天降川(新川)は国見岳と霧島連山を水源とし、鹿児島湾に流れ込む短い川である。中流域は急流で美しい渓谷美を誇る。特に紅葉の頃は美しく、渓谷に沿って多くの温泉があり、観光客が絶えない。 その天降川流域には、鹿児島県を代表する磨崖仏・石仏がある。岩堂観音磨崖仏(南北朝時代)と隼人塚四天王石仏(平安後期)がそれである。時代は違うが量感豊かな、いかにも薩摩隼人がつくったという感じの鹿児島らしい石仏である。 このページは天降川流域にある。岩堂観音磨崖仏と隼人塚四天王石仏及び層塔、松永磨崖仏を取り上げた。 |
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赤水岩堂観音磨崖仏 鹿児島県霧島市横川町赤水城ヶ崎岩堂 |
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天降川の中流域は新川温泉郷で妙見温泉や天降川温泉なと風情ある温泉が多くある。その新川温泉郷の北の端がラムネ温泉と塩浸温泉である。ラムネ温泉から北は天降川沿いの道もなくなり天降川は深い渓谷になる。 その渓谷近くの岸壁に岩堂観音磨崖仏がある。岩堂観音磨崖仏へは、谷の北の尾根づたいに細い農道を降りていく。案内板がなければたどり着けない山の中にある。 秘境を思わせる深い谷の大岸壁に、高さ1.4m、幅3.5m、深さ0.5mの龕を穿ち、阿弥陀三尊を厚肉彫りする。中尊は上品上生の阿弥陀如来で非常に量感のある充実した磨崖仏である。左右に観音・勢至の立像がある。 阿弥陀如来といえば、定朝作の平等院阿弥陀如来座像に代表されるような情感豊かな優美な仏といったイメージが強い。しかし、この阿弥陀如来は、逞しく力強く、どことなく上野公園の西郷さんの銅像の顔に似ていて、平等院像とは、また違った阿弥陀如来の慈悲の奥深さを感じられる秀作である。 建武2年(1335)の銘があり、南北朝時代初期の作である。 |
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松永(菅原神社)磨崖仏 鹿児島県霧島市隼人町大字松永 |
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隼人町の日当山温泉付近で天降川は霧島川と合流する。その合流地点から約1km、霧島川を遡った川岸に菅原神社がある。その神社の裏の小さな山の凝灰岩の崖に松永磨崖仏はある。 この崖には浅彫りの龕が各所にみられ。各種の仏像が半肉彫りであらわされている。十一面観音や、不動三尊など多くの仏像が彫られていて、南九州の磨崖仏では一番多くの仏像がある。特に、磨崖の十三仏は珍しく、この磨崖仏の一つの見どころとなってる。 全て浮き彫りに近い半肉彫りの小像であるため迫力に欠けるのが惜しい。十三仏信仰が広がる室町時代以降の作ではないだろうか。 |
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隼人塚の石仏 鹿児島県霧島市隼人町見次 |
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隼人塚は、方形の封土を持つ塚で、奈良時代に隼人平定の後、彼らの霊を慰めるために設けられたという伝説がある。その塚に、3基の破損した層塔(もとは五重層塔と思われる)と石造四天王が置かれている。 四天王は一石彫成の丸彫像で、完全な像は一体で、あとは破損した像と地中に半ば埋まった像である。完全な一体は高さ約1.9m程で、邪鬼がうずくまった方形の座の上に立つ。南の2体は胸より上は土の中に埋まっていて、地上からまるで生えて来たように見える。 四天王の顔は穏やかで、平安時代後期の様式を表している。しかし、この時代の木彫の四天王にない迫力がこの四天王にある。その迫力は、分厚い量感のある兜や肩の幅の大きさに象徴される、"石"の持つ生命力からくるものである。 |