大野川流域の磨崖仏3 |
大化切小野谷磨崖仏 大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 |
室町時代 不動明王高217p 凝灰岩 |
豊肥本線緒方駅の南6qの山中にある。国道502号線、緒方井上付近から県道634号線を南に1380mほど行った所に今山磨崖仏という案内板があり、その案内板に沿って1100mほど行くと神社に到着する。そこから案内板に沿って、細い山道を下ると切小野谷とよばれる谷にたどり着く。大化切小野谷磨崖仏は谷を少し上った東を向いた高さ約4bの垂直な岸壁にある。高さ2.6b幅1.16bの龕を彫り、中に不動明王立像を半肉彫りする。胸には垂れた両乳房が刻まれている。おそらく、昔は乳のでない婦人の参詣を集めていた、いわゆる乳不動であったと思われる。 |
大化五重谷磨崖仏 大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 |
江戸時代 観音菩薩立像高95p 凝灰岩 |
大化五重谷磨崖仏は神社から切小野谷磨崖仏ヘ下りる山道を途中で右にそれて進んだ谷の小さな丸木橋を渡った崖の上に彫られている。凝灰岩の岩肌に二重光背状に彫り窪みを作り両手で蓮華を持った像高1mの観音菩薩立像を半肉彫り出したもので、彩色が鮮やかに残っている。切小野谷磨崖仏に比べるとより稚拙な表現であり、江戸時代の作と思われる。 |
上坂田磨崖仏 大分県竹田市上坂田 |
江戸時代末期 不詳像高251p 凝灰岩 |
豊肥本線竹田駅から西約10q、竹田市炭竈の宮城簡易郵便局の北西の山中の石窟に彫られている。上坂田東公民館の西200mに小さな鳥居があり、そこが上坂田磨崖仏への入り口である。そこから山道を数百b上ると上坂田磨崖仏のある石窟に着く。 高さ3m、幅6m、奥行き6mの石窟の向かって右の側壁の一番奥に半肉彫りした像で、通称「安楽様」「しょうりょう様」などといわれている。 大きな顔に三角形の鼻が彫られ、口から歯をむき出し、両肩から羽根をはやしていて、 胴は作られていない。 山岳信仰との関係が考えられるが、詳しいことはわからない。石窟内に「嘉永6丑年(1853)」の銘がある。大きいだけでなく、不気味な凄みのある像である。 |
上畑磨崖仏 大分県竹田市上畑 桑迫 |
室町時代末期 像高63〜110p 凝灰岩 |
竹田市炭竈の宮城台小学校の西の約600m上畑へ向かう道の北の山中にある。案内板が道沿いにあり、そこから急な階段を上ると、岩肌に張り付くように作られたお堂が見えてくる。凝灰岩の崖に、4つの深い龕を作り、13体の像を厚肉彫りに彫り出されている。メインとなるのは右から2つ目の第二龕で、像高110pの釈迦如来立像を中尊に左に地蔵菩薩(像高108p)右に観音菩薩(像高108p)を刻む。写実的な所もあるが、衣紋等の表現は形式的で室町末頃の制作と思われる。しかし、彩色が残り、4頭身で、こけしのような素朴な味わいのある三尊である。他の3つの龕には併せて5組の夫婦像と思われる比丘・比丘尼像が刻まれている。 |
碧雲寺磨崖仏 大分県竹田市会々字城北 |
江戸初期 阿弥陀座像(高100m) 観音・勢至菩薩(高80p) 凝灰岩 |
豊肥本線竹田駅の西1.2q、徒歩10分。岡城城主中川家の菩提寺の碧雲寺の墓所の東端の奥の岩石に線彫りの三体の像が刻まれている。結跏趺坐する定印の阿弥陀如来像と、 脇侍として右に観音、 左に立膝する勢至菩薩の来迎形式の阿弥陀三尊である。陰刻の線は柔らかい丸みを持っている。造立年代については南北朝説、江戸初期説などがある。 |
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