福島県の磨崖仏1
 
 
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泉沢大悲山
薬師堂磨崖仏

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舘ヶ岡磨崖仏

  福島県は大分県と並ぶ磨崖仏の宝庫である。浜通りとよばれる太平洋岸には、平安期後期を代表する磨崖仏として泉沢大悲山磨崖仏が知られている。 その他、吉名石窟群・塩崎岩屋堂磨崖仏などが平安期の磨崖仏である。

  中世の磨崖仏も多く、中通りと呼ばれる東北本線沿いには、和田磨崖仏・舘ヶ岡磨崖仏・観音山石塔婆群など鎌倉期の造立の磨崖仏が多く見られる。 浜通りにある住吉磨崖仏も鎌倉期である。

  大分県とくらべると、密教系の尊像が少なく、不動磨崖仏などは江戸時代までつくられなかった。多くが阿弥陀如来や薬師如来といった顕教系の磨崖仏である。

  それは、平安時代のごく早い頃に活躍した法相宗の碩学、徳一の影響が大きいと思われる。彼は、磐梯山信仰と結びついた会津の恵日寺の建立をはじめ会津一帯に五薬師と呼ばれる寺々を建てた。 彼が建立したと伝えられる寺々は、宮城県から関東北部にまでに及び、一つの徳一文化圏というべきものを形成していて、泉沢大悲山磨崖仏・吉名石窟群などの磨崖仏も徳一の造建という伝承がある。

 

1_b2.gif (1021 バイト)福島の石仏地図


 

泉沢大悲山薬師堂磨崖仏 史跡      平安末期

・福島県南相馬市小高区泉沢 ・釈迦 像高420cm  ・砂岩

・アクセス 
  JR常磐線「おだか」駅よりバス「大悲山」下車徒歩5分
  自動車  国道6号線を浪江町で県道浪江・鹿島線に入りバス停 「大悲山」で右折すぐ

・ 泉沢の大悲山には丘陵地の岩層を利用して開いた石窟が3か所現存する。その中で、最も保存状態がいいのが、この薬師堂磨崖仏である。中央に3mを超える高さの如来三尊[釈迦・薬師 (弥勒)・阿弥陀(弥勒)]と菩薩立像などを厚肉彫りする。中央の釈迦如来は蓮台を含めれば5mを越え力強いフォルムである。 覆い堂がかかっているが、岩質がもろく、 相当崩れていて、痛ましいが量感や迫力は少しも失っていない。    

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 住吉磨崖仏(阿弥陀如来)    鎌倉時代

・福島県いわき市小名浜住吉町  高約2m 砂岩

・アクセス
JR常磐線「ゆもと」駅よりバス「小名浜三小」下車徒歩5分
(自動車) 常磐自動車道「いわき湯本IC」より国道6号線へ出て小名浜方面へ「浜道」交差点1km手前を右折すぐ

・ 小名浜住吉町の遍照院金剛寺の裏山墓地の、第三期砂岩層に彫られた、石龕の中に阿弥陀如来座像がある。地層と像が重なり合って、独特の彫刻美を見せる。20mほど離れたところには阿弥陀三尊像もある。    

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 舘ヶ岡阿弥陀磨崖仏               鎌倉時代

・福島県須賀川市舘ヶ岡向山 像高2.2m  安山岩

・アクセス
JR東北線「すかがわ」駅よりバス「舘ヶ岡」下車徒歩南へ1.5km
(自動車) 東北自動車道「郡山南IC」より県道郡山・長沼線に入り、駒屋農協前交差点を左折し県道郡山・矢吹線を南へ5km、崖原橋の手前西入る

・ 滑川の南岸、中世須田氏の居城であった向山丘陵の西崖面にある。、この地方の中世の磨崖仏の中では最も風化が少なく、彩色も残る。 硬い安山岩に彫ってあるため大まかな像容であるが、硬いシャープな線のフォルムが魅力的である。鼻の補修がやや気になる。   

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 和田磨崖仏             鎌倉時代

・福島県須賀川市和田  像高2.7m   凝灰岩

・アクセス
JR東北線「すかがわ」駅よりバス「和田」下車徒歩南へ1km
JR水郡線「かわひがし」駅下車徒歩1.5km
(自動車) 東北自動車道「須賀川IC」より国道118号線を経て県道母畑・須賀川線へ、阿武隈川にかかる小作田橋、手前を右折、約1km

・ 阿武隈川の河岸段丘の崖の横穴古墳群を利用してつくられた石窟仏である。中心となる像は通称、 和田大仏とよばれる丈六の如来座像である。剥落風化が烈しく、印相がわからないので像名ははっきりしないが、おそらく阿弥陀如来であろう。胸を削って飲めば母乳が出るという信仰が、摩滅に拍車をかけ、痛ましい姿である。左方の横穴古墳を利用した岩屋には、六体の阿弥陀座像が浮き彫りにされている。   

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御城地内磨崖仏   鎌倉時代 

・福島県西白河郡中島村滑津字代畑                  

・アクセス
JR水郡線「野木沢」駅より4.6q。または、JR東北線「矢吹」駅より8.5q。
自動車  あぶくま自動車道「矢吹中央IC」より南東へ6.4q。

・ 中島村の東端の代畑は石川光房によって築かれたと云われる滑津館(なめつたて・別名南面津城)があった場所で御城と呼ばれている。
 その代畑の公民館の横にお堂があり、汗かき地蔵と呼ばれる地蔵石仏が安置されている。高さ1.7mの地蔵座像で背部に建武二年(1335年)と建立年が刻まれている。その昔何か天変地異が起きる時、赤褐色の五体に汗をかき、その兆を知らせるとの言い伝えから「汗かき地蔵」の名がついたという。目鼻は風化してないが、新潟県妙高村の関山石仏群を連想する迫力のある石仏である。
 汗かき地蔵堂への登り口の古い墓地の崖の岩に薄肉彫りの阿弥陀如来像がある。岩に梯形の窪みを彫り、その中に頭光を有する定印の阿弥陀如来座像を刻んだもので、建武四年(1278)の紀年銘があり、紀年銘のある磨崖仏としては県内最古のものである。

 

 

 

観音山磨崖供養塔婆群   鎌倉時代 弘安八年(1285)

・福島県西白河郡泉崎村踏瀬観音山                  

・アクセス
JR東北線「泉崎」駅下車、北へ3.8q。
自動車  東北自動車道「矢吹IC」より南西0.8q。

・ 二瀬川の北岸の断崖に、巾約30mの枠を7段に設け、内部に石造塔婆や板碑を約320余基、彫りだした搭婆群である。地元では俗に「踏瀬の五百羅漢」と呼ばれいる。現在は東北自動車道の陸橋の下になっている。
 福島県の来迎供養塔で紹介する阿弥陀三尊来迎供養塔や五輪塔以外に種子(梵字)の板碑が現在、215基数えることができる。額部や根部を備える本格的な板碑形式を持つものが多い。
 大正時代の調査によると、梵字「バ」の種子板碑には弘安八年(1285)の墨書の紀年が見られたという。浮き彫りの阿弥陀三尊来迎供養塔以外に彩色の阿弥陀三尊も見られたと言うが、現在、確認できない。

 



福島県の磨崖仏2
福島県の磨崖仏3