天部諸尊像石仏Z
 
十二神将・十六善神・蔵王権現
  
  
 
 十二神将は薬師如来に随持する十二の薬叉神で、薬師如来の12の本願を象徴するものとされる。伐折羅大将(ばさら)・迷企羅大将(めきら)・宮毘羅大将(くびら)などの十二の大将をいう。元来は十二支と関係がなかったが、後世に昼夜十二時の護法神して十二支の動物を冠にいだくものが造られた。

 石仏としては作例は少なく、鎌倉時代のものとしては奈良県三郷町の一針薬師笠石仏の線彫り像や宮崎県の東麓石窟仏十二神将などが知られる。大分県の楢本磨崖仏にも十二神将が彫られている。浅い半肉彫りで、苔むしているが鋭いのみ跡が残る。

 十六善神は大般若経とこの経を読誦する守護する十六の薬叉善神である。形像は、主に二臂の憤怒相の武神形につくられ、武器や宝塔などの持物を執る。大般若会の本尊として、釈迦三尊と共に一幅の画像に描かれることが多い。般若経の授持伝来に関係深い玄奘三蔵・深沙大将などの像も描かれる場合も多い。

 提頭ら宅善神(だいずらたぜんじん・持国天)・毘盧勒叉善神(びるろくしゃぜんじん・増長天)・摧福毒害善神(さいふくどくがいぜんじん)・増益善神(ぞうやくぜんじん)・歓喜善神(かんきぜんじん)・除一切障難善神(じょいっさいしょうなんぜんじん)・抜除罪垢善神(ばつじょざいくぜんじん)像・能忍善神(のうにんぜんじん)・吠室羅摩拏善神(べしらまなぜんじん・多聞天)・毘盧博叉善神(びるばくしゃぜんじん・広目天)・離一切怖畏善神(りいっさいふいぜんじん)・救護一切(くごいっさいぜんじん)・摂伏諸魔善神(しょうぶくしょまぜんじん)・能救諸有善神(のうぐしょうぜんじん)・師子畏猛善神(ししいもうぜんじん)・勇猛心地善神(ゆみょうしんじぜんじん)の十六神である。石仏としては近代の石仏を除くと白滝山竜泉寺磨崖仏の十六善神が知られるのみである。

 蔵王権現は吉野の金峯山寺蔵王堂の本尊で、修験道の開祖である役行者が、金峯山上で感得したと伝える尊像である。その像容は、一面三眼二臂の忿怒形で、頭には三股冠を戴き、右手は振り上げて三鈷杵か独鈷杵をとり、左手は剣印で腰に当てる。右足を高く蹴りあげ、左足で盤石上に立つ舞勢である。

 現在知られている最も古い蔵王権現石仏は奈良県生駒郡三郷町の山上蔵王権現石仏で、南北朝時代の造像と思われる。奈良県吉野郡大淀町の泉徳寺にも室町時代の蔵王権現石仏があるが、他はすべて江戸時代以降のものである。

 ここでは江戸時代から近代の蔵王権現として竹成五百羅漢・修那羅・霊諍山・広島県尾道市の竜王山などの蔵王権現石仏を紹介する。
天部諸尊像石仏 Index
T 梵天・帝釈天・十二天 U 金剛力士 V 四天王
W 毘沙門天(多聞天) X 深沙大将・弁才天・摩利支天 Y 大黒天・鮭立磨崖仏・竹成五百羅漢
Z 十二神将・十六善神・蔵王権現 [ 閻魔・十王 \ 青面金剛



天部諸尊像石仏Z (1)   東麓石窟仏十二神将
宮崎県小林市野尻町東麓  「鎌倉時代」
薬師如来・月光菩薩・十二神将
月光菩薩・十二神将
十二神将・日光菩薩
 高岡町と小林市を結ぶ国道268号の野尻大橋の西1.3qにある、珍しい石窟(石龕)式の磨崖仏である。通称、岩薬師といわれる。国道が整備された結果、石窟は国道の下のコンクリートのトンネルの奧になってしまった。

 奥行き1.6m、高さ2mほどの半円形の小さな石窟に、高さ約50pの薬師如来と高さ20pほどの脇侍の月光・日光菩薩を半肉彫りする。入口左右には供養者と思われる比丘座像が彫られている。

 薬師像は左目や鼻が欠けていて、顔はゆがんだように見える。しかし、体部はすっきり整っていて、小像ながら力強い表現の十二神将とともに、南九州を代表する磨崖仏といえる。薬師如来の向かって左に蓮華茎上に乗せた日輪を持つ日光菩薩と6体の十二神将、左に蓮華茎上に乗せた月輪を持つ月光菩薩と6体の十二神将が彫られている。



天部諸尊像石仏Z (2)   楢本磨崖仏十二神将
宮崎県小林市野尻町東麓  「鎌倉時代」
 山中の杉林の中の安山岩層に数十体に及ぶ多くの磨崖仏が上下二段に、薄肉彫りされている。まず、目にはいるのは上段の不動明王で、顔は大きく誇張された表現になっていて、やや荒っぽい。その他、上段には薬師三尊・釈迦三尊・毘沙門天・仁王などの像が彫られている。

 下段は、1m前後の薄肉彫り像や半肉彫りの像が数多く彫られている。十王・地蔵・阿弥陀三尊・不動・多聞天・十二神将などである。阿弥陀如来座像と比丘形座像を刻んだ磨崖宝塔もある。

 不動明王横に「応永35年(1428)」の銘があるので室町時代の作であることがわかるが、作風から見て、すべて同じ時期につくられたとは考えにくい。下段の諸像の方が整っていて、気品がある。これらの像は、上段の大作よりやや古い時期の作ではないだろうか。

 十二神将は下段の一番上、幅7mほどに像高70〜95pの像がやや薄く半肉彫りされている。苔むして風化が進むが、向かって左端の三角形の岩に彫られた像などは鋭い鑿跡が残る。



    
天部諸尊像石仏Z (3)   白瀧山竜泉寺磨崖仏十六善神
広島県三原市小泉町 「室町時代」
提頭ら宅善神・法湧菩薩・抜除罪垢善神・常啼菩薩

深沙大将・童子・玄奘三蔵・勇猛心地善神・吠室羅摩拏善神(多聞天)・摂伏諸魔善神
深沙大将・童子・玄奘三蔵・勇猛心地善神・吠室羅摩拏善神(多聞天)
提頭ら宅善神・法湧菩薩・抜除罪垢善神
能忍善神・救護一切善神
 白滝山は因島以外に三原市小泉町にもある。 三原市の白滝山へ行くに は、三原駅前より、「小泉小学校前」 行きのバスに乗り、終点で下車し、そこから登山道を約4km歩く。

 その白滝山の山頂付近に「竜泉寺」がある。この寺の本堂裏の白滝山頂は「八畳岩」 と呼ばれる巨大な花崗岩の露頭で、その「八畳岩」の岩壁に、釈迦三尊と、石仏では珍しい十六善神の磨崖仏がある。十六善神磨崖仏は浅い半肉彫りの磨崖仏でやや誇張された表現であが、岩壁いっぱいに等身大の像が彫られていて迫力がある。十六善神は大般若経とこの経を読誦する守護する十六の薬叉善神である。竜泉寺磨崖仏では他に般若経の授持伝来に関係深い法涌菩薩・常啼菩薩・玄奘三蔵・深沙大将の像が刻まれている。

 「八畳岩」 上に登ることができ、大三島や生口島などの島々、周辺の山々が見渡せ、素晴らしい眺めである。 谷を隔てて南に見える山が、江戸時代の磨崖三十三所観音のある黒滝山になる。
 
提頭ら宅善神(だいずらたぜんじん・持国天)
 
毘盧勒叉善神(びるろくしゃぜんじん・増長天)
 
摧福毒害善神(さいふくどくがいぜんじん)
 
増益善神(ぞうやくぜんじん)
 
歓喜善神(かんきぜんじん)
 
除一切障難善神(じょいっさいしょうなんぜんじん)
 
抜除罪垢善神(ばつじょざいくぜんじん)
 
能忍善神(のうにんぜんじん)
 
吠室羅摩拏善神(べしらまなぜんじん・多聞天)
 
毘盧博叉善神(びるばくしゃぜんじん・広目天)
 
離一切怖畏善神(りいっさいふいぜんじん)
 
救護一切(くごいっさいぜんじん)
 
摂伏諸魔善神(しょうぶくしょまぜんじん)
 
能救諸有善神(のうぐしょうぜんじん)
 
師子畏猛善神(ししいもうぜんじん)
 
勇猛心地善神(ゆみょうしんじぜんじん)
 十六善神は、大般若経の護持を誓った十六の夜叉神をである。釈迦十六善神や般若守護十六善神、あるいは十六大夜叉将と呼ばれる。「般若十六善神王形体」では、提頭ら宅善神・毘盧勒叉善神・摧福毒害善神・増益善神・歓喜善神・除一切障難善神・抜除罪垢善神・能忍善神・吠室羅摩拏善神・毘盧博叉善神・離一切怖畏善神・救護一切善神・摂伏諸魔善神・能救諸有善神・師子畏猛善神・勇猛心地善神の十六神としていが、形相や尊名は一定しない。

 『仏像図彙』(江戸時代の仏像図版集)では大般若十六善神として図像を紹介しているが、摧福毒害善神・吠室羅摩拏善神など五神は「般若十六善神王形体」と名前が違う。竜泉寺磨崖仏十六善神の形相や持物は『仏像図彙』と一致している。尊名は「般若十六善神王形体」の尊名で表した。
 
法湧菩薩(ほうゆうぼさつ)
 
常啼菩薩(じょうていぼさつ)
 
玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)
 
深沙大将(じんじゃたいしょう)
 般若経の授持伝来に関係深い法湧菩薩・常啼菩薩・玄奘三蔵・深沙大将は釈迦三尊十六善神として描かれた多くの絵画に描かれていて、竜泉寺磨崖仏十六善神でも最も目立つ場所にこれらの像は彫られている。 



天部諸尊像石仏Z (4)   山上蔵王権現
奈良県生駒郡三郷町立野北2丁目 「南北朝時代」
 現在知られている最も古い蔵王権現石仏は奈良県生駒郡三郷町の山上蔵王権現石仏で、南北朝時代の造像と思われる。長方形の石材に像高54pの右手を高く上げて三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ、憤怒相の蔵王権現像を半肉彫りしたもので、蔵王権現石仏では最も優れた像である。



天部諸尊像石仏Z (5)   竹成五百羅漢蔵王権現
三重県三重郡菰野町竹成2070 「江戸末期」
 蔵王権現は正式には天部像ではない。インドのバラモン教やヒンドゥー教の神々は「天」という神号で護法善神として仏教の天部に取り入れられたものである。それに対して蔵王権現や飯縄権現などの像は日本の神々が日本仏教に取り入れられた際には本地垂迹思想に基づき権現という神号が多く用いられたもので、正式には天部像ではないが、石仏事典などでは天部像として扱っているのでここでは天部として扱っていく。竹成五百羅漢蔵王権現は右足を高く蹴り上げているというより、岩に右足をのせているような表現になっている。



天部諸尊像石仏Z (5)   修那羅蔵王権現
長野県東筑摩郡筑北村坂井眞田11572 修那羅山安宮神社「明治時代」
 蔵王権現は吉野の金峯山寺の本尊として知られ、修験道の開祖、役行者が大峰山で感得したものという仏像である。修那羅大天武と修験道との関わりは深く、この蔵王権現像をはじめ、立山坊舎悪鬼神などの像や「月山」「湯殿山」「天狗」「熊野大神」など修験道に関わる文字碑なども多く見られる。

 この蔵王権現像は浮き彫り像で、右手で宝剣のようなものを振りかざし、左手は剣印を結んで脇腹に置き、右足を躍らせ、右足を踏みしめている。金剛杵が宝剣になっている以外は蔵王堂本尊や「仏像図彙」の像など今までの蔵王権現の姿を踏襲している。力強さは感じられるが忿怒相はいかめしくはなく、どこか親しみを感じる顔である。前に紹介した摩利支天と同じ石工の作と思われる。

 蔵王権現の石像は修験道の発祥地の関西では珍しく奈良県三郷町の山上蔵王権現石仏(南北朝時代)や奈良県大淀町の泉徳寺の像(室町時代)などが知られているのみであるが、江戸時代末期から近代にかけては関西は見られないが全国各地で蔵王権現石仏が造立されている。長野県でもみられ、修那羅と関係のある更埴市郡にある霊諍山にも見られる。



天部諸尊像石仏Z (6)   霊諍山蔵王権現
長野県千曲市八幡大雲寺裏山 「明治時代」
 修那羅と関係のある更埴市郡にある霊諍山にも蔵王権現石仏がある。船型の石材に線刻した像で浅い彫りと深い彫りをうまく活かし、躍動感を出している。右手で振り上げた三鈷杵は浮き彫りで表現しているが、下部は欠けてしまっている。



天部諸尊像石仏Z (7)   竜王山蔵王権現
広島県尾道市潮見町   「明治時代〜昭和時代」
 
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 蔵王権現は、修験道の本尊で奈良県県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られ、竜王山には多くの蔵王権現石仏がある。蔵王権現は三目二臂か二目二臂で、右手を高く上げて独鈷または三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ、憤怒相が一般的である。石仏は全国的に見ると珍しく、南北朝時代から江戸時代の造立で知られているものは奈良県の三郷町と大淀町の各1基、国東半島の数基などである。明治以降の作としては修那羅や霊諍山の2基か知られている。

 石鎚社の石垣の下に大きな丸彫りの4体の蔵王権現石仏がある。それぞれよく似た像で、二目二臂で右手をあげて杵のような独鈷を持ち、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ。テイァラのような冠をかぶり、髪の毛を逆立てた像であるが、顔は太い眉毛であるが憤怒相とは言いがたい独特の顔をしていて、猿回しの猿のようなユーモラスな蔵王権現像である。冠と逆立てた髪が猿回しの猿の帽子のように見える。@A 蔵王権現は石鎚権現として祀られているようで、石造りの祠には蔵王権現が石鎚権現として安置されている。

 参道の石祠には小像ながら憤怒相の迫力のある蔵王権現像がある。C また、石垣の片隅にある蔵王権現像の小像は力強く可愛らしい像で、竜王山の蔵王権現の中でも最も印象に残る像である。B 他に、蔵王権現を浮き彫りにした山型の板碑もある。D


Y大黒天など [閻魔・十王