北条五百羅漢
兵庫県加西市北条町北条1293    「江戸時代初期」
 北条鉄道の終点「北条町」駅の北にある住吉神社と酒見寺の境内を北進すると北条五百羅漢で知られた羅漢寺にでる。「慶長十五年(1610)二月廿一□」の刻銘を持つ仁王像が入口にひかえている。境内の奥に、約400体に及ぶ五百羅漢石仏が林立している。釈迦三尊・冥界仏・眷属など20数体以外は方柱形の石材に頭部だけ刻みだした羅漢で、他にあまり例を見ない特異な造形美の石仏である。古くから「親が見たけりゃ北条の西の五百羅漢の堂に御座れ」と謳われていて石仏の中に、必ず親や子に似た顔があると言われ、全国的に知られた五百羅漢石仏である。
アクセス
・JR加古川線、神戸電鉄粟生線「粟生」駅で、北条鉄道乗り換え、終点「北条町」下車。北西へ徒歩15分で羅漢寺。
・自動車 中国自動車道「加西IC」から西約4km


                   
羅漢
 ほとんどの像は60〜100pの角柱状の石材の上方から頭部を彫りだし、肩から下はほぼ元の角柱のままにして、わずかに手や持ち物などを線刻または板状に薄肉彫りしているだけである。

 顔は、釈迦三尊・冥界仏・眷属などを除くと、羅漢と思われる像は、開けているのか閉じているのかわからない不思議なまなざしの目(『モノマニックな眼』と若杉慧氏は表現された。)と鼻筋の通った特色のある鼻、直線または小さな弓形の線で表現した口からなりたっていていて、すべて、共通した表現である。

 それでいて、すべて面貌が異なり、一体一体に個性が感じられ、『親が見たけりゃ 北条の西の 五百羅漢の堂にござれ』という古い民謡があるというのもうなずける。
 
羅漢像1
 
羅漢像2・3
 
羅漢像4
 
羅漢像5
 
羅漢像6・7
 
羅漢像8
 
羅漢像9
 
羅漢像10
 
文殊菩薩
 
普賢菩薩
 
如来坐像(大日如来?)
 
女性供養者
 
地蔵菩薩
 
閻魔王
 
倶生神
 
冥界尊像
 
 制作年代については、現在、仁王像などの刻銘から慶長年間(1596〜1614)頃の制作と考えられている。作者については不明で、岡山県の「文英の石仏」のように、具体的な人物・作者は全く浮かんでこない。

しかし、「文英の石仏」と同じように、作者の個性が感じられ、円空仏や木喰仏の素朴で自由な表現につながる。「文英の石仏」が木喰仏的表現の先駆であるとすれば、ノミの跡が非常に鋭く美しい「北条五百羅漢」は、石仏における円空的表現といえるのではないだろうか。

 メインページで述べたように、円空仏や木喰仏は石仏も含めた幅広い日本の彫刻史の歴史の中では、異端とはいえない。「文英の石仏」やこの「北条五百羅漢」のような先駆的な彫刻があって、円空仏や木喰仏が存在するのである。

  そして、「北条五百羅漢」も、突如として生まれたものではない。石棺仏に代表される、播磨地方の石造技術の伝統の中から「北条五百羅漢」も生まれたものである。

  宮下忠吉氏は「石棺仏」(木耳社刊)の中で播磨石棺仏についての全体像を明らかにし、石仏表現の変遷を真禅寺本堂前の阿弥陀石棺仏などの古典(クラシック)表現から真禅寺墓地の阿弥陀石棺仏に代表される抽象表現の流れで説明された。そして、真禅寺墓地の阿弥陀石棺仏に代表される抽象表現の流れの頂点として「北条羅漢石仏」を位置づけらている。(播磨の石棺仏「真禅寺の石棺仏」参照)

 また、表現力やノミの鋭さは劣るが、「北条羅漢石仏」と共通した、抽象化された素朴な表現の石仏が加西市付近には何体か見られる。(加西市常行院の薬師堂裏山の石仏群、加西市玉野町薬師堂の地蔵石仏など)



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