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山王山石仏から山腹に沿ってしばらく下ると、日吉神社の参道に出る、その参道を横切り、右手にすすむと、臼杵石仏の白眉といえる古園石仏がある。 「古園十三仏」と呼ばれるように、像高3m近い金剛界大日如来を中心にして左右に各六体の如来・菩薩・明王・天部像の計十三体を、浅く彫りくぼめた龕の中に、厚肉彫りしたものである。もろい凝灰岩に丸彫りに近く彫りだしたため、甚だしく風化・破損して、下半身はほとんどの石仏が下半身を剥落していて、大日如来をはじめとして如来はすべて首が落ちている。(現在は修復され、仏頭は元に戻された。) 臼杵石仏のシンボル的存在である大日如来の頭部は、彩色が残り、新月形の長い眉、ややつり上がった眼、引き締まった口など、端正で威厳に満ちた表情で、豊かな頬から顎にかけての肉取りとともに、見るわれわれを圧倒する。宝冠を欠損するが一部を残した宝髪と冠紐の鮮やかな色が全体を引き締めている。 修復された大日如来は、頭部が下に置かれていた時と比べると、下から見上げるせいか、貞観仏を思わせる厳しさはやや薄まり、藤原仏らしい優雅を見せていてる。 文殊菩薩・観音菩薩など菩薩像はは比較的破損は少なく、昔の面影を残す。文殊菩薩は宝冠には彩色が残り、端正な顔が印象的である。とがった顎など本尊の大日如来と共通する様式である。多聞天や不動明王はやや荒っぽい彫り方であるが、力強い作品である。破損が大きく、多聞天の下半身は別石に彫られている(木彫仏の寄せ木造りのようにつなぎ合わせられたのでは)。 本尊の大日如来や文殊・観音・勢至菩薩などはホキ石仏阿弥陀三尊とともに臼杵ではもっとも古い時期の制作と考えられている。なお、右端の金剛力士像は半肉彫りで、像形も少し劣り、追刻と思われる。 |
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