山口県の石仏1 |
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菩提寺山磨崖仏 |
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美術史家久野健氏によって日本最古の磨崖仏として紹介された「菩提寺山磨崖仏」は熊野神社の裏山の菩提寺山の中腹の岩に彫られている。像高316cmの観音立像で、左手に水瓶を持ち、右手は下に下げて指で天衣をつまんでいる。衣紋の表現や二重の瓔珞・両耳の耳飾りは薬師寺聖観音像など天平彫刻に共通する。頭が大きく、4頭身に近い。このような表現は奈良時代の小さな金銅仏によく見かける。 大きな花崗岩を薄肉彫りで量感のある菩薩像を表現する点は韓国石窟庵の十一面観音や狛坂寺跡磨崖仏などに共通する。頭が大きく、4頭身に近い石仏は、慶州拝里三尊石仏や南山七仏庵磨崖仏など韓国(新羅時代)にも見られる。花崗岩という硬い岩を加工する技術から考えて、8世紀から9世紀にかけての新羅からの渡来人の石工によって彫られたものであろう。 この磨崖仏については、昭和6年建立説がある。村田芳舟という修行僧が、この山の石を切り出していた石工の道具を借りて彫ったものだという説である。しかし、奈良時代の特徴を備えたこの磨崖仏は、私には昭和期に素人の修行僧がつくったものとは思えない。現在、山陽小野田市が「小野田・磨崖仏の制作年代調査委員会」を発足させ、調査中という。この石仏の発見者、山口歴史民俗資料館元館長の内田伸氏は、奈良時代の作とし、如来形の髪や百毫などが村田芳舟の稚拙な改刻としている。(「山口県の石造美術」 マツノ書店) 昨年(H17年)5月と8月、2回にわたって、山口県を訪れたが、新緑に輝く菩提寺山の大岩に彫られたこの磨崖仏は忘れられない。仮に昭和期の制作としてもこの磨崖仏の素晴らしさは変わりはない。 |
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岩谷十三仏 |
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岩谷(いわや)十三仏は下関の奥座敷として知られる川棚温泉の北東6kmの中小野・岩屋という山あいの集落にある。公園として整理された露出した岩場の所々に1mにも満たない十三の石仏が安置されている。
石仏は不動明王(初七日)・釈迦如来(二七日)・文殊菩薩(三七日)・普賢菩薩(四七日)・地蔵菩薩(五七日)・弥勒菩薩(六七日)・薬師如来(七七日)・観世音菩薩(百ヶ日)・勢至菩薩(一周忌)・阿弥陀如来(三回忌)・阿閃如来(七回忌)・大日如来(十三回忌)・虚空蔵菩薩(三十三回忌)の十三仏である。十三仏とは死者の追善の法事を修めるとき、その年忌に配当された十三の仏菩薩をいう。十三仏信仰は浄土信仰に基づいて、これらの十三仏を信仰して極楽往生を願うものであり、南北朝時代から信仰が始まったといわれている。 岩谷十三仏は、山口を支配した大内義隆が家臣の陶晴賢の叛乱に敗れた時、一時身をひそめたという岩谷が浴八丈岩に納められていたもので、現在、大小の岩が組み合わされた庭園風の公園の、岩の上に並べられている。 大内義隆が八丈岩を脱出する時、村人に大内家秘伝のばんばら楽(大内楽)の巻物一巻をあたえた。陶晴賢が毛利元就に破れた、弘治元年(1555)ごろ、この一帯が大旱魃に襲われ、雨ごいのためにと熊野神社にこのばんばら楽(大内楽)を奉納したところ、すぐに大雨が降り旱魃を免れた。そこで、大内義隆の供養として、八丈岩に十三体の石の仏像を造り奉納したとのがこの十三仏であるという。 |
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石屋形羅漢山磨崖仏 |
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駐車場から10分ほど登った、羅漢山の頂上近くに、高さ5m〜10mの岩が屏風のように屹立する岩場が、向かい合う形で2ヶ所ある。入口から向かって右側の岩場に5ヶ所、左側の岩場に2ヶ所に、線刻の磨崖仏が彫られている。県下では最大級の規模を誇り、制作年代も菩提寺山磨崖仏についで古く、室町時代初期と思われる。美祢市の指定史跡に指定されている。
剥落や摩滅した箇所が多く、像容がわからないものもがり、後生の補作もみられるが、右の一番手前の地蔵菩薩と右の4番目の阿弥陀三尊像は当初の線が残る。地蔵菩薩像は、岩の割れ目で一見すると座像にみえるが、下部に錫杖を持つ右手と、宝珠を持つ左手が見られるので立像であることがわかる。高さは2.46mで、側面を向いた穏やかな顔は肩はよく残っていて、眉毛や顔の輪郭、首筋から肩への線は力強い。 右側の4番目の像は像高阿弥陀三尊像で、岩の剥落や割れ目が多いが、阿弥陀顔や定印を結んだ手や下方の蓮弁が残っている。笑みをたたえる豊頬で円満な面相はこの磨崖仏群の白眉である。 線がよく残っているのは右側2番目の薬壺を持つ如来像と、左側の1番目の蓮華を持つ菩薩像である。しかし、両像とも彫った線は硬く、のびやかさや力強さに欠く。これらは後生の補刻で、最初の線をそっくりそのまま彫り起こしたとは思えないので、もとの尊名は断定できないが、薬師如来と観音菩薩と思われる。 |
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深谷十三仏 |
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深谷十三仏は山口市徳地深谷の集落への入り口近くの小さな丘の上の堂の中に二列に並べて安置されている。一石一尊の十三仏で、それぞれ花崗岩の座像で、二重光背を型どった石材に薄肉彫りしている。中央の虚空像菩薩が最も大きく、高さ87pで、他の像はほぼ同じで高さ70pほどである。虚空像菩薩の背面に「応永十四丁亥二月彼岸逆修」と刻銘があり、応永十四(1407)の彼岸に建立されたものである。
頭も身部もあまり凹凸がなく薄肉彫りというより、線彫りに近い。堂内に安置されているためかその線もわかりにくく、像容を見ただけでは尊名が判断しにくい。地方作であるが、素朴な味わいのある石仏である。 十三仏石仏は全国にみられるが、千葉県や埼玉県などの関東地方と生駒山山麓の関西地方に特に多く見られる。これらは板碑で一石で十三仏を種子または像容であらわす。深谷十三仏のような一石一尊仏は全国的に見ても少ない。十三仏碑の初現は千葉県の印旛村の迎福寺の永和4年(1378)銘の種子碑である。像容を刻んだものでは、この深谷十三仏が最も古い。 |
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