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豊臣秀吉の水攻めで知られた高松城跡のある、岡山市高松地区には、木喰仏を思わせる素朴な作風の石仏が多くある。備中高松駅の北東の真言宗の寺院、持宝院にある十一面観音石仏や備中高松駅の北の高松中島の路傍にある地蔵石仏などがそれである。 これらの石仏には「文英」の刻銘が入っていて、文英という人の作であることがわかる。その他にも「文英」の銘のある石仏は高松中島の民家や高松城跡の西の大崎廃寺跡、にもあり、同じような作風の石仏を加えると、高松地区を中心とした足守川流域に、数十基、存在する。その他、岡山市草ヶ部築山常楽寺や赤磐郡山陽町、赤坂町などにも点在し、100基を越えるものと推定できる。(文英様式の石仏については「吉備の石仏2・文英様石仏」を参照。) 持宝院にある十一面観音石仏には両側に『天文十四年乙巳三月吉日』と『福成寺 文英誌』の刻銘がある。花崗岩の石材に薄肉彫りと線刻で十一面観音をあらわしたもので、顔の部分は光背部を彫りくぼめて、薄肉彫りする。顔は胴体部と比べて大きく、中央の大きな鼻に特徴がある。剣菱形の蓮弁は薄肉彫りであるが、肩や手部は平坦部に線彫りしている。 高松中島の路傍にある文英石仏は、細長い角材に地蔵菩薩と思われる像を薄肉彫りする。石仏の下部に『文英施 天文三年五月』の刻銘がある。胴体部分はほとんど彫られていず、顔だけが石から浮き出たような、一見、不気味な感じの石仏である。この石仏も中央の大きな鼻が目立つ。この石仏の下には、文英様式の地蔵石仏の残欠か置かれている。 大崎廃寺跡にある延命地蔵石仏には、『念佛講文英筆 天文四年乙未五月日』と記されていて、持宝院十一面観音と同じように、頭部は薄肉彫りで、右手に錫杖、左手に宝珠を持つ胴体部や剣菱形の蓮弁は線彫りである。 |
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参照 「吉備の石仏2・文英様石仏」
参照 | 『岡山の石仏』 岡山文庫 | 巌津政右衛門 | 昭和53年 | 日本文教出版 |