大和高原の石仏 |
青垣山に囲まれた奈良盆地の、東に広がる開けた標高400〜500mの高原台地が大和高原である。 丘陵には茶畑、 点在する小さな盆地には水田が広がる、素朴な風土のひなびた高原である。自治体で言えば奈良市東部と天理市東部・桜井市東北部・山添村・宇陀市北部地域である。宇陀山地・室生山地のある宇陀市・曽爾村などを含めて大和高原とする場合もある。 この地は ”闘鶏(つげ)の国” として、飛鳥時代から栄えた地で、 室生寺をはじめ、 神野寺など飛鳥・奈良時代の文化財を持つ古刹がある。石仏でも 飯降磨崖仏という白鳳時代の石仏 (火災のため、ひどく荒れて像の判別もつきにくい。)がある。 その他、 大野寺弥勒磨崖仏をはじめとして鎌倉期の秀作の地蔵・阿弥陀・弥勒の石仏・磨崖仏が多くのこり、 石仏愛好家にとっては見逃せない地である。 ここでは大和高原の石仏を3地区に分けて紹介する。最初は「大和高原の石仏T」として高原北部の県道奈良名張線(80号線)沿いの「切りつけ地蔵」「的野阿弥陀如来」などがある大和高原北部の石仏を紹介する。(大和高原北部では柳生に向かう柳生街道沿いに、地獄谷石窟仏・春日石窟仏・ほうそう地蔵など優れた石仏が多くあるが、「柳生街道の石仏」として別ページで紹介しているので除く)。そして名阪国道と国道25号線周辺の「七廻峠地蔵石仏」「三谷寝地蔵」など大和高原中部の石仏を「大和高原の石仏U」として、「大野寺磨崖仏」「向淵三体地蔵」などがある国道165号線周辺の宇陀市の石仏を「大和高原の石仏V」として紹介する。 大和高原は全般に交通の便が悪く、 バスの便も少 ない。観光の要素もほとんどなく、静かな素朴な山村 である。バスと徒歩で、石仏をめぐるには、バスの時刻と石 仏の場所をしっかり調べて行く必要がある。案内板 もほとんどない。だからこそ、秘境めいた素朴な風土 を味わわせてくれる。このページの石仏もそのような 所にある。しかし、名阪国道が開通し、広域農道など道路も整備され、自動車で、石仏をめぐるには便利になった。ほとんどの石仏が車で目前まで行ける。 |
大和高原の石仏T 大和高原の石仏U 大和高原の石仏V |
大和高原の石仏T |
奈良市街地から県道奈良名張(80号)線を東へ進み大和高原の急な断層崖を登ると奈良市田原地区である。茶畑の広がる山里で大安麻呂の墓碑が発見され全国的に知られるようになった。河瀬直美監督の映画「殯の森」の舞台としても知られている。田原地区の南田原集落の外れには伊行恒の作の阿弥陀磨崖仏や鎌倉時代の地蔵石仏がある。 田原地区の中心地から県道奈良名張線を7qほど進むと布目川にかかる大橋があり、その下流がダム湖の布目湖である。その布目川や布目湖周辺には「的野阿弥陀磨崖仏」や「峰寺毘沙門天・不動磨崖仏」「のど地蔵(弥勒石仏)」「常照院阿弥陀石仏」など鎌倉〜室町時代の磨崖仏・石仏が多くある。ここから7qほど東へ進むと名阪山添ICに着く。その途中の道沿いの茶畑の側の岩には「ほうらく地蔵」と呼ばれる磨崖仏がある。 |
大和高原の石仏1 切りつけ地蔵 | |||
奈良市田原南田原町 「元徳3年(1331) 鎌倉後期」 | |||
地元の人が「きりつけ地蔵」とよんでいる阿弥陀磨崖仏である。 花崗岩壁に高さ、約2mの長方形を深く彫り込み、蓮華座上に立つ来迎相の阿弥陀像を厚肉彫りする。像の両脇奥壁に、石大工伊行恒が彫刻したことを刻む。行恒は有名な伊派石工の一人で、 和歌山県地蔵峰寺地蔵石仏(重文)など鎌倉後期を代表する石仏を残している。 いずれも、木彫仏に劣らない、丁寧な技法の熟達した作品である。右には追刻の弥勒磨崖仏 (室町時代)もある。 | |||
|
大和高原の石仏2 南田原地蔵石仏 | |||
奈良市田原南田原町 「建長年間 鎌倉時代」 | |||
南田原の川沿いの橋のたもとにこの地蔵石仏が立っている。高さ110mの長方形の石材に、二重光背を彫りくぼめ、 高さ73cmの地蔵を半肉彫りしている。 もとは笠石が載っていたらしい。顔は摩滅しているが、整った姿の鎌倉期様式の地蔵石仏である。「建長□年‥‥」 とかろうじて読める刻銘がある。 | |||
|
大和高原の石仏3 牛ヶ峰六地蔵磨崖仏 | |||
奈良県山辺郡山添村牛ヶ峰 「室町時代」 | |||
布目湖の東岸にある共同墓地の入り口の階段横に牛ヶ峰六地蔵磨崖仏がある。もとは少し南のダムによって水没した川べりの辻にあったものである。道を挟んだ墓地の向かいは線彫りの大日如像のある牛ヶ嶺岩屋桝形への参道登山口となっている。 高さ80p、幅2mほどの平たい岩に高さ50p、幅115pの枠を彫りくぼめ、像高43pの六地蔵を半肉彫りする。小さな磨崖仏であるが一体一体丁寧に彫られていて、左から合掌・古式・幡・柄香炉・梵篋(ぼんきょう)・錫杖と宝珠の姿の地蔵である。 |
|||
|
大和高原の石仏4 牛ヶ峰大日磨崖仏 | |||
奈良県山辺郡山添村牛ヶ峰 「室町時代」 | |||
牛ヶ峰六地蔵磨崖仏がある墓地の道路を挟んで向かいは、牛ヶ峰大日磨崖仏のある牛ヶ嶺岩屋桝形への参道登山口となっている。 道の右側に「桝形石」と書い
た案内板と昭和になって造られた地蔵石仏がある。そこが、牛ヶ峰への登り口である。 そこから整備された急な登山道を500m程、登ったところ、牛ヶ峰の山頂近くにこの磨崖仏がある。高さ6m、幅13m、 奥行き6mほどある巨大な岩の西南に向かう岩肌に、智拳印を結ぶ金剛界大日如来座像を線刻する。 |
|||
|
大和高原の石仏5 のど地蔵 | |||
奈良市月ヶ瀬桃香野 野堂 「建長7(1255)年 鎌倉時代」 | |||
布目ダムのダム湖の東岸の山添村腰越より東に 800mほど入った谷あいの一角、茶畑の脇にこの石仏が立っている。ここは山添村と旧月ヶ瀬村(現在は奈良市)の市町村境で、石仏があるところは月ヶ瀬である。石仏は二重光背をつくり、 像高107cmの如来像を高肉彫りしたものである。右手は施無畏印、左手は触地印で、当来仏(将来仏)としてあらわされた、 弥勒菩薩(如来)である。この地方の小字、「野堂」から、「のど地蔵」と呼ばれている。 | |||
|
大和高原の石仏6 峰寺不動明王・多聞天磨崖仏 | |||
奈良県山辺郡山添村峰寺257 「南北朝時代(建武5<1338>年・室町時代?」 | |||
大橋の東にある東山郵便局の南の丘陵の東の山裾の集落が峰寺で、村の中ほどの小高いところに六所神社がある。六所神社は六所権現とも称され、境内の岩石に祭神の本地仏の多聞天と不動明王が彫られている。不動明王は社殿から向かって左側の岩肌に彫られていて、高さ97cmの火焔光背を彫りくぼめ、岩座に立つ像高75pの右手に剣、左手に羂索を持つ、 不動明王立像を半肉彫りする。像の脇に「建武四年四月七日」の刻銘がある。迫力はないが味わいのある姿である。 多聞天は社殿の左奥の斜面の岩肌に、 高さ70cm 舟形光背を彫りくぼめ、 岩座に立つ像高40cmの多聞天立像を半肉彫りする。右手は腰にあて、左手は外側に高く上げ、宝塔を持つ。不動明王より少し下った頃の造立と思われる。 |
|||
|
大和高原の石仏7 的野不動磨崖仏 |
奈良県山辺郡山添村大字的野 「南北朝時代」 |
大橋から南へ布目川に沿って2kmほど行ったところの道端の大きな岩に、高さ38cmの火焔形を彫りくぼめ、右手に剣左手に羂索を持つ不動立像を半肉彫り する。小像ながら、張りのあるしっかりとした姿の磨崖仏である。昔、右手の岸壁にあったものが、転げ落ちてその場にまつられてきたもので、「転び不動」と言われている。この付近の集落が的野である。 |
大和高原の石仏8 常照院阿弥陀石仏 |
奈良県山辺郡山添村的野 「建長5(1253)年 鎌倉時代」 |
山添村の的野には建長5(1253)年の造立銘のある常照院阿弥陀石仏がある。自然石の表面に蓮華座に立つ、上品下生の来迎印の像高1mの阿弥陀像を厚肉彫りしたものである。赤黒い色が目立つためじっくり見ないとわからないが、肉付けや面貌は写実的である。笠石は上面山形状の自然石である。像の脇に「建長五年丁未十月造立」の刻銘がある。 |
大和高原の石仏9 的野地蔵磨崖仏 |
奈良県山辺郡山添村的野 「正安5年(1303)」 |
的野集落南端の民家の近くに、道に突き出た大きな花崗岩の岩があり、そこに彫られている。高さ108mの舟形光背ほ彫りくぼめ、 錫杖・ 宝珠を持つ、 地蔵菩薩を厚肉彫りする。立派な錫杖頭で蓮華座の正面の蓮弁は二枚重ねになっている。僧侶のような人間くさい面相の地蔵である。向かって左に「正安五年三月十日 信賢 信順 」の刻銘がある。 |
大和高原の石仏10 的野阿弥陀磨崖仏 |
奈良県山辺郡山添村的野 「鎌倉後期」 |
布目川の岸の岩にこの阿弥陀磨崖仏は彫られている。 舟形光背を彫りくぼめた中に、蓮華座に立つ像高150cm程の来迎印阿弥陀像を厚肉彫りする。布目川の清流越しに見る、八頭身近いすらっとした長身の姿は印象的である。鎌倉後期の造立と思われる。 |
的野の石仏へのアクセス |
JR「奈良」駅(東口)or近鉄「奈良駅」より「北野」行きバス乗車(1日7本)、「大橋」下車。布目川にそって県道25号線を南へ。 大橋から1.8qで不動磨崖仏。不動磨崖仏から東へ110mで常照院阿弥陀石仏。不動磨崖仏から県道25号線を南へ240mで地蔵磨崖仏。地蔵磨崖仏から100mで阿弥陀磨崖仏。 |
自動車 名阪国道「小倉IC」より北へ6q。(ICより国道25号線に出てすぐ左折して県道127号線を北へ1.8q。左折して西へ1.4q。右折して県道25号線を北へ2.6qで阿弥陀磨崖仏。阿弥陀磨崖仏から100mで地蔵磨崖仏。地蔵磨崖仏から北へ240mで不動磨崖仏。そこから東へ110mで常照院阿弥陀石仏。) |
大和高原の石仏11 ほうらく地蔵 | |||
奈良県山辺郡山添村北野字下堂 「建武5年(1338) 南北朝初期」 | |||
北野と大塩との道筋のなかぼど、茶畑のはずれの大きな岩にこの地蔵磨崖仏が彫られている。 高さ1mの舟形光背を彫りくぼめ、像高78cmの錫杖 ・宝珠を持つ地蔵を半肉彫りする。衣紋などは形式化が見られるが、 整った姿の地蔵磨崖仏である。地元の人は「ほうらく(法楽)地蔵」と称している。 | |||
|