大野川流域・大分県南部の磨崖仏1 |
普光寺磨崖仏(県指定史跡) 大分県豊後大野市朝地町大字上尾塚 |
鎌倉時代 不動明王座像 高約8m 多聞天立像 高約3m 凝灰岩 |
普光寺の本堂から谷を隔てた、高さ20m、幅10mの大岸壁に、高さ約8mの巨大な不動明王像と2童子が彫られている。不動は右手剣、左手索の半肉彫り座像である。遠くから見ると扁平な印象を受けるが、近づくとかなり量感が感じられる。線彫りの像をのぞくとわが国の磨崖仏では最大教の巨像である。一面に紫陽花の花が咲いた谷を隔ててこの赤茶色の磨崖仏を見た時の印象は忘れられない。 |
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菅尾磨崖仏(史跡・重文)大分県豊後大野市三重町浅瀬 |
平安後期 千手観音(高198p) 凝灰岩 |
豊肥本線菅尾駅の北西1.5q、徒歩20分。小高い山の中腹に覆堂があり、向かって右から千手観音・薬師・阿弥陀・十一面観音と多聞天(これだけ半肉彫り)の五体の磨崖仏が刻まれている。 千手観音から十一面観音までの四像は丸彫りに近い厚肉彫りで、臼杵石仏とならぶ木彫的な藤原調の石仏として知られている。この磨崖仏は昔から「岩権現」といわれており、紀州熊野権現を勧請したもので、四像は熊野権現の本地仏である。 |
木下磨崖仏 大分県豊後大野市大野町十時木下 |
南北朝時代 薬師如来像(高63p) 凝灰岩 |
国道57号線沿いの大野町の中心地から北西の大野町十時木下にある。十時バス停から徒歩20分のもと吉祥庵と称された禅堂があったと伝えられる付近の、南面の岸壁に彫られている。岸壁面の下部に、高さ50pの長い壇を作り、壇上の壁面に、幅560p高さ108pの長い龕を彫り込み、中に比丘形6体と如来形2体 ・菩薩像2体が厚肉彫りされている。 向かって右端には別の龕があり、願主と思われる大きめの比丘像が彫られている。国東の県指定の堂の迫磨崖仏が思い起こされる。 |
田野磨崖仏 大分県佐伯市宇目大字重岡字田野 |
明和7(1770)年 阿弥陀如来像(高80p) |
豊後大野市の中心地三重町から国道326号線を南へ進み峠を越えると宇目町(佐伯市大字宇目)である。この地は大野川流域ではなく宮崎県延岡の太平洋岸に流れ込む北川流域である。田野磨崖仏のある重岡田野は豊後と日向を結ぶ昔の街道沿いの村で、この磨崖仏は旅人の安全を祈願するために彫られたという。地上から3.5mの位の岸壁に像高80pほどの阿弥陀如来立像を舟形光背形の彫り窪みをつくりそこに半肉彫りしたもので、江戸末期の素朴な愛らしい顔の像である。岸壁正面には「南無大師遍照金剛」と大きく名号が刻まれている。 |
払川磨崖仏 臼杵市中尾払川 |
江戸時代 阿弥陀如来像(高166p) 釈迦如来像・文殊菩薩騎獅像(丸彫) |
臼杵石仏の尾根を隔てた南、祓川の集落の中ほどに慈航庵という寺跡があり、磨崖仏や石仏、石塔などが多く見られる。像高160pの阿弥陀如来以外の磨崖仏は摩滅が激しく像種は判断できない。阿弥陀如来磨崖仏は半肉彫り近い浮き彫りで、ほとんど摩滅もない。他に、丸彫りの釈迦如来像や大きな獅子に乗った文殊菩薩像がある。各像は衣紋等の表現は硬く伸びやかさに欠けるが、各像とも穏やかな素朴な顔で江戸時代の磨崖仏としては優れた磨崖仏・石仏である。 |