|
|||||
|
鳥取県倉吉市の社小学校の前庭に「伯耆国分寺石仏」または「社五体仏」と呼ばれる謎の石仏が5体ある。その内4体は、北条五百羅漢石仏のように、80pほどの角柱状の石材に、顔を大きく薄肉彫りに彫り、首より下は、もとの角柱のままにして、簡略に表現にしている。あとの1体も角柱状の石材ではないが共通した表現である。 ただ、顔の表情などは、異様さでは北条五百羅漢石仏と共通するが、雰囲気や表現は異なっている。どちらかといえば、文英の石仏の表現に近く、木喰的な表現といえる。特に、向かって左の2体は分厚い唇や三日月状の大きな眼の表現は、木喰仏そっくりである。 木喰が彫った石仏であるという説もある。それによると、木喰は寛政十年(1798年)5月から7月に伯耆を訪れていて、その時つくられたのがこの石仏であり、「御やど帳」には寛政十年五月二十日「国分むら、国分寺」の記録もあるという。しかし、あくまでも推論にすぎず、木喰作であるという確証はない。(表現から見ても、左の2体以外は、木喰仏とは異なるように見える。) しかし、「文英の石仏」や北条五百羅漢のように自由で素朴な表現からみて、制作年代は、桃山時代以降と考えられる。そして、作者も専門の石工とは考えにくく、円空や木喰のような、半僧半俗の「ひじり」によって刻まれた可能性は高いのではないだろうか。 |
||||||
|
石仏の写真をクリックしてください。拡大写真へつながります。
参照 | (『日本の石仏』 山陰・山陽篇) |
畠中 弘 | 昭和59年 | 図書刊行会 |