石仏の写真をクリックしてください。拡大写真へつながります。
円成寺の石仏 奈良市忍辱山町 室町時代 |
||||
・アクセス
|
||||
忍辱山には運慶の若き頃の作である大日如来座像(国宝)で知られた円成寺がある。円成寺は奈良時代の創建と伝えられる古寺で、定朝様式の阿弥陀如来や来迎二十五菩薩の壁画が残る阿弥陀堂・史跡にしてされた平安時代の庭園などみどころの多い寺である。 石造物としては平安後期の十三重塔があるが、石仏は室町時代が中心で古いのはない。本堂の西側に三体の石仏が並んでいる。向かって右側から舟形光背を負った厚肉彫り阿弥陀如来、真ん中に永禄元(1558)年の地蔵菩薩(天文十九(1550)年の紀年がある)、左に丸彫りのに近い地蔵菩薩である。三体とも典型的な室町時代の石仏で鎌倉時代の石仏と較べると、衣紋等は抽象的で、様式化が進んでいる。しかし、阿弥陀如来の顔は、張りがあり、魅力的である。 円成寺と国道をはさんだ南の忍辱山墓地にも室町時代の石仏が多くある。特に目を引くのは元亀二(1571)年の七体阿弥陀石仏である。他に九体阿弥陀石仏、五輪塔(元享元(1321)年・重文)などがある。 |
石仏の写真をクリックしてください。拡大写真へつながります。
奈良市大柳生町上出 鎌倉後期 |
||||
・アクセス
|
||||
誓多林から大柳生へ出る白砂川に沿った旧柳生街道に突き出た大岩の岩壁にこの阿弥陀磨崖仏は彫られている。誓多林から大柳生への旧柳生街道は東海道自然歩道に指定されていないため、ほとんどのハイカーは忍辱山へ向かう東海道自然歩道を通るので、この磨崖仏は人の目にふれることは少ない。 岩肌に、高さ約110p、幅約60p、深さ15pの方形を彫りくぼめ、蓮華座上に像高約90pの来迎印の阿弥陀如来立像を半肉彫りする。頭部が大きく4〜5頭身ほどであるが、豊かな包容力のある力強い顔に魅力がある。 |
北出橋阿弥陀磨崖仏 奈良市阪原町中村 南北朝時代 |
||||
・アクセス
|
||||
阪原北出橋近くの白砂川の川岸の大きな岩に彫られている。川の清流と溶け合った風景は素晴らしく、入江泰吉や佐藤宗太郎など多くの写真家がこの風景を撮っている。 方形の枠の中に壺形の光背を深く彫りくぼめて、像高91pの来迎阿弥陀像を半肉彫りしたもので、文和五(1356)年の北朝の年号を刻む。保存状態も良く、南北朝時代を代表する磨崖仏である。品の良い整った顔であるが、上出阿弥陀磨崖仏に比べると力強さに欠ける。 |