宮崎県の磨崖仏 |
|
宮崎県には、大分や鹿児島ほど多くはないが、いくつかの磨崖仏がある。特に古いのは、国富町にある本庄磨崖仏と野尻町の東麓磨崖仏である。本庄磨崖仏は大分県の大野川流域の磨崖仏と同じように百済僧日羅の作と伝えられている。通称「岩薬師」といわれている東麓石窟仏は、石窟内に薬師三尊と十二神将を彫った興味深い磨崖仏である。 また、南部の日南市や串間市にも磨崖仏が散在していて、観光地としても知られる鵜戸神宮には不動磨崖仏や十王磨崖仏が見られる。 |
小さな写真をクリックしてください。拡大写真につながります。
|
||||||
鎌倉時代 阿弥陀 像高約131p 勢至 像高約68p 観音 像高約75p | ||||||
宮崎県の南部、串間市の鹿谷に鎌倉時代の阿弥陀三尊磨崖仏がある。鹿谷の集落の西300m、県道ぞいの、高さ約250p、幅約220pの大きな凝灰岩の岩に阿弥陀三尊を厚肉彫りしたものである。道からやや下がったところにあるためうっかりすると見過ごしてしまう。 阿弥陀如来像は、摩滅のためか、他の鎌倉時代の磨崖仏と比べると鋭さや厳しさがないが、面長の優しそうな目をした顔がすばらしい。額付近が右から左に斜め帯状に剥落しているため、正面から見ると顔を傾けているように見える。 三尊像の左に石塔があり、「願以此功徳、普及於一切、我等与衆生、皆共成仏道」の願文と「永仁六年(1298)」の年号が墨で書かれている。また、その横には、一石に彫られた五輪塔があり、これも市指定有形文化財である。 なお、この磨崖仏には「鉄砲の腕を自慢するため、向かいの飯盛山から三尊に鉄砲を撃ちかけ、観音にあたり、天罰を受け狂い死んだ。」という伝説が残っている。(「串間の民話と伝説」串間市教育委員会参照) |
||||||
|
東麓石窟仏 西諸県郡野尻町東麓新町 県史跡 |
||||||
鎌倉時代? 薬師如来 像高約50p 脇持・十二神将 像高約20p | ||||||
高岡町と小林市を結ぶ国道268号の野尻大橋の西1.3qにある、珍しい石窟(石龕)式の磨崖仏である。通称、岩薬師といわれる。国道が整備された結果、石窟は国道の下のコンクリートのトンネルの奧になってしまった。 奥行き1.6m、高さ2mほどの半円形の小さな石窟に、高さ約50pの薬師如来と高さ20pほどの脇侍の月光・日光菩薩と十二神将を半肉彫りする。入口左右には供養者と思われる比丘座像が彫られている。 薬師像は左目や鼻が欠けていて、顔はゆがんだように見える。しかし、体部はすっきり整っていて、小像ながら力強い表現の十二神将とともに、南九州を代表する磨崖仏といえる。 |
||||||
|
本庄石仏 東諸県郡国富町田尻 県史跡 |
鎌倉時代? 如来座像 像高高約4m |
本庄石仏は、国富町田尻の南の松森山の岩肌に半肉彫りされた像高4mをこえる巨像の磨崖仏である。薬師如来と伝えられるが、体部の摩滅が激しく、印相は右施無畏のみが確認できるだけで薬師像とは判じ難い。内側に花弁のような飾りがある二重の円光の光背を背負う頭部は、横に広い穏やかな顔容である。 |
|
鵜戸神宮の磨崖仏 日南市宮浦鵜戸鵜戸山 日南市文化財 |
明和元(1764)年・明和二(1765)年 像高127p(不動明王) |
鵜戸神宮は山幸彦、海幸彦の物語で知られる山幸彦(彦火火出見尊〔ひこほほでみのみこと〕)と海神のむすめ豊玉姫命〔とよたまひめのみこと〕の子どもの「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」を祀る神社で、国定公園日南海岸の風光明媚な海岸にあり、参拝客・観光客が絶えない。明治以前は「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と称した寺院でもあった。 その鵜戸神宮駐車場の南西側の小さな山の岩肌に、不動明王磨崖仏と閻魔王磨崖仏と四天像と称される磨崖仏がある。(新駐車場の登り口に案内板がある。)「鵜戸山仁王護国寺」の第47世の別当隆岳が明和元年(1764)から同2年に仏師延寿院に彫らしたのがこれらの磨崖仏である。 参照 串間延寿院の石仏 |
|
小さな写真をクリックしてください。拡大写真につながります。
参照文献 |
|