福島県の磨崖仏2 |
福島県には、平安後期から鎌倉時代にかけての磨崖仏とともに、江戸時代の磨崖仏が多く、現存する磨崖仏の数では平安・鎌倉期をしのぐ。
福島県の江戸時代の磨崖仏で目立つのは、西国三十三観音を模した三十三所観音である。 江戸時代の石仏には三十三所観音が多く見られる。 それは、 西国三十三観音の巡礼巡りの信仰の盛行を反映したものである。 全国各地に巡礼巡りの組織がつくられ、それがミニチュア化して、一寺院や一山に三十三観音石仏がつくられていった。 こうしてできた石仏は形式化した個性のないものがほとんどである。 しかし、福島県の場合、多くが磨崖仏であるため、形式化を免れている。 福島市信夫山の岩谷観音のように、 東北地方の磨崖仏の伝統を受け継いだ厚肉彫りの傑作もある。 |
岩谷観音磨崖仏 江戸時代 |
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・福島県福島市信夫山 |
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・ 福島市の町のすぐ北にそびえる信夫山、その東端の中腹に岩谷観音がある。岩谷観音は応永二十三年(1416)に観音堂が建立されたのにはじまる。江戸時代、宝永六年(1709)頃から岩谷一面に、西国三十三所観音をはじめとして、庚申・弁財天・釜神などが彫られた。風化は著しいが厚肉彫りで像容の優れたものが多い。特に西国三十三番、谷汲山華厳寺の十一面観音はその中でも傑作である。 |
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布川下神山磨崖仏 江戸時代 享保8(1723)年 |
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・福島県伊達市月舘町布川三淀ヶ入 |
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・ 月舘町の布川の渓流沿いに不動堂があり、御堂に向って右手の花崗岩の岩肌には、享保8年(1723)癸卯の年号のある半肉彫の磨崖仏三十三所観音像が刻まれている。6体の観音はやや離れた場所に刻まれているが、残りの27体の観音と番外の阿弥陀如来は大きな岩に3段に渡って整然と併刻されていて、千体仏を連想させる。像高はすべて35〜40pほどで、すべて立像である。西国三十三所観音の巡礼巡りの信仰から彫られたものであるが西国三十三所観音とは一部違った構成になっている。 |
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岩蔵寺薬師如来磨崖仏・磨崖三十三観音 江戸時代 万延元(1870)年 |
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・福島県二本松市太田岩前 |
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・ 稚児舞台などの名勝を見下ろす阿武隈川東岸の、丘陵の山頂に岩蔵寺がある。山頂付近の岩蔵寺本坊から100m程山道を西に下った所に市の有形文化財になっている岩蔵寺薬師堂が建っている。その薬師堂に北面した山腹に大きな花崗岩壁があって、そこには大きな自然窟がり、その奥壁に岩谷薬師と称される薬師如来が刻まれている。舟形光背を彫り沈め、蓮華座に坐す定印で大きな薬壺を持った薬師如来を半肉彫りしたものである。岩蔵寺の称号も、この岩谷薬師にちなんで付けられたものという。万延元(1870)年造立の三十三所観音像より、遠く遡るものと考えられる。 |
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七石山磨崖三十三観音 江戸時代 嘉永4(1732)年 |
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・福島県二本松市上川崎水梨 |
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・ 上川崎水梨の八幡宮の前の小山、七石山(愛宕山)の山腹のたくさんある花崗岩の露頭石や岩壁の石面に三十三観音が刻まれている。薄肉彫りの第33番観音を除いて全て線刻で像高70p、蓮華座にのり宝冠を冠している。所々に朱が残っていて彩色されていたことがわかる。 |
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安達ヶ原岩屋磨崖仏 江戸時代 享保8(1723)年 |
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・福島県二本松市安達ヶ原観世音寺 |
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・能の「黒塚」で知られた、鬼女、岩手が籠もったといわれる安達ヶ原岩屋は観世寺境内にある。 大きな岩が積み重なった奇怪な姿のこの岩屋の岩に線刻や薄肉彫りの三十三所観音が刻まれている。 ほとんどが1mみたない小像であるが、鬼女伝説とあいまって庶民の厚い信仰が感じられる。 |
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岩角山磨崖仏 江戸時代 |
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・福島県本宮市和田東屋口 |
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・ 本宮市と二本松市との境に位置する岩角山(いわつのやま)に、仁寿元年(851年)慈覚大師が開基したとつたえられる岩角寺(がんかくじ)がある。岩角山はわずか標高337メートルの小さな山ながら、うっそうとしたしげった杉の木々や、、山中に点在する巨岩奇石そして那須連峰や阿達太良山を一望できる山頂からの眺めなど、魅力的な山である。福島県指定名勝及び天然記念物に指定されている。巨岩奇石の多くには線刻の磨崖仏が彫られていて、岩角山観光協会の案内板には八百八体の仏が刻まれていると記されている。現在、約200体の磨崖仏(磨崖梵字も含む)が確認されている。<小林源重著「ふくしまの磨崖仏」> |
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滝八幡磨崖三十三観音 江戸時代 |
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・福島県西白河郡矢吹町滝八幡 |
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・ 県立矢吹病院の裏の隈戸川の川岸の崖に先丸形の光背龕を彫り込め、その中に一体一体、三十三所観音が半肉彫りされている。 小像であるが、整った端正な磨崖仏である。川岸に一列に刻まれているため、増水時には石仏に近づけない。現在、歴史公園としてきれいに整備されいる。 |
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大供磨崖三十三観音 江戸時代 |
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・福島県郡山市田村町守山 |
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・ 安永2年〜5年(1773〜1776年)に造立された、三十三所観音磨崖仏。悪性の疫病で苦しんでいたこのあたりの村の人が、疫病退散を願って、各戸から寄付を募り、造立したという。舟形光背龕に半肉彫りされている。パターン化された小像であるが、素朴な美しさがある。 |
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硯石磨崖三十三観音 江戸時代 |
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・福島県白河市表郷番沢硯石 |
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・ 白河市と旧表郷村(現白河市)の境にある関山の頂上に、行基菩薩が開山と伝えられる満願寺がある。奥の細道を行く芭蕉も登ったという。その南側の登山口に硯石磨崖三十三観音がある。 |
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石崎磨崖三十三観音 江戸時代 |
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・福島県白河市表郷梁森石崎 |
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・ JRバス「梁森」駅の南の石崎の都々古和気神社の西方、樫の木の森の中にあるてんてんと露出している安山岩に三十三観音などが刻まれている。 |
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