姫路市・加東郡・小野市の石棺仏tizu.gif (2477 バイト)




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真禅寺の石棺仏     姫路市別所町北宿

アクセス ・ 姫路バイパス高砂西ICから750m北へ、国道2号線に入り、姫路方面に約1km、 バス停小林付近を北へ約1.3km。
・ 山陽道姫路東ICまたは播但連絡道花田ICより、国道2号線に出て高砂方面へ、バス停小林付近を北へ約1.3km。
・ JR山陽線「曽根」駅から、国道2号線を約1kmでバス停小林。北へ約1.3km。
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阿弥陀座像石棺仏   「文永2年(1265)」 

 真禅寺の本堂前の庭の中央に東面して立つ。高さ1mあまり、幅90cmの家型石棺の蓋石を利用し、像の周辺のみを彫りくぼめて、如来座像を薄肉彫りする。膝のあたりは摩滅して手印はあきらかでないが、おそらく定印の阿弥陀如来であろう。 

 像の左右に「文永二年乙丑」 「十一月十日」の紀年銘があり、在銘石棺仏としては最古であり、播磨の石棺仏では種子の石棺仏を除けば最も古いものである。

 この石棺仏と座仏の輪郭の彫り方、蓮華座の表現などがそっくりな石棺仏が大阪府柏原市山ノ井町の瑠璃光寺にある。瑠璃光寺石棺仏は藤原時代後期の作なので、真禅寺のこの石棺仏は瑠璃光寺石棺仏を真似たものと思われる。

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阿弥陀座像石棺仏   「室町時代」

 真禅寺境内の西側の墓地の真ん中に立っている。高さ130cm、幅74cmの家型石棺の蓋に、阿弥陀如来座像を薄肉彫りする。著しく抽象化された表現の阿弥陀石棺仏で「室町時代」の石棺仏の典型である。衣紋は等高線のような平行線の表現で、蓮台も幾何学的な模様である。

 本堂前の阿弥陀石棺仏や加西市の春岡寺や玉野の阿弥陀座像石棺仏などの鎌倉期の石棺仏はしっかりとした写実的な表現で、薄肉彫りながらボリュームがあり、整った表現になっている。

 これらの石棺仏に比較して室町期のこの石棺仏は、形式化がすすみ、鎌倉期の石仏と較べれば、仏像の表現としては劣っている。しかし、この石棺仏の抽象的・幾何学的表現は、装飾古墳や縄文土器などの原始美術と通じるところがあり、石棺とマッチし、鎌倉期の石棺仏とまた、違った魅力がある。

 宮下忠吉氏は「石棺仏」(木耳社刊)の中で播磨石棺仏についての全体像を明らかにし、石仏表現の変遷をを本堂前の阿弥陀石棺仏などの古典(クラシック)表現からこの阿弥陀石棺仏に代表される抽象(シュール)表現の流れで説明された。そして、このこの阿弥陀石棺仏に代表される抽象(シュール)表現の流れの頂点として「北条羅漢石仏」を位置づけられた。(北条五百羅漢参照)

 確かに、北条羅漢石仏の方柱形の石材に頭部だけ刻みだした「こけし」のような幾何学的・抽象的な表現とこの石仏は通じるところがあるような気がする。


 

福円寺不動三尊石棺仏 「室町時代」
姫路市的形町福泊
アクセス ・ 姫路バイパス高砂西ICから国道250線を姫路方面へ約5km、山陽電鉄的形駅前 を南西に1km。
・ 山陽電鉄的形駅下車。南西に徒歩1km。福円寺裏墓地。
 福円寺裏山の墓地に立つ。組合せ式家型石棺の底石を利用して、不動三尊像をやや厚く薄肉彫りする。(石棺材の高さ約160cm、不動の像高は約1m)

 中尊の不動明王は、異常に肩幅が広く、、誇張した表現に見える。 しかし、矜羯羅童子とセイタカ童子の両脇侍はしっかりとした写実的表現である。不動明王も鼻や口元など顔の一部が剥落しているために、カリカチュアのように見えるのであって、よく見ると、しっかりとした力強い彫りである。石質が赤みを帯びていることと相まって、不動三尊石仏として出色のできばえの石棺仏である。

 製作年代については、江戸時代説と室町時代説があるが、西山光照寺跡などの越前一乗谷の不動石仏と表現がよく似ているので、室町時代ではないだろうか。 

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セイタカ童子
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不動三尊
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矜羯羅童子


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八幡神社毘沙門天石棺仏 「室町時代」
加東郡滝野町河高
アクセス ・ 中国自動車道滝野社ICから北西へ約2km。播磨中央公園の南の八幡神社裏山。  
・ JR加古川線「滝野駅」下車、西へ1.5km。播磨中央公園の南の八幡神社裏山。
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 播磨中央公園の南の八幡神社の裏手の山頂の岩陰にある。小さな石棺底石に、毘沙門天像をやや厚く薄肉彫りする。播磨の石棺仏の中では毘沙門天像はこの一体だけである。

 四頭身で子どものような、かわいらしい毘沙門天でる。しかし、右足を前に踏み出した下半身は力強い。 

 

 

家原阿弥陀石棺仏 「鎌倉後期」
兵庫県加東郡社町家原
アクセス ・ 中国自動車道滝野社ICから南へ1.5km。  
・ JR加古川線「滝野駅」下車、南へ2.6km。
 滝野社インターチェンジの南1.5kmの社町赤岸の交差点の西の道路下の用水路脇にこの阿弥陀石棺仏が立っている。高さ130cm、幅72cmの家形石棺蓋石に、光背として舟形の彫り窪みをつくり、像高95cmの来迎印の阿弥陀立像をやや薄肉彫りしたものである。

 来迎印の阿弥陀立像石仏は大和ではよくみられるが、播磨の鎌倉時代の石棺仏の中では唯一の来迎印阿弥陀立像である。手や衣紋にやや硬さは見られるが、顔は満月相で、鎌倉後期らしい風格をそなえた石棺仏である。

 

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浄土寺地蔵石棺仏 「室町時代初期」
兵庫県小野市浄谷町
アクセス ・ 山陽道三木小野ICから国道175号線を北へ約5.3km、浄谷町南交差点を右折し、約1.4km。
・ 神戸電鉄「小野」駅下車。「市民病院前・図書館前・高山町」経由「天神」行きバス乗車「浄土寺」下車。
 浄土寺は俊乗房重源上人が建立した浄土堂(国宝)と快慶の代表作である阿弥陀三尊立像(国宝)で知られた名刹である。その浄土寺の境内に、この地蔵石棺仏がある。もとは、浄土寺の西の浄谷墓地にあったものである。

 高さ122cm、幅52cmの石棺材(組み合わせ式石棺の底石)の板面の上半に光背を大きく彫り、全面に像高105cmの地蔵立像を半肉彫りする。宝珠と錫杖を持つ延命地蔵尊と思われるが、錫杖部分が摩滅していてわかりにくい。

 大きな鼻で角張った顔、幅一ぱいに、使って上半身をボリューム豊かに表現した体躯など、他の室町時代の播磨石棺仏とは趣を異にする石棺仏である。衣紋などの表現は抽象的であるがのびのびした線が生きている。


1_b2.gif (1021 バイト)播磨石棺仏地図

加西市の石棺仏1 加西市の石棺仏2 加古川市の石棺仏