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北条鉄道の終点「北条町」駅の北にある住吉神社と酒見寺の境内を北進すると北条五百羅漢で知られた羅漢寺にでる。「慶長十五年(1610)二月廿一□」の刻銘を持つ仁王像が入口にひかえている。境内の奥に、約400体に及ぶ五百羅漢石仏が林立している。釈迦三尊・冥界仏・眷属など20数体以外は方柱形の石材に頭部だけ刻みだした羅漢で、他にあまり例を見ない特異な造形美の石仏である。 ほとんどの像は60〜100pの角柱状の石材の上方から頭部を彫りだし、肩から下はほぼ元の角柱のままにして、わずかに手や持ち物などを線刻または板状に薄肉彫りしているだけである。 顔は、釈迦三尊・冥界仏・眷属などを除くと、羅漢と思われる像は、開けているのか閉じているのかわからない不思議なまなざしの目(『モノマニックな眼』と若杉慧氏は表現された。)と鼻筋の通った特色のある鼻、直線または小さな弓形の線で表現した口からなりたっていていて、すべて、共通した表現である。 それでいて、すべて面貌が異なり、一体一体に個性が感じられ、『親が見たけりゃ 北条の西の 五百羅漢の堂にござれ』という古い民謡があるというのもうなずける。 しかし、「文英の石仏」と同じように、作者の個性が感じられ、円空仏や木喰仏の素朴で自由な表現につながる。「文英の石仏」が木喰仏的表現の先駆であるとすれば、ノミの跡が非常に鋭く美しい「北条五百羅漢」は、石仏における円空的表現といえるのではないだろうか。 そして、「北条五百羅漢」も、突如として生まれたものではない。石棺仏に代表される、播磨地方の石造技術の伝統の中から「北条五百羅漢」も生まれたものである。 |
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参照 | |||
金井 竹徳 若杉 慧 |
昭和55年 | 東出版 | |
(『日本の石仏』 山陰・山陽篇) |
坂田 二三夫 | 昭和59年 | 図書刊行会 |