笏谷石の造形1 

一乗谷の石仏

朝倉館跡の唐門

復元された城下町

   

朝倉義景墓所
の不動石仏

 福井市の市街地から約10q東南の一乗谷は戦国大名、朝倉氏の城下町としてさかえた地である。昭和42年より発掘調査がおこなわれ、山城や山麓の居館(義景屋敷跡)とともに武家屋敷などの城下町も発掘されほぼ全貌があきらかになり、一乗谷朝倉氏遺跡として国の特別史跡に指定されている。

 この一乗谷には1000体をこえる石仏が城下町の寺院跡や村の石仏堂に残っている。ほとんどが朝倉氏がさかえた天文年間(1532〜55)から永正年間(1573〜92)を中心とした16世紀のもので、そのほとんどが、淡い緑色を帯びた凝灰岩、いわゆる笏谷石を用材としたものである。厚肉彫りの精緻な表現の石仏が多く、この時代の石仏としては出色のものである。

 尊別では、地蔵が圧倒的に多く、ついで阿弥陀・観音・不動と続く。多くは死者の供養のためにたてられたもので、現在、盛源寺や西山光照寺跡などの寺や寺跡、また、鹿俣などの町のはずれの石仏堂に多数、安置されている。また、朝倉義景墓所にも優れた不動石仏がある。(左の写真)

 その中でも大型で特に優れているのが盛源寺の地蔵石仏〔天文6(1537)年在銘〕や不動石仏〔弘治2(1556)年在銘〕、西山光照寺跡の石仏群てある。これらの寺はメインページで説明したように共に天台宗真盛派の寺院で、不断念仏で知られる真盛上人の特異な浄土信仰が背景として考えられる。


小さな写真をクリックしてください。拡大写真につながります。

盛源寺の石仏      福井市西新町



阿弥陀如来



不動明王



十一面観音



地蔵菩薩



阿弥陀如来



毘沙門天

  盛源寺は、朝倉館跡(義景屋敷跡)から一乗谷川を1qほどさかのぼった西新町にある天台宗真盛派の寺院で、真盛上人によって建立されたといわれている。真盛上人の高弟、舜盛上人の墓も残る。

 参道から境内に至るまで二百体ほどの石仏が、所狭しと並べられていて壮観である。中でも境内の不動明王(弘治2(1556)年在銘)、地蔵菩薩(天文6(1537)年在銘)、毘沙門天は、量感もあり、一乗谷の石仏の最高傑作である。参道におかれた石仏も天文・弘治・永禄頃の朝倉氏全盛時代のものである。
・アクセス 
・JR越美北線「一乗谷」下車、南へ徒歩約30分。または福井駅前より「浄教寺」行きバスで「一条小」下車徒歩5分。「鹿俣」行きバスで「西新町」下車すぐ。
・自動車  北陸自動車道「福井」ICより国道158を東へ10分。


西山光照寺跡の石仏      福井市阿波賀中島


 
虚空蔵菩薩



地蔵菩薩


童子


阿弥陀・不動


不動明王


阿弥陀如来


阿弥陀如来
 西山光照寺は一乗谷の北端近くにあった、最澄の創建と伝える古刹を、文明3年、朝倉孝景が真盛上人の高弟、舜盛上人を招いて再興した寺である。江戸時代に福井城下に移され(福井大仏観音のある光照寺)、現在、廃寺となっている。

 本堂・庫裏などの跡があり、本堂跡付近には舜盛上人の供養塔や 虚空蔵菩薩の石仏が残る。本堂跡に至る参道両側には、簡素な石仏堂がつくられ、大永(1521〜28)・天文(1532〜55)・永禄(1558〜80)などの古い銘を残す石仏が40体近く安置されていて、往年の栄華を物語っている。

 地蔵菩薩や阿弥陀如来・不動明王以外に善光寺式阿弥陀三尊や如意輪観音・千手観音なども見られが、完全な石仏は少なく、手足や顔面を欠くものが多い。不動石仏は2体あり、1体は2.5mを越え、一乗谷最大の石仏で天文2年(1533)の銘記がある。この不動明王と脇侍童子像は俗っぽく、人間くさい表情が特色である。特に童子像は印象に残る。

 本堂跡近くにある高さ2mを越える地蔵菩薩は享禄3年(1530)の銘記が残り、参道沿いの石仏堂にある不動石仏と共に端正な石仏である。

・アクセス 
・JR越美北線「一乗谷」下車、徒歩2分。または福井駅前より「浄教寺・鹿俣」行きバス「朝倉資料館前下車徒歩5分。
・自動車  北陸自動車道「福井」ICより国道158を東へ8分。


mark.gif (418 バイト)引接寺・瀧谷寺の石仏 mark.gif (418 バイト)西教寺来迎石仏



 

b03E13.gif (1030 バイト) b03Z0.gif (965 バイト)