大野川流域の磨崖仏2
(豊後大野市)

 



 柏野磨崖仏  大分県豊後大野市清川町平石柏野

 江戸時代  不動明王立像(高113p)  

 国道326号線の豊後大野市清川町天神から県道410号線を南へ6.6qへ進み、斜め左に折れて0.9qへ行った三叉路付近に、柏野磨崖仏の案内板がある。その案内板横の道を少し上ると柏野磨崖仏である。擬灰岩の岩肌を舟形に彫りくぼめ、右手に剣を持ち、左手に羂索を持った不動明、王立像が半肉彫で彫り出した磨崖仏である。顔は憤怒相とは言いがたく、苔むした姿で、素朴で愛嬌のある不動磨崖仏である。江戸時代の作と推定される。




 石源寺磨崖仏  大分県豊後大野市清川町六種石原

  室町時代  不動明王像(高170p) 薬師如来像(高74p) 阿弥陀如来像(高76p) 

 柏野磨崖仏と同じく国道326号線の豊後大野市清川町天神から県道410号線を南へ進み、天神から5.3q地点で右折し、案内板に従って1.3q農道を行くと石源寺磨崖仏にたどり着く。山裾に上の崖から落ちたと思われる高さ・幅3.5m、厚さ3.1mの巨大な岩塊の三方に仏像を彫ったものである。
 正面(南面)には不動三尊、南東角に釈迦如来、東面に薬師如来、西面に阿弥陀如来を半肉彫りしている。南面と東面には石造宝形造り風の庇屋根の覆堂が設けられ、西面には阿弥陀如来像の上に小さな庇が作られている。摩滅が進み、不動三尊や阿弥陀如来は顔や着衣が不明瞭になっている。釈迦如来に至っては像が大きく二つに分かれ、欠損がひどい。一番当時の姿を残しているのが東面の薬師如来像で、穏やかな面相である。彫りは伸びやかさに欠け形式的な所から見て、室町時代の作と思われる。




宮迫東磨崖仏 (史跡)     大分県豊後大野市久士知

平安後期 伝大日如来座像高約265p 不動明王像高約180p 凝灰岩

  豊肥本線緒方駅南約2.5q、徒歩30分。近くには豊後のナイアガラとよばれる原尻の滝がある。低い丘陵斜面の東南に彫られた石窟の奥壁に、大日如来と伝えられている如来形座像を中尊として右に不動明王立像、左に持国天像を厚肉彫りする。その左右の壁面に一体は破損しているが、仁王立像の半肉彫り像が刻まれている。
 中尊の如来像は臼杵のホキ阿弥陀像に比肩する巨像であるが、 ホキ阿弥陀如来のような森厳さはなく、茫洋としていて、親しみを覚える。大陸的な風貌で、どことなく東大寺三月堂の梵天像に雰囲気が似ている。 この像は、右手施無畏印、 左手与願印であるから、釈迦如来、または薬師如来か阿弥陀如来と考えられるが、豊後地方では如来形大日と伝えられるものがあり、熊野磨崖仏大日如来、 元町磨崖仏如来形像とともにこの本尊もその一つである。




宮迫西磨崖仏 (史跡)      大分県豊後大野市久士知

 平安後期  薬師、釈迦、阿弥陀如来座像 高145p 凝灰岩

  宮迫東磨崖仏から100mほど離れた小高い丘の中腹の大きな石龕の中に釈迦・阿弥陀・薬師の三如来の丸彫りに近い厚肉彫りがある。いずれも基壇、台座、仏像の三段から構成されている。 いずれも彩色されており、 螺髪は方眼状に刻出されているところなど、やや形式的な作風が見られる。 保存状態は非常によく、仏身や光背に原初の色彩や文様が残っている。



瑞光庵磨崖仏      大分県豊後大野市緒方町越生

  江戸時代  高約198p  凝灰岩

 豊肥本線緒方駅の北東、1.5q、徒歩20分。田んぼを横切って、坂を上ると、深く大きな岩窟がある。その奥に、異様な雰囲気の不動明王像が刻まれている。 目はつり上がり、大きな口をくいしばって、 右手に剣、左手に羂索を持っている。 火焔と唇の赤と剣と歯の白の色が鮮やかである。 近世の地方的な作であるか、庶民のエネルギーを感じさせる磨崖仏である。


 

大野川流域の磨崖仏3
大野川流域の磨崖仏1