福島県の来迎供養塔 |
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福島県の中通りには、多くの浮き彫りの阿弥陀三尊来迎板碑が分布している。
鎌倉時代から南北朝時代にかけてつくられたもので、
線刻像も含めれば、100基を越す。 平安後期から浄土信仰の浸透によって、人の臨終に阿弥陀如来が観音・勢至菩薩とともに、極楽浄土へ迎えとるために、来迎する様子を描いた来迎図が仏画として多く描かれた。 その絵を、線彫りで写した石仏が、宇治市の蜻蛉石(平安後期)をはじめとして、関東地方の板碑などにかなり見られる。しかし、 いかにも絵画的で、石仏として魅力は乏しいように思える。 それに対して、 福島の浮き彫りの来迎供養塔は、薄肉彫りという立体的表現と背景の自然景の空間が溶け合い、来迎というドラマチックな場面を空間的に表現していて、石仏として魅力的である。特に福島市鳥渡陽泉寺の阿弥陀三尊来迎供養塔は薄肉彫りの傑作である。 |
陽泉寺来迎供養塔 史跡 正嘉2(1258)年 鎌倉中期 | |||
・福島県福島市下鳥渡 ・高さ168cm ・凝灰岩 | |||
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・ 福島中通りの薄肉彫りの阿弥陀三尊来迎供養塔群中の最古最優美作。来迎印を結ぶ阿弥陀像を中心にして、 死者の魂をのせる蓮台をささげ腰をかがめる観音菩薩像を前方に、後方に合掌する勢至菩薩像が、蓮台に立ち、 雲足を後方になびかせる雲に乗って西方(右方)から下りる早来迎の様子をあらわす。 絵画的な図柄であるが、空間の奥行きが見事に出ていて、石の美を充分に生かした石仏である。 | |||
下宿来迎供養塔 鎌倉後期・南北朝時代 |
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・福島県須賀川市森宿字下宿 ・高(中央)101cm ・安山岩 |
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・ 森宿の集落入口に宝来寺がある。その宝来寺の本堂前に、3基の阿弥陀三尊来迎供養塔が立っている。 3基とも板石状の正面に凸字形に輪郭を作りその中に雲に乗った三尊像を刻む。 蓮台を差し出す観音と合掌する勢至は、 腰をかがめていて、 高いところから来迎する動きをうまく表現している。 左端の1基は、三尊とも左下へ向かう姿になっていて、左下には念仏信者をえがく。いわゆる早来迎で、他の2基より、より動的な表現になっている。 |
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前田川広町双式来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県須賀川前田川草地下 |
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・ トステム須賀川工場の西0.5q、台地の突端部に覆堂を設けて祀られている。。正面する阿弥陀如来と、やや下方に観音・勢至を薄肉彫りした阿弥陀三尊像を二組並べた、双式来迎供養塔である。三尊とも飛雲の上にのり、右の観音菩薩は腰をかがめて蓮台を持ち、左の勢至菩薩は腰をかがめて合掌する。二組ともほぼ同じ大きさで、阿弥陀像は高さ35〜36p、両脇持は28〜29pである。 |
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筑後塚双式来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県須賀川滑川東町 |
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・ 街道近くの筑後塚とよばれる平地の雑木林の中に祀られていたものであるが、柏城小学校がその地に建てられ、街道と旧道の分岐点に、種子板碑や二尊石仏とともに移された。現在、立派な覆堂がつくられ多数の板碑や石造物が集められている。 |
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袋田来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県須賀川袋田西の内 |
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・ 向袋田の集落の北、竹藪の中の簡素な阿弥陀堂の中に祀られている。搭高の163pの大型の供養塔である。蓮座の上に立つ正面を向いた来迎相の阿弥陀如来と下方左右に腰をややかがめて向かい合って立つ観音・勢至を半肉彫りする。 |
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長命寺来迎供養塔 弘長2年(1262) 鎌倉時代 |
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・福島県須賀川市畑田 |
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・ 陽泉寺供養塔に次ぐ古いものである。福島県の浮き彫りの来迎供養塔は、陽泉寺に代表する早来迎と、正面する阿弥陀如来とやや下方に腰をかがめた観音・勢至菩薩を表現する供養塔にわけることができる。 阿弥陀が正面に向く来迎供養塔の代表作がこの像である。 陽泉寺像のような優美さはないが、 彫刻的に優れている。三尊をやや小さめに刻むことにより、空間をうまく生かしている。この供養塔の横には小型の来迎供養塔もある。 |
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長慶寺来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県石川郡玉川村小高 |
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・この阿弥陀三尊来迎供養塔は長慶寺の山門前に西面してたっている。 二重光背形に彫りくぼめを作り、 そこに阿弥陀座像を薄肉彫りする。蓮弁と観音・ 勢至の両菩薩は線彫りである。 郡山から須賀川にかけて見られる浮き彫り像とは違った様式の来迎供養塔である。 |
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川辺墓地来迎供養塔 |
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・福島県石川郡玉川村川辺 |
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・玉川村川辺の国道118号線の西の小さな丘陵の東南部にある川辺墓地の矢部家(川辺八幡宮宮司家)の墓所の後ろの斜面に立てられている阿弥陀来迎三尊像である。蓮華座の上に立つ阿弥陀如来は薄肉彫りで二重の頭光と放射光を背負う。両脇持も薄肉彫りで早来迎の形式で右下方を向いている。本尊が正面を向いているのでややアンバランスに見える。陽泉寺来迎供養塔などと比べると立体感に乏しく来迎供養塔としては時代下ると思われるが、摩滅も少なく素朴な魅力がある供養塔である。 |
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岩法寺来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県石川郡玉川村岩法寺観音山 |
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・ 福島県の来迎塔の多くが浮き彫りであるが、石川郡周辺には関東と同じような、陰刻の来迎塔の造立が見られる。その中でも優れたものの一つがこの岩法寺来迎供養塔である。岩法寺観音堂の近くの石堂の中に祀られていたものである。現在は大日如来真言供養塔・陽刻の来迎供養塔などの4体の板碑と一緒に境内の隅に並べられている。 |
安養寺来迎供養塔 鎌倉時代 応長2(1312)年 |
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・福島県石川郡石川町沢井東内打 安養寺 |
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・ 安養寺は貞観15(873)年に開山された後、天正元(1573)年に現在地に再建された、天台宗の古刹である。しかし、現在は数十段の石段と小さな本堂が残るのみで往年の面影はない。石段の周りには多くの石造物が見られる。その多くは近世から近代にかけてのもので、庚申塔・淡島像・十王像・奪衣婆など当時の庶民信仰がうかがえるものがたくさんある。 |
仁井田双式来迎供養塔 嘉歴四年( |
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・福島県岩瀬郡鏡石町仁井田 |
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小さな墓地の上の崖に浅い龕が彫られていて、その中に、阿弥陀来迎三尊像を2組、半肉彫りした双式来迎磨崖仏である。両三尊とも阿弥陀如来像は像高約31p、観音・勢至の両脇持は像高約22pである。磨崖仏の阿弥陀三尊は二本松市黒塚、泉崎村観音山、白河市表郷町硯石などにあるが、双式はこの磨崖仏のみである。嘉歴四年( |
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観音山磨崖来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・福島県西白河郡泉崎村踏瀬観音山 |
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・ 二瀬川の北岸の断崖に、巾約30mの枠を7段に設け、内部に石造塔婆や板碑を約320余基、浮彫りした搭婆群である。地元では俗に「踏瀬の五百羅漢」と呼ばれいる。現在は東北自動車道の陸橋の下になっている。その供養搭婆群の中心となっているのがこの磨崖来迎供養塔である。 |
硯石来迎阿弥陀三尊磨崖仏 鎌倉時代 |
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・福島県白河市表郷番沢硯石 |
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白河市と旧表郷村(現白河市)の境にある関山の頂上に、行基菩薩が開山と伝えられる満願寺がある。奥の細道を行く芭蕉も登ったという。その南側の登山口に三十三観音とこの来迎阿弥陀三尊の磨崖仏がある。 |
致道博物館来迎供養塔 鎌倉時代 |
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・山形県鶴岡市家中新町 |
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・ 致道博物館は庄内藩主酒井氏の後用屋敷跡に作られた博物館で、明治初期の洋風建築や茅葺き屋根が見事な民家などの歴史的な建造物が移築されている。 御用屋敷の庭は現在も残っていて、そこに数体の石仏が置かれている。 この供養塔はそのうちの一体で、もとは福島県郡山市にあったものである。須賀川・郡山地方の典型的な姿の阿弥陀三尊来迎供養塔である。 |