石仏の写真をクリックしてください。拡大写真へつながります。
慶巌寺磨崖三十三観音 長崎県諫早市城見町121 |
||||
・アクセス
|
||||
慶厳寺は江戸時代初期に創建された浄土宗の寺院で諫早城の北の本明川の川岸近くにある。慶厳寺磨崖三十三観音は寺の南の砂岩の崖の岩肌に、舟形の彫り窪みをつくり、三十三体の観音像を、半肉彫りしたもので、各像の像高は40pほどで、明和7(1770)年2月、福田源太夫の母が寄進したものと記銘されている。 江戸時代、西国三十三ヶ所観音の巡礼巡りの信仰の盛行とともに、西国札所の各寺院の本尊の観音を模した観音石仏が並べられ、簡単に三十三ヶ所観音霊場の巡礼巡りができるように、三十三ヶ所観音霊場のミニチュアとして三十三ヶ所観音が一寺院や一山につくられた。多くは単独の小石仏を並べたものであるが、慶厳寺のように磨崖仏で表現したものも見られる。特に福島県には岩谷観音を初め多くの磨崖三十三観音がある。西日本では少なく、広島県竹原市の黒滝山磨崖仏などが知られている。 慶厳寺三十三観音は黒滝山磨崖仏のような岩の荒々しさを生かした個性的な磨崖仏ではないが、丁寧な彫りで、整った端正な磨崖仏である。 |
石仏の写真をクリックしてください。拡大写真へつながります。
久山磨崖三十三観音 長崎県諫早市久山町1159−1 |
||||
・アクセス
|
||||
久山町の小さなアパートの間の路地の突き当たり、丘の麓の岩肌に彫られた磨崖三十三観音である。慶厳寺磨崖三十三観音と同じく、舟形の彫り窪みをつくり、西国三十三ヶ所観音を半肉彫りしたもので、像は慶厳寺磨崖三十三観音より小さく、やや稚拙な表現となっている。慶厳寺磨崖三十三観音と同じく、彩色の跡を残す。 崖面の中央に 「文政十一年子天 二月吉祥日 四良兵工 政五郎 虎五郎 宅次郎 赤松 当所 巡礼中 石工 三次良」の刻銘があり、文政11(1828)年に彫られたことがわかる。石工以外の人名は巡礼の世話人・施主である。他にも施主と思われる在銘が多く見られ、西国三十三カ所観巡礼の普及・広がりがうかがえる。 |