奈良市の石仏2


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般若寺十三重塔

 奈良町にある十輪院は、石龕内に安置された鎌倉時代の地蔵石仏を本尊とする寺院で、本尊以外にも多くの古い石仏や石造物があり、奈良の石仏鑑賞では見逃せない寺院である。

 東大寺周辺や若草山周辺にも仏頭石や三国台三体仏、空海寺地蔵十王石仏、五劫院見返り地蔵などバラエティーに富んだ石仏がある。

 般若寺はコスモスをはじめとしてヤマブキ・アジサイなど花の寺として知られている。この寺には鎌倉時代、宋より渡来し活躍した石工の伊派の祖、伊行末の作の十三重石塔がある。江戸時代の西国三十三所観音石仏もあり、夏から秋にかけて美しく咲いたコスモスに映えた石塔や石仏の姿は美しい。


 十輪院・北京終町の石仏 奈良市十輪院町27・奈良市北京終町1 
・アクセス 十輪院 JR奈良駅または近鉄奈良駅より市内循環バス乗車「田中町」下車、北へ徒歩3分。または、近鉄奈良駅前より 天理方面行乗車「福智院」下車西へ徒歩3分。  

北京終町阿弥陀三尊石仏 JR奈良駅または近鉄奈良駅より市内循環バス乗車「錦町」下車、南へ徒歩3分。
 奈良町にある十輪院は元正天皇の勅願寺で、元興寺の別院といわれ、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基と伝えられる古寺である。創建当時の建物はなく本堂(国宝)や石龕内に安置された本尊の地蔵石仏など鎌倉時代の文化財が多く残り、中世以降は地蔵信仰の場として知られた寺院である。

 本尊の地蔵石仏は錫杖を持たをず右手を下に垂らし与願印を示し、胸の前で左手で宝珠を持つ、像高1.5mの古式地蔵である。おおらかで優雅な顔の表情で、豊かな厚肉彫りの重厚な作風は、地蔵石仏の再興傑作である。

 地蔵石仏は様々な切石で構築された石室風の石龕の奥正面に納められていて、一括して石仏龕として国の重要文化財に指定されている。石室風の石龕の左右両壁に十王像を線彫りし、前面の左右の扉石に釈迦と弥勒の立像を半肉彫りする。その他、不動・観音の立像や仁王・四天王などが刻まれている。彩色の跡が残り、やさしく、軟らかな表現の釈迦・弥勒像など、美しい石仏龕である。

 南門を入った右に庭園があり。その中に鎌倉時代の不動・観音をはじめとして十三重石塔・愛染曼荼羅石・興福寺曼荼羅石が配置されている。本堂の右奥にある御影堂の向かって右には魚養塚とよばれる小さな塚があり、塚の奥壁に如来像が刻まれている。

 十輪院の北西700mの北京終(きょうばて)町に京終地蔵院という小さな寺院がありその入り口の覆堂に鎌倉時代の阿弥陀三尊石仏が祀られている。


若草山・東大寺周辺の石仏  奈良市春日野町・川上町
 奈良市雑司町・北御門町・雑司町 
・アクセス 仏頭石 JR奈良駅または近鉄奈良駅より「春日大社本殿」行きバス乗車「奈良春日野国際フォーラム甍前」下車、東へ徒歩10分。または、近鉄奈良駅前より 市内循環バス乗車「東大寺大仏殿・国立博物館」下車、東へ徒歩15分。

十国台三体仏 公共交通機関はなく、タクシーまたは自動車で奈良奥山ドライブウェイを若草山山頂方面へ、ドライブウェー料金所から2.6q付近の道路脇に三体地蔵と書かれた案内板があり、そこから山道を徒歩100m。

 五劫院・空海寺JR奈良駅または近鉄奈良駅より「青山住宅」行きバス乗車「今在家」下車、東へ徒歩4分で五劫院、そこから南へ徒歩2分で空海寺。

 まんなおし地蔵JR奈良駅または近鉄奈良駅より市内循環バスまたは「「春日大社本殿」」行きバス乗車「東大寺大仏殿・国立博物館」下車。北東へ徒歩15分。二月堂の北茶所の北東の谷沿い。
 若草山の山麓の南に水谷川(みやがわ)が流れている、その川沿いに春日山原始林へと続く林道(春日山遊歩道)になっている。入口ゲートの少し手前の山麓の小高いところに、六角石柱に阿弥陀如来の仏頭を彫った仏頭石と洞の地蔵と呼ばれる倒れたままの鎌倉時代の地蔵石仏がある。

 若草山山頂近くの十国台には船型光背に阿弥陀・弥勒・十一面観音を半肉彫りした鎌倉時代の十国台三体仏がある。また東大寺二月堂裏の谷沿いの自然石に地蔵立像が線刻されていて「まんなおし地蔵」と呼ばれている。これらの像は鎌倉後期の作である。

 東大寺大仏殿の北側には正倉院があり、その北側には知足院・空海寺・五劫院などの寺院があり、多くの石仏が祀られている。空海寺の本堂前には地蔵十王石仏、五劫院の墓地の入口の小さな覆堂、見返り地蔵と呼ばれる地蔵が安置されている。  


 般若寺の石仏           奈良市般若寺町221 
・アクセス JR奈良駅または近鉄奈良駅より「青山住宅」行きバス乗車「般若寺」下車、徒歩3分

・阪奈道路・第2阪奈道路・京奈和自動車道等を経て、奈良市内へ。県庁東交差点交差点を国道369号線・県道754号線を北へ1.8q。「般若寺」バス停付近を左折し交差点を左折し160m、右折しすぐ。
創建は飛鳥時代と伝わる古刹、天平のころ平城京の鬼門を鎮護する寺として栄えたが、平安時代に平重衡の焼き討ちにあい衰退。鎌倉時代、病者や貧者の救済に力を尽くた叡尊と弟子の忍性によって再興。

 宋から招かれた石工・伊行末の傑作として有名な鎌倉時代の十三重石塔が境内の中心に立つ。国宝に指定されている楼門は鎌倉時代の建立。十三重石塔や西国三十三所観音石仏と初夏のヤマブキ、梅雨時のアジサイ、秋のコスモスと折々の花々が境内を彩る。 


奈良市の石仏1 奈良市の石仏3