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三重県の西部、伊賀地方は、古くから京都や大和、近江や伊勢を結ぶ交通の要地であり、、奈良時代には伊賀国分寺・国分尼寺が建立された。平安後期から鎌倉時代は、平家の拠点として、また東大寺の荘園として、大和や京都と深いつながりがあり、東大寺中興の祖、重源によって立てられた新大仏寺に代表されるように仏教文化の栄えた地である。 伊賀地方には大和と同じように地蔵石仏も多くあり、上野市寺田には鎌倉末期〜南北朝時代の作の三体地蔵磨崖仏と地蔵石仏が、上野市寺内には童顔のオモン地蔵と呼ばれる三体地蔵がある。 名張の東南の美杉村飯垣内は、平家の落武者が住み着いたと伝えられる地で、平家六代墓(日神墓地)なるものが伝わっている。平家六代墓には地蔵・阿弥陀・釈迦・五輪塔などの石仏石塔が十数基あり、中心となっている阿弥陀石仏は三重県でも最も優れた石仏の一つで、引きしまった美しい面相が印象的である。(美杉村は伊賀ではなく伊勢であるが、飯垣内は名張に接していて、名張から入った方が近いので「伊賀の石仏2」のページに入れた。)
阿弥陀磨崖仏を中心に約50体近く磨崖仏と、尾根の上からの見る鈴鹿や周辺の山々の景色は、壮観で、石仏愛好者ならずとも訪れたい所である。
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