羅漢石仏の美

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瓜生十六羅漢

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山野五百羅漢

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香高山五百羅漢磨崖仏


 羅漢は正しくは阿羅漢といい、阿羅漢は梵語のアルハット(Arhat)の音訳である。羅漢は「一切の煩悩を断尽して尽智を得、世人の供養を受くるに適当なる聖者をいふ。」(『望月仏教大辞典』)といわれている。つまり、「完全に悟りを開いた功徳のそなわった最上の仏教修行者」(『日本石仏事典』)、悟りを開いた仏弟子たちの尊称である。中国や日本では、この仏弟子たち以外にも、高徳な仏道修業者たちを羅漢に含めている。

 羅漢には十六羅漢・十八羅漢・五百羅漢などがあり、石仏もこの三種が見られる。十六羅漢は仏の命を受けて、長くこの世にとどまって、仏法を守護するという賓度羅跋羅堕闍(ひんどらばらだじゃ)尊者以下、十六人の尊者をさす。五百羅漢は、釈迦滅後の仏典の結集に参加した五百人の羅漢をいう。室町時代以降、特に禅宗とともに羅漢に対する信仰が盛んとなった。

 十六羅漢石仏は江戸時代になって、全国各地に多数つくられた。五百羅漢も十六羅漢ほどではないが関東や九州を中心にいくつかみられる。特に知られているのは、埼玉県の喜多院(川越市)や少林寺(寄居市)、大分県の羅漢寺(本耶馬渓町)や東光寺(宇佐市)などである。これらの寺の多くは曹洞宗などの禅宗の寺で、いずれも比丘形で表現されている。

 羅漢石仏をあっかった本としては、森山隆平氏の『羅漢の世界』(柏出版)や山本俊雄氏の『写真集 羅漢』(木耳社)などがあり、『羅漢の世界』出版以降、喜多院などの羅漢石仏が注目されることになった。喜多院の「ひそひそ話し」をしているような羅漢や酒を飲みかわしている羅漢はよく知られている。

 しかし、私には、これらの羅漢からは、あまり、石仏としての魅力が感じられない。喜多院など関東の羅漢石仏は写真でしか見たことがないが、羅漢寺(本耶馬渓町)や東光寺(宇佐市)などの羅漢石仏は何回か拝観したが、いかにも人間くさい表現で、奇抜な表現も類型化していて、石や岩そのももの魅力や生命を生かし切っていない。人間ドラマとして見た場合、面白いかもしれないが、これらの羅漢には悟りを開いた聖人の深さを表現しているようには思えない。

 それに対して、鎌倉時代から安土桃山時代にかけて作られた、北条五百羅漢やここで取り上げた山野五百羅漢、瓜生十六羅漢石仏、香高山五百羅漢磨崖仏は類型化した江戸時代の羅漢と違った自由な表現で、石や岩の美しさを生かしていて、魅力的である。

 また、江戸時代の作であるが、石峰寺の五百羅漢は異色の画家、伊藤若仲が下絵を描き、石工に彫らせたという、規格を離れた独創的なユニークなものである。また、明治元年に完成したという山形県遊佐町吹浦の十六羅漢岩は日本海まで流れ出た鳥海山の溶岩に彫られた羅漢で、大自然の中の羅漢といった感じて、迫力がある。

 山野五百羅漢や瓜生十六羅漢、石峰寺の五百羅漢など、森山隆平氏の『羅漢の世界』とはまた違った、羅漢の造形美をお楽しみください。
 

 


参照        北条五百羅漢    法済寺羅漢磨崖仏