笏谷石の造形1
一乗谷の石仏
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盛源寺の石仏 福井市西新町 |
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盛源寺は、朝倉館跡(義景屋敷跡)から一乗谷川を1qほどさかのぼった西新町にある天台宗真盛派の寺院で、真盛上人によって建立されたといわれている。真盛上人の高弟、舜盛上人の墓も残る。 参道から境内に至るまで二百体ほどの石仏が、所狭しと並べられていて壮観である。中でも境内の不動明王(弘治2(1556)年在銘)、地蔵菩薩(天文6(1537)年在銘)、毘沙門天は、量感もあり、一乗谷の石仏の最高傑作である。参道におかれた石仏も天文・弘治・永禄頃の朝倉氏全盛時代のものである。 |
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西山光照寺跡の石仏 福井市阿波賀中島 |
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西山光照寺は一乗谷の北端近くにあった、最澄の創建と伝える古刹を、文明3年、朝倉孝景が真盛上人の高弟、舜盛上人を招いて再興した寺である。江戸時代に福井城下に移され(福井大仏観音のある光照寺)、現在、廃寺となっている。
本堂・庫裏などの跡があり、本堂跡付近には舜盛上人の供養塔や 虚空蔵菩薩の石仏が残る。本堂跡に至る参道両側には、簡素な石仏堂がつくられ、大永(1521〜28)・天文(1532〜55)・永禄(1558〜80)などの古い銘を残す石仏が40体近く安置されていて、往年の栄華を物語っている。 地蔵菩薩や阿弥陀如来・不動明王以外に善光寺式阿弥陀三尊や如意輪観音・千手観音なども見られが、完全な石仏は少なく、手足や顔面を欠くものが多い。不動石仏は2体あり、1体は2.5mを越え、一乗谷最大の石仏で天文2年(1533)の銘記がある。この不動明王と脇侍童子像は俗っぽく、人間くさい表情が特色である。特に童子像は印象に残る。 本堂跡近くにある高さ2mを越える地蔵菩薩は享禄3年(1530)の銘記が残り、参道沿いの石仏堂にある不動石仏と共に端正な石仏である。 |
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