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伊賀の石仏1

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中之瀬磨崖仏     三重県伊賀市寺田中之瀬    鎌倉時代

 伊賀上野から東へ、木津川の支流、服部川に沿って伊賀街道(国道163号線)が津に通じている。その川沿いの道の北側のそそり立つ岩壁に中之瀬阿弥陀三尊磨崖仏が彫られている。本尊は像高2.5mの巨像で来迎印の阿弥陀如来立像を薄く半肉彫りしたもので、鎌倉時代のおおらかで雄壮な磨崖仏である。

 放射光を刻んだ頭光背など、柳生のあたい地蔵と呼ばれる阿弥陀如来立像磨崖仏に表現は似るが、あたい地蔵に較べると、口元が大きく、素朴で力強い面相である。

 脇侍の観音菩薩と勢至菩薩は、線刻像で、後世の追刻である。他に、不鮮明であるが、阿弥陀三尊の左右に線刻の不動明王と地蔵菩薩立像が彫られている。

  アクセス
鉄道・バス 近鉄伊賀線「うえのし」駅下車。「上野産業会館前」より三重交通バス「汁付」または「坂下」行きに乗り、バス停、「岡山口」下車。国道163号線を西へ。
自動車 名阪国道「中瀬」ICより、国道163号線を東へ2.5q。


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寺田毘沙門堂北向三体地蔵磨崖仏
        
三重県伊賀市南寺田    南北朝時代初期

 伊賀上野の東、上野市南寺田の集落の山裾に毘沙門寺が建っている。この寺の前の細い山道を300mほど進むと、道の右側に横長の大きな岩がある。岩に横長の長方形を彫りくぼめ、敷茄子つきの蓮華座に座し、右手で、短めの錫杖を斜めにして持つ地蔵菩薩を3体、厚肉彫りにする。整った端正な地蔵菩薩で印象的である。

 北向きにあるため、陽がささず、自然光ではなかなかよい写真が撮れないが、趣のある石仏である。同時代のよく似た地蔵菩薩が寺田の集落の地蔵堂にもある。敷茄子つきの蓮華座に座し、短めの錫杖を斜めにして持つ、地蔵菩薩(正和3〔1314〕年銘)は久居市の宝樹寺にも見られる。

 

アクセス

鉄道・バス 近鉄伊賀線「うえのし」駅下車。「上野市駅」より三重交通バス「汁付」行きに乗り、バス停、「岡山口」下車。北へ1q。
自動車 名阪国道「中瀬」ICより、国道163号線を東へ1.5q。南寺田より北東500m。



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地福寺地蔵石仏 三重県伊賀市荒木  室町時代後期
 
 北向三体地蔵磨崖仏のある上野市南寺田と服部川を挟んで南にある集落が上荒本である。その上荒本に真言宗豊山派の地福寺という寺があり、その入り口の地蔵堂にこの地蔵石仏がある。

 高さ3m幅1mあまりの大きな石の角に円形の彫り窪みをつくり、岩座に半跏で座る地蔵菩薩を厚肉彫りしたもので、右手で錫杖を持ち、左でで宝珠をかかげる延命地蔵である。元は服部川の川岸にあったという。
アクセス
鉄道・バス  近鉄伊賀線「うえのし」駅下車。「上野市駅」より三重交通バス「汁付」行きに乗り、バス停、「荒本」下車。東へ750m。
自動車  名阪国道「中瀬」ICより、国道163号線を東へ1.3q。

 

 

おもん地蔵   三重県伊賀市長田    鎌倉時代後期

 国道163号線のバス停「長田」付近から谷あいへの細道を下ったところに、このおもん地蔵がある。

 おもん地蔵は、舟形の光背を背負った高さ160pほどの右手に錫杖を、左に宝珠を持った、地蔵立像と、小さな地蔵を2体を脇侍として彫った三体地蔵である。右脇侍の地蔵は宝珠を持ち、右脇侍の地蔵は両手を胸前に上げて合唱する。
 
 主尊の頬の張った四角の顔が、かわいらしく、印象に残る。『日本の石仏ー近畿篇ー』ではおもん地蔵の脇侍は掌善童子・掌悪童子としているが、左脇侍が宝珠を持つところから見て、三体とも地蔵と考えられる。

 

アクセス

鉄道・バス 近鉄伊賀線「上野市」駅下車。「上野産業会館前」より三重交通バス「中矢」行き(1日5本)に乗り、バス停「長田」下車。または、近鉄伊賀線「にしおおて」駅下車。西へ徒歩3q。
自動車 名阪国道大内ICより北、4q。市場より西へ500m。国道163号線に入りすぐ。


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見とどけ地蔵石仏 三重県伊賀市長田三軒家  南北朝時代

 伊賀上野の市街地から、国道163号線を西へ4qほど行ったところに、三軒屋と呼ばれる小さな集落がある。「三軒家」のバス停のすぐ北、農家の裏の小高い所に、小さな稲荷神社があり、その神社の横に、この三体地蔵石仏がまつられている。

 長田のおもん地蔵と同じように、花崗岩を舟形に彫り、大きな地蔵と脇侍の小さな地蔵を半肉彫りにしたもので、中尊の地蔵は蓮花座に立ち、右手に錫杖、左に宝珠を持つ典型的な姿の地蔵である。右の地蔵は宝珠を持ち、左の地蔵は胸の前で合掌する。おもん地蔵よりは厚肉に彫られていて、ふっくらとした暖かみの感じられる顔である。現在立派な覆堂がつくられ、大切に祀られている。

  アクセス
鉄道・バス 近鉄伊賀線「上野市」駅下車。「上野産業会館前」より三重交通バス「中矢」行き(1日5本)に乗り、バス停「三軒家」下車。
自動車 名阪国道「上野」ICまたは大内ICより北へ。国道163号線に入り、西へ3q。

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中村薬師堂磨崖仏    三重県伊賀市島ヶ原村中村  鎌倉時代後期

 JR関西線「島ヶ原」駅から東踏切を北へこえ、しばらく行くと、道の左手に大きな石に六地蔵を彫りつけた石仏がある。(慶長9(1604)年の刻銘)その石仏の前を右手に下りたところに薬師堂がある。薬師堂の扉の内すぐに岩面があり、薬師如来座像と、阿弥陀三尊が半肉彫りされている。

 堂でおおわれているため、保存状態は良く、光背と衲衣が朱と黒で彩色されている。鎌倉時代の石仏にしては力強さに欠けるが、やわらかい素朴な表現の磨崖仏である。

 この中村薬師堂の北には東大寺の二月堂の修二会(お水取り)とよく似た修正会が行われる正月堂(観菩提寺)がある。

 

  アクセス
JR JR関西線「島ヶ原」駅下車。北へ徒歩1q。
自動車 名阪国道「上野」ICより国道163号線に入り、西へ。JR関西線「島ヶ原」駅、北1q。

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花の木三尊磨崖仏 三重県伊賀市大内   徳治元(1306)年

 上野市大内の花の木小学校の校門を入ってすぐ、校庭の右側に廃道があり、その廃道沿いに巨大な岩塊が露出している。その南面に幅220p、高さ148pの長方形を彫りくぼめ、像高約1.2mの三体の立像を厚肉彫りする。

 向かって右から、釈迦・阿弥陀・地蔵で、釈迦は施無畏・与願印、阿弥陀は来迎相、地蔵は錫杖・宝珠を持つ。各尊の間には蓮花瓶を浮き彫りに配している。地蔵の上部に「徳治第一年九月日 願主沙弥六阿弥」の刻銘があるという。(摩耗していてるため、見た目ではわからない。)各尊とも、写実的で力強い秀作である。  

 

アクセス

鉄道・バス 近鉄伊賀線「上野市」駅下車。「上野産業会館前」より三重交通バス「桃香野」行き(1日4本)に乗り、バス停「花の木小学校前」下車すぐ。または、「上野産業会館前」より三重交通バスまたは奈良交通バス「天理」行き(1日10本)、または三重交通バス「菅生」行きに乗り、「国道大内」下車。徒歩で西へ1q。
自動車 名阪国道大内ICより、国道25号線を西1q。


守田地蔵十三仏 三重県伊賀市守田町1383
                       永正15年(1518)・永正17年(1520)

 名阪国道の上野ICのすぐ南に九品寺という寺があり、門前の道を丘陵に沿って南に350m進んでいくと、左手てに守田十三仏の彫られた扇形の大きな岩見えてくる。岩の向かって右手上部に舟形後背を掘りくぼめ像高63pの半肉彫りの地蔵立像があり、その左側岩の中央には高さ106p、幅約40pの長方形の枠の中に半肉彫りされた三列四段の十三仏がある。

 地蔵菩薩の下には永正15年(1518)の銘、十三仏の枠の外には永正15年(1520)の銘があるとされているが肉眼では判読できなかった。

 

  アクセス
JR 近鉄伊賀線「上野市」駅下車。「上野市駅」より三重交通バス「名張駅前」行きに乗り、「上野インター」下車。南へ300m。
自動車 名阪国道「上野」Iの南南西400m。

 

 

参照 『石仏』 清水俊明 昭和54年 講談社
『関西石仏めぐり』 清水俊明 平成9年 創元社


石山観音磨崖仏 竹成五百羅漢 伊賀の石仏2



 

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