宮崎市の田の神2
(農民型田の神)
 高岡町や宮崎市生目地区・綾町にはシキを阿弥陀にかぶり、坊主頭でメシゲとスリコギを持ち、着物に袴姿で中腰で立つ田の神が多数ある。青山幹雄氏はこの像を高岡型と名付けられている。これらの田の神はすべて明治以降の作である。これらは高岡町の石工によって彫られたもので、昭和期の作のものも多数ある。 青山幹雄氏の『宮崎の田の神像』によると、これらの田の神は明治2年頃から柳原作兵衛等を中心とした、高岡町川原の石工たちによって作られてきた高岡町ものであるという。

 『宮崎の田の神像』には柳原作兵衛が描いたと思われる田の神の下絵が紹介されていて、青山幹雄氏は、その内の一つの下絵が像立年のわかる高岡型田の神では最も古い明治12年像立の下倉の田の神のものと推測されている。高岡町では昭和になって作られた高岡型の田の神の寺迫の田の神や高野田の神・小山田の田の神を紹介する。

 生目地区は元々、薩摩藩でなく、江戸時代、田の神像はあまり多くはつくられなかった。そのため、生目地区の田の神の多くは明治以降に制作されたものである。昭和になってつくられたものも多い。それも、ほとんどが高岡型と名付けられた田の神像である。生目地区では八坂神社の田の神・栗下公民館の田の神・浮田の田の神などの高岡型の田の神を紹介する。
宮崎の田の神 Index
都城の田の神1 都城の田の神2 三股町の田の神 高原町の田の神
小林市の田の神1 小林市の田の神2 小林市の田の神3 えびのの田の神1
えびのの田の神2 宮崎市の田の神1 宮崎市の田の神2  



       
宮崎の田の神 (106) 下倉の田の神
宮崎県宮崎市高岡町下倉永  「明治12年(1879)」
 下倉の田の神は下倉の村の外れに祀られていて、像立年のわかる高岡型田の神では最も古い。また、、最も大きい像でもある。「明治十二年卯(1879)」の紀年銘がある。像高は150pで大きなシキを光背のように背負い、右手にメシゲ、左手にスリコギを持ち、着物に袴姿で中腰で微笑んでいる。高岡型の田の神の代表する像である。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」or「尾頭」行きバス乗車「下倉永」下車、南へ約230m。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより西へ約3q。



       
宮崎の田の神 (107) 小山田の田の神
宮崎市高岡町小山田  「昭和16年(1941)」
 県道28号(高岡・日南)線の高岡町小山田の「宮崎門前」交差点から西へ0.4q行った道端にブロックで冂の字型に囲んだ中に小山田の田の神が祀られている。大きなシキを光背のように背負い、着物に袴姿で中腰で微笑んでいる高岡型田の神である。両手首の部分が摩滅して持物はわかりにくいが、左膝の部分にメシゲの跡が残っていて、右手にスリコギ、左手にメシゲを持っていたと考えられる。

 下倉の田の神とは持物が左右逆である。中腰でかがめた膝の後ろに石材を残していて、横から見ると腰掛けているかのように見える。昭和期の高岡型田の神にはこのような表現が多い。額に皺をよせたドングリ眼の顔はいかに人のよい農夫といった風情である。基壇に「昭和十六年七月七日」の紀年銘と設立者の名前などが刻まれている。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」or「尾頭」行きバス乗車「小山田」または「門前」下車、「小山田」から東へ約210m。「門前」からへ西南西500m。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより西へ約5q。



       
宮崎の田の神 (108)  寺迫の田の神
宮崎市高岡町上倉永寺迫  「昭和35年(1960)」 
 上倉永の寺迫の集落の西の水田地帯の真ん中に2本の木があり、その下に石塔や石碑が安置されている。訪れた時は手前に2本の竹竿を立てて注連縄をかけて木の周りを神域のようにしていた。田の神は向かって右の木の下に祀られている。この像も大きなシキを光背のように背負い、着物に袴姿で中腰で微笑んでいる高岡型田の神である。小山田の田の神と同じように右手にスリコギ、左手にメシゲを持っている。目尻の下がった穏やかな表情でどこか知的な雰囲気も漂う顔の田の神である。像高は106cm。基壇に奉納者名と共に「昭和三十五年二月」の刻銘がある。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」or「尾頭」行きバス乗車、「祇園台入口」下車。「祇園台入口」バス停より南南西へ約1.6q。
・ または「宮崎駅」バス停より「尾頭 (普通) 細江・高岡方面」行きバス乗車(1日2便)、「上倉」下車。「上倉」バス停より南南西へ約1.1q。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより南西へ約5.7q。



       
宮崎の田の神 (109) 高野東の田の神
宮崎市高岡町上倉永高野  「昭和35年(1960)」
 上倉永高野の集落の東、「高野西の田の神」のある水田地帯を挟んだ丘陵沿いに数軒の家が集まった集落がある。その集落の南の端に高野東の田の神が祀られている。像高65pでシキを光背のように背負い、着物に袴姿で中腰で立つ高岡型田の神である。下倉の田の神と同じように右手にメシゲ、左手にスリコギを持っている。

 寺迫の田の神と同じ昭和35年(1960)の作であが、同じ高岡型田の神であるが趣は少し違う。着物の襞など丁寧に彫り、顔も額や目もと、口周りの皺なども丁寧に表現していて、顔には微笑みはなく、田の神というより羅漢のように見える像である。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」or「尾頭」行きバス乗車、「祇園台入口」下車。「祇園台入口」バス停より南南西へ約2.2q。
・ または「宮崎駅」バス停より「尾頭 (普通) 細江・高岡方面」行きバス乗車(1日2便)、「上倉」下車。「上倉」バス停より南へ約1.5q。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより南西へ約6.1q。



       
宮崎の田の神 (110) 柏原(かしわばる)の田の神
宮崎県宮崎市柏原 「昭和16年(1927)」
 大字跡江・大字有田・大字生目・大字浮田・大字柏原・大字小松・大字富吉など宮崎市生目地区は元々、薩摩藩でなく、江戸時代、田の神像はあまり多くはつくられなかった。そのため、生目地区の田の神の多くは明治以降に制作されたものである。昭和になってつくられたものも多い。それも、ほとんどがシキを阿弥陀にかぶり、坊主頭でメシゲとスリコギを持ち、着物に袴姿の田の神、青山幹雄氏が高岡型と名付けられた田の神像である。
 柏原の田の神は谷口漬物店近くの田の中にある。昭和十六年九月二十七日につくられたもので、高岡型田の神で左手にメシゲを持つ、右手は一部が欠けているが、スリコギを持つていると考えられる。ビリケンのような金柑頭で、中腰というより腰掛けているように見える。像高は約80p。基壇に個人の功績を称える表彰記念文が刻まれている。柏原には他に3体ほどの田の神がある。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」「尾頭」「赤谷」行きバス乗車、「柏原」下車、南東へ400m。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより東南東へ約2.1q。



          
宮崎の田の神 (111) 跡江にある田の神
宮崎県宮崎市跡江  
八坂神社の田の神 「昭和14年(1925)」
 
跡江の田の神 「年代不明」
 八坂神社にある田の神も柏原の田の神と同じく、基壇に個人の功績を称える表彰記念文が刻まれている。昭和十四年三月十二日の像立されたもので、像高は105cmで、中腰で左手にメシゲ、右手にスリコギを持つた高岡型の田の神である。小太りで首がなく丸顔で額や目尻、口の周りに皺が刻まれている。皺が髭のように見え、太ったカワウソのような印象を受けるユニークな田の神像である。イチイガシが田の神の背後にあり、撮影したときはイチイガシの木と美しい青空と田の神がマッチして印象深い写真になった。

 また、八坂神社の北100mの三叉路の空き地にも像高1mの高岡型の田の神がある。痛みがひどく胸元が大きく破損してる。セメントで補修して頭部とつなげている。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「富吉車庫」行きバス乗車(1日4便)、「松無田」下車。南西へ0.6qで八坂神社。
・ または「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」「尾頭」「赤谷」行きバス乗車(1日15便)、「生目」下車、北北東へ1.1qで八坂神社。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより東へ約4q。



          
宮崎の田の神 (112) 浮田にある田の神
宮崎県宮崎市浮田  
栗下の田の神 「明治25年(1892)」
 
浮田の田の神 「年代不明」
 浮田の栗下は東自動車道が通っている付近の大谷川の南側の集落である。その栗下集落の西に小山があり、その頂上付近に栗下自治公民館がある。そこに石祠や石塔と一緒に栗下の田の神が祀られている。左手にスリコギ、右手にメシゲを持つ像高80pの高岡型の田の神像である。浅い中腰で正面から見ると直立しているように見える。穏やかであるが威厳のある顔で、村の和尚さんといった雰囲気である。「明治二十五年辰二月十九日」の紀年銘が基壇に刻まれている。

 浮田の田の神は「上浮田」バス停の南にある用水路わきの樹の下に祀られている。田の神の前には水田が広がっているが後ろは駐車場や武道場や民家になっている。像高90pの高岡型田の神像で、シキを阿弥陀に被り中腰で左手にメシゲ、右手にスリコギを持つ。紀年銘を探したが確認できなかった。鼻の頭に傷がありスリコギの一部がかけているぐらいでほとんど摩滅や痛みがなく、比較的新しい田の神と思われる。額に皺をよせて目尻を下げて微笑む姿は印象に残る。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「小山田・尾頭」「尾頭」「赤谷」行きバス乗車(1日15便)、「生目」下車、南西へ1.6qで栗下の田の神。浮田の田の神は「生目」の田の神の次のバス停「上浮田」下車、直線距離で南へ75m。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより南東へ約2.6qで浮田の田の神。南へ4.5qで栗下の田の神。



       
宮崎の田の神 (113) 白髭神社の田の神
宮崎県宮崎市有田2311 「明治14年(1881)?」
 白髭神社の田の神は有田の白髭神社の参道階段の左側の神社の森の端にある。深い中腰で、大きなメシゲを左手に持ち、右手にスリコギを持った田の神で、横から見ると今にも立ち上がって農民が田の神舞を踊る姿が想像できる。顔は柏原の田の神と同じくビリケンのような金柑頭である。明治十四年(1881)建立の文字があるとのことだが確認できなかった。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「富吉車庫」行きバス乗車(1日4便)、「生目の杜運動公園北」下車。北西へ1.2q。
・ またはJR日豊線「南宮崎」駅下車、「宮交シティー」or「南宮崎駅前通」バス停より「記念病院」行き乗車(1日4便)、「宮の下」下車。東北東へ200m。(「宮崎」駅からは西へ徒歩950m「ナナイロ前」バス停より「記念病院」行き乗車)
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより北北東へ約2.3q。



       
宮崎の田の神 (114) 生目の田の神
宮崎県宮崎市生目阿智野 「明治30年(1897)」
 生目神社の西、外環状線(県道9号線)「生目橋南」交差点の西の0.2qの三叉路の山裾に水神碑や月待塔などの石塔や石祠と一緒に生目の田の神は祀られている。像高90pほどのシキを阿弥陀に被って中腰で立つ高岡型の田の神である。メシゲとスリコギを持つと思われるが両手とも手首から先か破損してどちらに持っていたかわからない。基壇に「明治三十年八月二十八日 奉勧請太田乃命 生目村大字生目 小村 中組 下組 味野組」の刻銘がある。
               
アクセス
・ 「宮崎駅」バス停より「大塚台・生目神社」行きバス乗車、「生目神社」下車。南西へ0.8q。
自動車・ 東九州道「宮崎西」ICより南南東へ約4.4q。



宮崎市の田の神1