福島県の磨崖仏3 |
江戸時代になると、民間信仰の広がりとともに様々な石仏・石神が造立される。子供の健やかな成長を祈って子安観音が、豊作を願って大黒天や山の神が、子供の冥福を祈り地蔵石仏が各地につくられ、祀られた。その他、病魔退散を願って不動明王、馬の息災祈って馬頭観音、農業の守護神として弁財天、亡くなった人の供養と後世を念じて十三仏、婦人病・安産・浮気封じの神として淡島様と様々な石仏がつくられた。 月待・庚申講・地蔵講・巳待・淡島講などと人々は集い、供養や祈願するとともに、飲食をし語り合った。その時、祈りの対象になったのが文字碑とともに如意輪観音・青面金剛・地蔵・淡島様の上記の石仏である。 磨崖仏でも江戸時代になると三十三所観音とともに上記のような、民間信仰の広がりとともに不動・青面金剛・如意輪観音など様々な仏像や神像が造立されることになる。 |
鮭立磨崖仏 江戸時代(天明年間〜天保年間) |
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・福島県金山町山入字石田山2692 |
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銚子の口不動磨崖仏 江戸時代 明和元(1764)年 |
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・福島県福島市飯野町飯野新田 |
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・阿武隈川飯野ダム堰堤公園から 阿武隈川沿いの道を南へ約1qの所、木幡川が阿武隈川に合流する「銚子の口」と呼ばれる所の道路の下の崖の花崗岩の岩に刻まれた磨崖仏である。舟形状に彫り窪みをつくり、左手に宝剣を右手に羂索を持ち頭に蓮華をのせた不動明王立像を半肉彫りする。眉毛をつり上げ両眼を見開いた憤怒相であるが表情はあまり迫力はなく、相撲取りのような風情の不動明王である。向かって右に「元和元申天」の刻銘がある。 |
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羽黒山磨崖十三仏 江戸時代 元禄十一(1698)年 |
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・福島県岩瀬郡天栄村大里羽黒山 |
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・ 羽黒山の西麓の小さな墓地の上段に、細長い龕を設けて、並立に十三仏を厚肉彫りする。向かって右から、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿しゅく・大日・虚空蔵の仏像である(十三仏については「山口の石仏」の「岩谷十三仏」を参照)。元禄十一年七月「高山寺」「大方寺」の合同供養として像立された旨の刻銘がある。小像ながら迫力のある磨崖仏である。 |
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上新城阿弥陀三尊磨崖仏 江戸時代 元禄十五年(1702) |
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・福島県白河市大信上新城 |
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・ 旧大信村の上新城の集落の北西の山麓にある上新城墓地の上段に彫られた善光寺式阿弥陀三尊の磨崖仏である。 |
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