大型像で像高は1mを超える。  農民型の田の神も見られる。鍬を持つ像(出口の田の神)やメシゲと枡を持つ像(小塚と並木の田の神)、杵もしくはスリコギを持つ像(梅が枝の田の神)などバラエティーに富んでいる。
宮崎の田の神 Index
都城の田の神1 都城の田の神2 三股町の田の神 高原町の田の神
小林市の田の神1 小林市の田の神2 小林市の田の神3 えびのの田の神1
えびのの田の神2 宮崎市の田の神1 宮崎市の田の神2  


       
宮崎の田の神 (31) 井手上の田の神
宮崎県西諸県郡高原町広原井手上  「享保9年(1724)」
 JR吉都線「広原」駅、東北東へ約0.9q、広原小学校の裏手にある王子神社の参道に井手上の田の神はある。新田場の田の神と同じく束帯姿(強装束)の神官像で腰掛け姿の像で、手は両手を前で合わせ孔を作っている。祀る時にそこに笏を持たせるためであると思われる。衣紋等の表現は新田場の田の神や谷川の田の神と比べると直線的で写実性に欠けるが、石の硬さが直線的な表現で生かされ、端正な顔と共に気品のある田の神像となっている。

 北向きの参道の木陰にあるため日が当たらず苔むしている。顔の左面の表面が崩れているのが惜しい。「享保九甲辰閏四月八日 寄進者、森雲平」の記銘がある。
 
アクセス
・JR吉都線「広原」駅下車。東北東へ徒歩約0.9q。
自動車・宮崎道「高原」ICより北北西へ約5.7q。



       
宮崎の田の神 (32) 鷹巣原の田の神
宮崎県西諸県郡高原町広原鷹巣中尾 「大正12年(1923)」
 JR吉都線「広原」駅の南西に広がる鷹巣原とよばれる開墾地にこの田の神がある。野良着を着た農民型の田の神で、椅子に着座する。大きなシキを笠のようにかぶり、右手にメシゲ、左手に袋のようなものを持つ。荒涼とした開墾地に坐す木訥な農夫のようなこの田の神像の背後には霧島連山がそびえ、絶好の写真ポイントになっている。

 台座の銘により、明治32年(1899)2月の鷹巣原の開墾成功を記念して、大正12年(1923)10月10日に地主たちが共同で立てたことがわかる。台座には新田求という石工の名の記銘もみられる。
 
アクセス
・JR吉都線「広原」駅下車。南西1.2q。
自動車・宮崎道「高原」ICより北西へ約6.3q。



       
宮崎の田の神 (33) 並木の田の神
宮崎県西諸県郡高原町西麓並木 「嘉永3年(1850)」
 JR吉都線「高原」駅、南西へ750mの水路脇にこの田の神は祀られている。台座の上に安座する像高100pの田の神で、シキを阿弥陀にかぶり右手にメシゲ、左手に枡を持つ。銘はなく制作年は不明であるが、かたわらの水神碑銘には「嘉永三年戌七月廿一日」とある。

 嘉永3年(1850)に完成した下川原開田を記念し、その工事の奉行であった平島平太左衛門に似せて作らせたという伝承がある。そのため、平島田の神ともいう。味わい深い顔をした田の神である。農民型というより僧型といえる田の神像である。
 
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車。南西へ750m。
自動車・宮崎道「高原」ICより西南西へ2.4q。



       
宮崎の田の神 (34) 小塚の田の神
宮崎県西諸県郡高原町藺牟田小塚下
 JR吉都線「高原」駅、約2.6q、高原町小塚の集落の西の端にある納骨堂前の小さな児童公園に置かれている。宮崎県の農民型の田の神としては大型で高さは1m近くある。現在、赤と白とで鮮やかに彩色されている。

 シキをかぶり、右手にメシゲを持つ。左手は椀ではなく桝を持ち、安座する。着色された太い眉とどんぐり眼の目とおちょぼ口の容貌が印象的である。服装は野良着ではなく狩衣で神官型と農民型を融合させた田の神像である。
 
      
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車徒歩(南南西へ2.4q)・タクシーまたはバス(「高原駅」より「祓川」行き<1日3本>乗車。「花堂橋」下車、東南東へ450m。)
自動車・宮崎道「高原」ICより西南西へ4.1q。



       
宮崎の田の神 (35) 花堂の田の神
宮崎県西諸県郡高原町藺牟田高松
 藺牟田地区には5体の田の神像がある(「高原町の文化財」)。すべて神官型の田の神である。その内、2体は彩色され、現在も信仰を集めている。

 花堂の田の神は台座に着座する像高107pの大型の神官型の田の神で、狩衣姿で立烏帽子(冠の巾子?)をかぶる。両手は組まずに拳をつくり、そこにそれぞれ差し込み口がある。制作年は不詳であるが、両手は組まずに拳をつくっていることや狩衣の写実的な表現などから江戸時代中期の田の神像と思われる。顔は摩滅していてもとの彫りはわからない。
 
      
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車徒歩(南南西へ2q)またはバス(「高原駅」より「祓川」行き乗車<1日3本>。「花堂」下車、南西へ230m。)
自動車・宮崎道「高原」ICより南西へ3.9q。



       
宮崎の田の神 (36) 祓川の田の神
宮崎県西諸県郡高原町藺牟田越平
 祓川(祓川は神武天皇がお祓いをする際に使用した場所といわれる。)の田の神も古い様式を残す田の神像で、小林の新田場の田の神や高崎町谷川の田の神と同じように腰掛け型で両手は組まず拳を作っている。しかし、これらの田の神と比べると装束の表現は硬く、写実性に欠ける。毎年、化粧直しがされ田の神講が開かれている。像高78p。
 
      
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車、「高原駅」より「祓川」行きバス乗車<1日3本>。「祓川」下車、西へ1q。
・「高原」駅からタクシーで5.3q。
自動車・宮崎道「高原」ICより南西へ6.7q。



       
宮崎の田の神 (37) 出口の田の神
宮崎県西諸県郡高原町西麓村中
 「高原町二本松」から県道29号線を野尻町方面へ0.6qいった所を右折し、0.6q進むと左手に小さな森がある。その森の前にこの田の神がある。 農民型の立像で像高73p、シキをかぶり、腰にワラヅト(山に帰る田の神に持たせるためのご馳走を藁のゴザで包んだもの)をつけ、両手で鍬を持つ。ワラズトを背負い、鍬を持つ像は鹿児島県の大隅地方でよくみかけるが、宮崎県では珍しい。
 
      
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車、徒歩orタクシーで東北東へ約3q。
・JR「都城」駅下車、「都城駅前」より「小林駅」行きバス乗車、「高原」下車。またはJR吉都線「小林」駅下車、「イオン都城」「西都城駅」「祓川」行きバス乗車、「高原」下車。「高原」バス停から東へ1.4q。
自動車・宮崎道「高原」ICより北東へ1.4q。



       
宮崎の田の神 (38) 梅ヶ久保の田の神
宮崎県西諸県郡高原町西麓梅ヶ久保
 高原町から野尻町へ向かう、県道29号線が越(後川内越)方面へ行く道と分かれる三叉路を過ぎてすぐ斜め左の細い道を入ると梅ヶ久保の集落である。その小さな集落を通り過ぎ突き当たった所を右折して農道を下ると岩瀬川にそった水田地帯になる。その水田地帯の真ん中に梅ヶ久保の田の神がある。
 農民型の田の神で、シキを阿弥陀にかぶり、右手にメシゲ、左手に杵を持ち右足を一歩踏み出した立像である。農民型の田の神の多くは田の神舞を踊る姿を表していると思われるが、ほとんどは棒立ちの姿でこのように動きのある田の神は珍しい。田の中で力強く一歩踏み出すこの田の神の姿は印象的で心に残る。
 
      
アクセス
・JR吉都線「高原」駅下車、タクシーで約5.8q。
自動車・宮崎道「高原」ICより北東へ約4q。



三股町の田の神  小林市の田の神