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特に古墳時代にその典型が見いだせる。具体的にいえばそれは、石人・石馬(他の地方では埴輪に当たる)であり、装飾古墳(石室の石に描いた彩画だけでなく線刻や浮き彫りも見られる)である。 熊本・福岡・佐賀には、王塚古墳・竹原古墳・チブサン古墳と日本を代表する装飾古墳があり、鍋田横穴のように岩に浮き彫りで岩に人や武具を彫った、装飾古墳も見られる。また、岩戸山古墳・石人山古墳・チブサン古墳などの石人・石馬が置かれていた古墳もある。また、横穴古墳の石室の壁に観音を半肉彫りした熊本の石貫観音のように古墳と磨崖仏が直接、結びついた例もある。 熊本・佐賀を中心とした北九州の磨崖仏のページを作るにあたって古墳と結びついた石の文化の一端を探ってみた。 |
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石貫穴観音と石貫ナギノ横穴 |
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石貫ナギノ横穴は川岸の高さ7m、全長200mの丘陵にならぶ古墳時代後期の横穴群。48基以上あり、そのうち18基は装飾古墳。装飾は、飾り縁の外側に同心円文・三角文などが赤色で彩色されている。 石貫ナギノ横穴から500mほど離れた、丘陵の山裾に同じく古墳時代後期の石貫穴観音横穴がある。大小5基の横穴で構成され、中央の大型横穴の石室の奥壁に千手観音が半肉彫りされている。平安時代の作と伝えられている。また、その横には千手観音座像石仏(近世の作?)が置かれている。 古墳時代には仏教は伝えられていない。古墳は古代の人々の自然崇拝やアニミズムから生まれたものであり、仏教とは直接的な関係はない。釈迦の称えた「悟り」を説く仏教は、やがて、自然崇拝から生まれたインド古来の神々や伝来地の種々の信仰と結びつき、豊潤な命を育む宗教に展開していく。日本でも例外ではない。磨崖仏の魅力はそのような仏教が、石や岩そのものに対する信仰と結びついた所にある。 したがって、古墳の石室を仏の世界に変えた石貫穴観音は、何の不思議もない当然の結果といえる。実際、古墳の石室・玄室に石仏などの仏像を安置した例は各地に見られる。(奈良県桜井市の文殊院西古墳・東古墳には不動石仏が安置している。石室の壁に仏像などを彫った例は岡山県にも見られる。) 石貫穴観音の千手観音自体は、大分などの磨崖仏と較べると迫力に欠け、ノミの冴えも劣る。しかし、そこには古代から脈々と続く、石に対する信仰が感じられ、魅力的である。(石貫穴観音には2回、訪れたが、いつも花が供えられ、ロウソクが立てられていた。) |
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鍋田横穴 熊本県山鹿市鍋田 |
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7世紀の横穴群。菊池川の支流、岩野川に沿った岩壁に約50〜60基の横穴墓室がある。うち、9基の横穴の入口外壁に線彫り、浮き彫りの彫刻がある。 特に、第27号横穴には多くの彫刻がある。入口のそばには高さ57pの両手両足を大の字に広げ右手に弓を持つ人物像が浮き彫りされ、靭や盾、刀子そして鞆などの武具が彫られている。古代の人々が墓室鎮護の祈りをこめて彫ったものであろう。稚拙な彫刻ではあるが、磨崖仏に通じる人々の岩に対する思いを感じさせる横穴群である。 近くにはチブサン古墳(1日に2回見学できる。詳しくは山鹿市立博物館へ)や銅剣(国宝)をはじめとして多くの副葬品が出た江田船山古墳、各地の装飾古墳のレプリカが置かれた県立装飾古墳館があり、古代史ファンならすとも一度は訪れたいところである。 |
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石人山古墳 福岡県八女市吉田 |
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九州を代表する古墳が集中する場所として上記の江田船山古墳・チブサン古墳のある菊池川流域があげられる。そして、もう一つがここに取り上げた石人山古墳のある八女古墳群である。八女古墳群を代表する古墳が、「磐井の乱」で知られる筑紫君磐井の墓として全国的に知られている九州最大の前方後円墳岩戸山古墳である。 この古墳からは石人・石馬が出土した。この石人・石馬の写真を撮りたくてやってきたのであるが、石人・石馬は東京国立博物館(昔は博物館の庭に置かれていたが現在は室内展示)や近くに建つ岩戸山歴史資料館などの室内にあるため撮影できなかった。レプリカは古墳横に置かれている。 石人山古墳は岩戸山古墳の西に位置し5世紀中頃の前方後円墳である。最も初期の装飾古墳で、みごとな同心円文と直弧文を浮き彫りにした横口式家型石棺がある。また、石室前方に武装石人が置かれている。ともに自由に拝観できる。その他、八女古墳群には、乗り場古墳・弘化谷古墳・丸山古墳などの装飾古墳がある。 |