尾道の石仏2(竜王山)

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竜王山霊場 天狗像・石塔

 尾道は林芙美子や志賀直哉が住んだ 「文学の街」として、小津安二郎の「東京物語」や大林宣彦の「転校生」「ふたり」など映画の舞台となった街として、多くの観光客を引きつけている。

 大林宣彦監督の尾道の三部作の「さびしんぼう」で主人公の橘百合子が通う明海女子高等学校のロケ地が市立日比崎中学校である。その日比崎中学校の北にある山が竜王山である。千光寺や済法寺のある千光寺山と栗原川を隔てた西側にある山である。

 日比崎中学校校舎の東の道を北へ進むと大きな石門があり、そこからしばらくすすんだ尾根沿いの広場が竜王山の霊場となっている。そこに、天狗や蔵王権現・不動明王など修験道や密教に関わるの石仏が林立している。この地も「さびしんぼう」のロケ地となっている。.

広島県尾道市潮見町      北緯34度24分36秒 東経133度11分2秒

竜王山の石仏1      

 竜王山は、四国の石鎚山を信仰する人々の修験道場であった。竜王山の霊場の石垣の上には石造りの石鎚社があり、その周りには石鎚権現や修験道に関わる石仏などが数十体、林立する。石鎚山は役行者が開いた神仏習合の修験の道場で、石鎚権現として全国で信仰を集めている。

 蔵王権現は、修験道の本尊で奈良県県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られ、竜王山には多くの蔵王権現石仏がある。蔵王権現は三目二臂か二目二臂で、右手を高く上げて独鈷または三鈷を持ち、左手を腰に当て、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ、憤怒相が一般的である。石仏は全国的に見ると珍しく、知られているものは奈良県の三郷町と大淀町の各1基、国東半島の数基などである。

 石鎚社の石垣の下に大4体の蔵王権現石仏がある。それぞれよく似た像で、二目二臂で右手をあげて杵のような独鈷を持ち、右足を高く蹴り上げ、左足で立つ。テイァラのような冠をかぶり、髪の毛を逆立てた像であるが、顔は太い眉毛であるが憤怒相とは言いがたい独特の顔をしていて、猿回しの猿のようなユーモラスな蔵王権現像である。冠と逆立てた髪が猿回しの猿の帽子のように見える。蔵王権現は石鎚権現として祀られているようで、石造りの祠には蔵王権現が石鎚権現として安置されている。

 参道の石祠には小像ながら憤怒相の迫力のある蔵王権現像がある。また、石垣の片隅にある蔵王権現像の小像は力強く可愛らしい像で、竜王山の蔵王権現の中でも最も印象に残る像である。他に、蔵王権現を浮き彫りにした山型の板碑もある。

 天狗も修験道と関係が深い。天狗のイメージの上には山伏たちのイメージが重なる。天狗が山伏の姿をした話もあれば、山伏が死後天狗になったという話もある。特に石鎚山は天狗と関係が深い。石鎚山の最高峰は天狗岳で、大天狗の別格の「石鎚山法起坊」は役行者の狗名であるといわれている。竜王山には天狗の半肉彫り像を上部に彫った石柱状の塔が4基立っていて、迫力がある。塔の前には力強い天狗の浮き彫り像もある。


竜王山の石仏2      

 竜王山には蔵王権現石仏を初めとして他の地ではあまり見られない石仏が多くある。その一つが五大明王像である。五大明王は不動明王を中心として、東西南北のそれぞれに降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉の四明王を配置したもので、木造では立体曼荼羅として知られる東寺講堂の国宝五大明王像がよく知られている。石仏では関東や信州などでみられるが、西日本ではあまり見られない。

 竜王山の五大明王は浮き彫り像で、不動明王は上部を浅い山型にした板状の石材を使い半肉彫りする。他の明王は船型の半肉彫りである。降三世明王は大自在天とその妃、烏摩を踏みつけて立つ三面八臂像で、軍荼利明王は一面十臂像、金剛夜叉明王は三面八臂像で、それぞれ火焔光背を負う。細部まで丁寧に彫られた明王像である。大威徳明王は不動明王と降三世明王の後ろに隠れるように置かれていて写真を撮れなかったのが残念である。

 不動明王眷属の三十六童子も珍しい石仏である。高さ50pほどの山型の板状の石材いっぱいに各童子を半肉彫りしたもので、像の向かって右に尊名、左に番号を刻む。三列で詰めるように並べていて、一部の像しか写真は撮れない。(愛媛県の岩屋寺や鎌倉の称名寺や西念寺などにも三十六童子石仏はある。)


竜王山の石仏3      

 竜王山の石仏は因島の白滝山の石仏や済法寺十六羅漢磨崖仏と同じく尾道の石工によって彫られたものである。竜王山の石仏は明治から昭和にかけて造立されたと考えられる。天狗を彫った石柱の裏には「明治三十年酉六月二十八日」「願主 光現院 石鎚 森造」とある。石祠にも「明治十二年六月一日」や「願主 石鎚光現院 石鎚森造」の刻銘がある。

 石仏の一つには「尾道石工角田丈平作」の銘がある。尾道市教育委員会の発行する電子書籍「尾道の石造物と石工」によると角田丈平の作品は「明治 12 年(1879)から昭和 11 年(1936)までで 12 点が確認されている。」とある。(なお、竜王山の角田丈平の刻銘のある石仏は教育委員会の調査から抜けている。)また、昭和59年発行の「日本の石仏 山陰・山陽篇」(図書刊行会)では、尊名を墨で黒々と塗られた三十六童子石仏の写真が載せられ、最近の作であると記されている。

 近代の石仏といっても竜王山の石仏の魅力がなくなるわけではない。例えば等身大に近い2体の弘法大師像は石仏と言うより近代肖像彫刻と言ってもよい魅力的で個性的な大師像である。一体は太い眉毛で目を開いて前をしっかり見つめる力強い弘法大師像で、もう一体は穏やかな目で静かに振り返る優しい姿の見返り弘法大師像である。船型光背を背負う一光三尊形式の善光寺式阿弥陀三尊石仏は光背の化仏など詳細まで丁寧に彫られた石仏で、台座には跪き阿弥陀如来を仰ぎ見て祈る男女像が彫られている。

 竜王山には珍しい尊容の石仏も多くある。摩利四尊天と刻銘のある石仏は三面六臂の猪にのる通常の摩利支天像とは違い、一面で手を智拳印のような印(智拳印とは左右の手が逆)を組む二臂の像となっている。また、天主大日如来と刻銘のある像は鉄腕アトムのような宝冠をかぶっている。十一面観音像は頭上で頭光のようにアーチ状になった羽衣のようなものをまとった珍しい像である。

 また、竜王山には火焔光背を背負い、両手で矛のようなもの斜めに持った像や朝鮮の石人のような姿の像など尊名がわからない石仏が多くある。朝鮮の石人風の石仏の一体は左手で蓮華を持ち右手で金剛杵(独鈷)を持ち、もう一体は左手で蓮華を右手で数珠を持つ。

 石造りの石鎚社への階段の左右に僧の浮き彫り像かある。向かって左の像は上品で穏やかな表情の僧で、像の向かって右には栗原村大興山十世の銘、左には徳音上人の銘が刻まれている。大興山は十六羅漢磨崖仏のある曹洞宗法済寺の山号であるが、禅宗では上人とは言わない。




白滝山の石仏 白滝山・黒滝山の磨崖仏 尾道の石仏1