大和高原の石仏U
 
 国道25号線のバイパスとしてできた名阪国道の開通によって工業団地やゴルフ場があちこちにでき大和高原も変わったが、田畑や小高い山が点在するのどかな景色はあまり変わっていない。ここでは国道25号線と名阪国道の周辺の石仏・磨崖仏を紹介する。大和高原から一般国道の25号線と三重県亀山まで並走している。

 天理の市街地付近から大和高原へ上る道は名阪国道と一般国道25号線は並走せず少し離れていて、25号線は石上神宮付近から布留川に沿って上る道である。その途中の天理市苣原町には十三仏板碑で最も大型で優れたものとして知られている「大念寺十三仏板碑」がある。名阪国道は西名阪道に引き続いてまっすぐ大和高原に向かうが途中で大きく北へ大きく迂回して急坂を登って行く、その急坂にあるのが五ヶ谷ICである。このあたりは旧五ヶ谷村(現在は奈良市)で米谷・中畑・興隆寺・南椿尾などの集落があり、「南椿尾地蔵磨崖仏」「米谷不動磨崖仏」がある。

 天理市の名阪国道福住ICのある福住町で一般国道25号線と名阪国道は交差しこの後、一般国道の25号線は時々、交差しながら並走している。福住町の下入田・浄土・別所には「下入田阿弥陀石仏」「十王石仏」「泥かけ地蔵」「七廻峠地蔵石龕仏」がある。

 天理市福住町の東は「一本松IC」「針IC」のある奈良市針町で、その針町の南が山辺高校や都祁水分神社のある旧都祁村(現在は奈良市)である。旧都祁村の南之庄(奈良市都祁南之庄)にある歓楽寺には鎌倉時代の地蔵石仏がある。旧都祁村の藺生(奈良市藺生町)の南の桜井市の小夫嵩方・三谷方面に抜ける山道には「三谷寝地蔵磨崖仏」がある。

 大和高原の東の端を名張川が流れていて、大和高原の川の多くが名張川や名張川の下流の木津川の流域になっている。西名阪の五月橋ICの近くの名張川岸の岩壁には「治田地蔵十王磨崖仏」がある。
大和高原の石仏T   大和高原の石仏V



   
大和高原の石仏12 大念寺十三仏板碑
奈良県天理市苣原町1221  「天文24(1555)年 室町時代」
 大和の十三仏板碑で最も大型で優れたものとして天理市苣原町の大念寺十三仏板碑が知られている。室町時代後期の天文24(1555)年の紀年銘を持つ。天文年間は生駒谷・平群谷の十三仏碑が多数造られた時期であること、大念寺と同じ融通念仏宗の寺院は十三仏板碑のある石福寺・興融寺をはじめとして生駒谷・平群谷には多いことなど生駒谷・平群谷の十三仏碑との共通点が見られる。高さ198p、上幅52p、下幅47pで頭部を山形に造る。天蓋を設けた下に虚空造菩薩、その下四段三列に十二尊像を半肉彫りで配する。像容・蓮華座とも丁寧に彫られていて好感が持てる。
アクセス
近鉄・JR「天理」駅より天理市コミュニティーバス「下山田」行きバス乗車(1日4本)、「苣原」下車。
自動車  名阪国道「福住IC」より国道25号線を南へ3.9q。


 
大和高原の石仏13 南椿尾地蔵磨崖仏
奈良県奈良市南椿尾町 「江戸初期」
 名阪国道「五ヶ谷」ICの西1.9qの「椿尾町」のバス停付近の道の上手に地蔵石仏がある。その地蔵石仏横の細い道を登ったところに地蔵岩がある。地蔵岩には地蔵・阿弥陀の双仏・阿弥陀・梵字仏・五輪塔・宝篋印塔・など合計43点が刻まれていて、五輪塔に江戸初期の「元和元(1615)年」の刻銘がある。地蔵岩の右上の地蔵像が最も大きく、作風もよい。船型の彫り窪みをつくり、錫杖と宝珠を持った厚肉彫り地蔵立像である。岩肌に藤の木が巻き付いていて、野の仏らしい風情を見せている。
アクセス
・JR・近鉄「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「五ヶ谷」下車、徒歩23分( 北へ550m左折して、県道47号線を1.4qで「椿尾町」バス停。)
・またはJR「奈良」駅(東口)or近鉄「奈良駅」より「天理駅」行きバス乗車、「下山」下車。奈良市コミュニティバス「米谷集会所」行きバス乗車(1日4本)「椿井町」下車。
・またはJR「帯解」駅or「下山」バス停よりタクシー約4〜5qで「椿尾町」バス停。(タクシー手配必要)
自動車 名阪国道「天理東」ICより.3.6qで「椿尾町」バス停(ICより北西に1.3q、右折して北東へ1.3q。県道47号線に入り東へ約1q)
または名阪国道「五ヶ谷」」ICより北へ550m左折して、県道47号線を1.4qで「椿尾町」バス停。



   
大和高原の石仏14 米谷不動磨崖仏
奈良県奈良市米谷町 「室町時代」
 名阪国道にかかる薬師橋の谷あいの巨岩に、高さ35cmの火焔形を彫りくぼめ岩座上に立つ像高88cmの不動立像を半肉彫りする。 胸の所に{「カーン」 と不動明王の種子を刻む。

 形式化した室町初期の作風であるが、谷沿いの高さ3mを越える巨岩に彫られいるため、岩自体の魅力が迫力のなさを  補っている。
アクセス
JR・近鉄「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「五ヶ谷」下車。東へ徒歩1qで薬師橋の下。
JR「奈良」駅(東口)or近鉄「奈良駅」より「天理駅」行きバス乗車、「下山」下車。奈良市コミュニティバス「米谷集会所」行きバス乗車(1日4本)「米谷集会所」下車。北東へ徒歩0.8qで薬師橋下。
自動車  名阪国道「神野口IC」より北北西へ9q。(IC出て東へ進みすぐに左折して県道214号線と県道245号線を西北西に3.3q、右折して大和高原広域農道を2.4q、左折して県道80号線を西へ1.1q。「津越」バス停手前で右折。津越の集落内を縦断して布目湖の湖岸道路を2.1q。)



     
大和高原の石仏15 下入田阿弥陀石仏
奈良県天理市福住下入田 「応長元年(1311) 鎌倉後期」
  福住ICの北、国道25線の道の横の川沿いにある。自然石に壺形光背の彫りぼみを作り、像高94cmの阿弥陀来迎立像を半肉彫りする。 自然石の屋根石を置き、頂上に宝珠のように丸石を載せている。
アクセス
近鉄・JR「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「福住」下車。北へ0.2q。
または近鉄・JR「天理」駅より天理市コミュニティーバス「下山田」行きバス乗車(1日4本)、「下入田(自由乗降区間)」下車。
自動車  名阪国道「福住IC」より北へ0.2q。



大和高原の石仏16 浄土の十王石仏
奈良県天理市福住町浄土 「江戸時代」
 福住浄土の都祁氷室神社の近くの道端に、 総高160cmの笠石仏形式の十王石仏がある。身部表面に枠取りをして三段に十一体の像を半肉彫りする。上段中央の像は阿弥陀像で、他は笏を持ち道服を着た座像の十王像である。年号を刻むが摩滅して読めない。江戸中期の作と思われる。近世になると各王を一体ずつ別々に彫ったもののほか、このように1つの石に10体を全部彫刻したものや、石祠や石憧の各面に10体を分けて彫刻しているものが多く見られるようになる。
アクセス
近鉄・JR「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「福住」下車。北へ0.7q(国道25号線を北へ0.5q、左折して県道186号線を0.25q)。
または近鉄・JR「天理」駅より天理市コミュニティーバス「下山田」行きバス乗車(1日4本)、「浄土」下車。北西へ250m。
自動車 名阪国道「福住IC」より北へ0.5q、左折して県道186号線を0.25q。



   
大和高原の石仏17 泥かけ地蔵
奈良県天理市福住町別所    「明徳元年(1390) 南北朝末期」
 長福住町別所の北の端、街道脇の三叉路にこの双仏石は立つ。 明徳元年の造立で、双仏石としては最古最大である。 阿弥陀の西方浄土に往生するには地蔵の慈悲にすがらねばならないので、このような双仏石はつくられた。

 大和にはこのような双仏石は多くみられる。泥をかけて安産を祈る風習によって、泥かけ地蔵」と呼ばれる。
アクセス
近鉄・JR「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「福住」下車。北へ0.7q(国道25号線を北へ0.5q、左折して県道186号線を2q)。
または近鉄・JR「天理」駅より天理市コミュニティーバス「下山田」行きバス乗車(1日4本)、「浄土」下車。県道186号線を2q。
自動車 名阪国道「福住IC」より北へ0.5q、左折して県道186号線を2q。



   
大和高原の石仏18 七廻峠地蔵石龕仏
奈良県天理市福住町別所  「建長5(1253)年」
 福住別所から帯解方面へ抜ける旧道の七廻峠にある(別所から約600m)。花崗岩の荒切石を組み立てて石龕を作り、その中に、像高148cmの地蔵菩薩を安置する。

 地蔵は二重円光背を負って、錫杖と宝珠を持つ姿を厚肉彫りたもので、力強く迫力のある地蔵石仏である。大和を代表する地蔵石仏の一つである。今は通る人もほとんどいない街道にあるが、峠の守り神として造立されたもので、荒切石の石龕と共に、山中の峠という環境が、野性味と豪快さを際立たせている。

 光背面に「建長五年癸丑十一月七日造立之中臣勢国弘也」と達者な銘文が刻まれている。
アクセス
近鉄・JR「天理」駅より「針インター」「山辺高校」行きバス乗車(1日5本)、「福住」下車。北へ0.7q(国道25号線を北へ0.5q、左折して県道186号線を、西へ0.6q)。
または近鉄・JR「天理」駅より天理市コミュニティーバス「下山田」行きバス乗車(1日4本)、「浄土」下車。県道186号線を1.8q、西へ0.6q。
自動車 名阪国道「福住IC」より北へ0.5q、左折して県道186号線を1.8q。西へ徒歩0.6q。



   
 
大和高原の石仏19 三谷寝地蔵・阿弥陀磨崖仏
奈良県桜井市三谷小字下の佛  「延慶2(1309)年」
寝地蔵の脇に立つ地蔵石仏は建武2年(1335)の造立
 奈良市都祁地区の藺生町から桜井市の小夫嵩方・三谷方面に抜ける旧道の藺生峠の林の中に阿弥陀磨崖仏と地蔵磨崖仏がある。高さ3mをこえる大きな花崗岩に阿弥陀と地蔵を彫ったものだが、石が割れて左の地蔵の方だけ転落して、横向きになっている。

 120cmの船型を彫りくぼめ、錫杖と宝珠を持つ端正な像高102pの地蔵菩薩立像を半肉彫りする。 地蔵は横になったままで、「ネンゾ(寝地蔵)」と呼ばれている。

三谷阿弥陀磨崖仏はもとは、 寝地蔵と2体の対になった磨崖仏であった。 高さ約60cmの二重光背を彫りくぼめ蓮華座に座す定印阿弥陀如来を半肉彫りする。端正な表情の整った石仏である。寝地蔵の左右の岩面に藺生(いう)の住人祐禅浄覚房が延慶2年(1309)造立した旨が刻まれている
アクセス
近鉄「榛原」駅より「針インター」行きバス乗車(1日10本)、「並松」下車、南へ3.2q。
自動車  名阪国道「針IC」より国道369号線を南へ0.5qで右折して、道沿いに1.9q。



   
 
大和高原の石仏20 歓楽寺地蔵石仏
奈良県奈良市都祁南之庄町1124  「元亨2(1322)年」
 歓楽寺は、南ノ庄集落の南にある高野山真言宗の寺院で、本堂は鄙びた民家風の建物である。本堂東南の山裾に、小さな覆屋があり、その中に三体の地蔵が安置されている。

 三体の真ん中にある地蔵が都祁地区で最も古い元亨2(1322)年の年号銘を持つ。高さ1mほどの長方形の花崗岩の石材に枠いっぱいの彫り窪みをつくり、像高80pの、錫杖と宝珠を持つ地蔵を半肉彫りしたもので、七廻峠地蔵石仏のような豪快さや力強さに欠けるが、整った姿の穏やかな面相の地蔵である。
アクセス
近鉄「榛原」駅より「針インター」行きバス乗車(1日10本)、「南之庄東口」下車。西南西へ290m。
自動車  名阪国道「針IC」より国道369号線を南へ0.5qで右折して、道沿いに1.9q。



     
大和高原の石仏21 治田地蔵十王磨崖仏
三重県上野市治田 「室町時代」
 名阪国道「五月橋インター」の東方、名張川に沿って南へ2qばかり進むと、名張川の右岸にある山添村村立のキャンプ場がある。そのキャンプ場の対岸に大小の岩壁が見える所がある。その岩壁の向かって右端の岩面に薄肉彫りと線刻を組み合わせて彫られた大きな地蔵立像がある。地蔵菩薩の右下と左下に十王像が彫られている。治田地蔵十王磨崖仏である。

 地蔵立像は右手に錫杖、左手に宝珠を持つ姿で、衣紋の線は大まかで、顔も品位が感じられず鎌倉期の磨崖仏に比べると劣る。しかし、川岸の岩の魅力と高さ4mという大きさがそれを補い、一見の価値のある磨崖仏である。像の左右の十王は左が閻魔王、右が太山王である。

 近くに吊り橋があり、歩いて対岸に渡ることができ、近くの岩に残りの十王が彫られていることか確認できる。下流に高山ダムがあるため雨期には下方が水没してしまう。
アクセス
伊賀鉄道「上野市」駅より「国道山添」行きバス乗車(1日5本)、「五月橋」下車。名張川沿いに東へ1.6qで治田磨崖仏の対岸へ。
自動車  名阪国道「五月橋」ICより東へ2q(国道25号線北へ0.5q右折して県道758号線を名張川沿いに1.5q)で治田磨崖仏の対岸へ。



大和高原の石仏T   大和高原の石仏V