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このページでは碧雲寺磨崖仏と長湯線刻磨崖仏の線彫りの磨崖仏と江戸時代の磨崖仏を紹介します。豊後大野市や竹田市には上坂田磨崖仏や瑞光庵磨崖仏のような庶民のエネルギーを感じさせるユニークで迫力のある江戸時代の磨崖仏があり、この地域の磨崖仏は興味が尽きません。大野川流域ではないが、豊後大野市と隣接する臼杵市・佐伯市の払川磨崖仏と田野磨崖仏も載せました。 | ||||
大野川流域の磨崖仏T |
大野川流域の磨崖仏(11) 碧雲寺磨崖仏 |
大分県大分県竹田市会々字城北 「南北朝時代〜江戸時代初期」 |
阿弥陀三尊 |
阿弥陀如来 |
勢至菩薩 |
観音菩薩 |
豊肥本線竹田駅の西1.2q。岡城城主中川家の菩提寺の碧雲寺の墓所の東端の奥の竝立した3個の岩石に線彫りの三体の像が刻まれている。結跏趺坐する定印の阿弥陀如来像と、 脇侍として右に蓮台を捧げる観音、 左に立膝して合掌する勢至菩薩の来迎形式の阿弥陀三尊である。陰刻の線は柔らかい丸みを持っている。造立年代については南北朝説、江戸初期説などがあり、案内板には江戸時代以前と記されている。現在、碧雲寺磨崖仏のある岡藩主中川家墓地は「おたまや公園」として開放されている。 |
大野川流域の磨崖仏(12) 長湯線刻磨崖仏 |
大分県竹田市直入町大字長湯 「室町時代」 |
観音菩薩座像 |
観光案内所などがある長湯温泉の中心街から北北東に2.5q、馬門という小さな集落があり、県道と集落の道のあいだの窪地の凝灰岩の岩肌に、線刻五輪塔形が2基、彫られている。向かって左の五輪塔の内部には冠をかぶって密印を結ぶ比丘像(金剛界大日如来という説もあり)が彫られている。 右の五輪塔の内部にはここで画像をアップした観音座像が彫られている。躰部の割に顔が顔が小さい斜横向きの座像で、水月観音又は白衣観音と見られる。頭部は周囲を彫り沈めて陽刻し躰部、着衣は線彫りである。全体に素人くさい彫刻であるが、観音の着衣や躰部の線はのびやかである。 |
大野川流域の磨崖仏(13) 上坂田磨崖仏 |
大分県竹田市上坂田 「嘉永6年(1853)」 |
豊肥本線竹田駅から西約10q、竹田市炭竈の宮城簡易郵便局の北西の山中の石窟に彫られている。上坂田東公民館の西200mに小さな鳥居があり、そこが上坂田磨崖仏への入り口である。そこから山道を数百b上ると上坂田磨崖仏のある石窟に着く。 高さ3m、幅6m、奥行き6mの石窟の向かって右の側壁の一番奥に半肉彫りした像で、通称「安楽様」「しょうりょう様」などといわれている。 大きな顔に三角形の鼻が彫られ、口から歯をむき出し、両肩から羽根をはやしていて、 胴は作られていない。 山岳信仰との関係が考えられるが、詳しいことはわからない。石窟内に「嘉永6丑年(1853)」の銘がある。大きいだけでなく、不気味な凄みのある像である。 |
大野川流域の磨崖仏(14) 瑞光庵磨崖仏 |
大分県豊後大野市緒方町越生 「江戸時代」 |
豊肥本線緒方駅の北東、1.5q、徒歩20分。田んぼを横切って、坂を上ると、深く大きな岩窟がある。その奥に、異様な雰囲気の不動明王像が刻まれている。 目はつり上がり、大きな口をくいしばって、 右手に剣、左手に羂索を持っている。 火焔と唇の赤と剣と歯の白の色が鮮やかである。 近世の地方的な作であるか、庶民のエネルギーを感じさせる磨崖仏である。 |
大野川流域の磨崖仏(15) 大化五重谷磨崖仏 |
大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 「江戸時代」 |
大化五重谷磨崖仏は神社から切小野谷磨崖仏ヘ下りる山道を途中で右にそれて進んだ谷の小さな丸木橋を渡った崖の上に彫られている。凝灰岩の岩肌に二重光背状に彫り窪みを作り両手で蓮華を持った像高1mの観音菩薩立像を半肉彫り出したもので、彩色が鮮やかに残っている。切小野谷磨崖仏に比べるとより稚拙な表現であり、江戸時代の作と思われる。 |
大野川流域の磨崖仏(16) 柏野磨崖仏 |
大分県豊後大野市清川町平石柏野 「江戸時代」 |
国道326号線の豊後大野市清川町天神から県道410号線を南へ6.6qへ進み、斜め左に折れて0.9qへ行った三叉路付近に、柏野磨崖仏の案内板がある。その案内板横の道を少し上ると柏野磨崖仏である。擬灰岩の岩肌を舟形に彫りくぼめ、右手に剣を持ち、左手に羂索を持った不動明、王立像が半肉彫で彫り出した磨崖仏である。顔は憤怒相とは言いがたく、苔むした姿で、素朴で愛嬌のある不動磨崖仏である。江戸時代の作と推定される。 |
大野川流域の磨崖仏(17) 払川磨崖仏 |
大分県臼杵市中尾払川 「江戸時代」 |
臼杵石仏の尾根を隔てた南、祓川の集落の中ほどに慈航庵という寺跡があり、磨崖仏や石仏、石塔などが多く見られる。像高160pの阿弥陀如来以外の磨崖仏は摩滅が激しく像種は判断できない。阿弥陀如来磨崖仏は半肉彫り近い浮き彫りで、ほとんど摩滅もない。他に、丸彫りの釈迦如来像や大きな獅子に乗った文殊菩薩像がある。各像は衣紋等の表現は硬く伸びやかさに欠けるが、各像とも穏やかな素朴な顔で江戸時代の磨崖仏・石仏としては優れたものである。 |
大野川流域の磨崖仏(18) 田野磨崖仏 |
大分県臼杵市中尾払川 「明和7(1770)年 江戸時代」 |
豊後大野市の中心地三重町から国道326号線を南へ進み峠を越えると宇目町(佐伯市大字宇目)である。この地は大野川流域ではなく宮崎県延岡の太平洋岸に流れ込む北川流域である。田野磨崖仏のある重岡田野は豊後と日向を結ぶ昔の街道沿いの村で、この磨崖仏は旅人の安全を祈願するために彫られたという。地上から3.5mの位の岸壁に像高80pほどの阿弥陀如来立像を舟形光背形の彫り窪みをつくりそこに半肉彫りしたもので、江戸末期の素朴な愛らしい顔の像である。岸壁正面には「南無大師遍照金剛」と大きく名号が刻まれている。 |