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大分県は磨崖仏の宝庫である。臼杵磨崖仏・熊野磨崖仏をはじめ、70箇所以上もあり、その1/4以上は、国指定の特別史跡・史跡・国宝・重要文化財・県指定史跡になっており国内の主要な磨崖仏の大半は大分県にあると言っても過言でない。 大分県の磨崖仏の所在地は、大きく3地区に分けることができる。その中で一般に知られているのが、熊野磨崖仏を中心とした県北部の宇佐・国東半島地区と臼杵磨崖仏を中心とした県南部臼杵地区である。もう一つが、県中部の大野川流域地区である。 大野川の下流は大分市で国の史跡・重要文化財に指定されている元町磨崖仏・高瀬磨崖仏などがある。(下流の磨崖仏は「大分市の磨崖仏」で紹介する。)中流・上流域は豊後大野市と竹田市で国の史跡・重文に指定されている菅尾磨崖仏や、テレビのコマーシャルで全国的に知られるようになった県指定史跡の普光寺磨崖仏などがある。 このページはこの豊後大野市・竹田市の磨崖仏を取り上げている。菅尾磨崖仏・宮迫東磨崖仏・宮迫西磨崖仏は平安時代後期の、普光寺磨崖仏は鎌倉時代の磨崖仏で、三重氏・緒方氏・大野氏などの武士化した在地領主と深い関係があると考えられる。 これらの在地領主は宇佐八幡宮大宮司職をめぐって宇佐氏と争い敗退した宇佐大宮司家大神氏が宇佐八幡宮関係の荘園に入り込み在地領主化したもので、これらの在地領主が荘民への信仰対象として、磨崖仏や寺院を造立したものであると考えられる。 これらの磨崖仏の作者として「日羅」の名が伝説的作者として伝わっているが、日羅は実在の僧ではなく、造立の責任者を仮に名付けたものであり、造立者は大神氏の庶流であり、その経済力は宇佐八幡宮の神宮寺である弥勒寺を母胎にしていると考えられる。 国東半島の寺々は伝説的作者として「仁聞菩薩」の名かでてくるが、これは宇佐宮宇佐氏が建てた寺々で、 それに対して臼杵と大野川流域の石仏は主に弥勒寺大神氏がたてたのであろう。 また、豊後大野市・竹田市には上坂田磨崖仏や瑞光庵磨崖仏のような江戸時代の庶民のエネルギーを感じさせるユニークで迫力のある磨崖仏もあり、興味深い。江戸時代の磨崖仏は大野川流域以外では臼杵市中尾の払川磨崖仏、佐伯市宇目の田野磨崖仏などがある。江戸時代の磨崖仏は「大野川流域の磨崖仏U」で紹介します。 |
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大野川流域の磨崖仏U |
大野川流域の磨崖仏(1) 菅尾石仏 |
大分県豊後大野市三重町浅瀬乙黒 「平安時代後期」 |
薬師如来・阿弥陀如来 |
阿弥陀如来 |
薬師如来 |
千手観音 |
十一面観音 |
多聞天 |
豊肥本線菅尾駅の北西1.5q、徒歩20分。小高い山の中腹に覆堂があり、向かって右から千手観音・薬師・阿弥陀・十一面観音と多聞天(これだけ半肉彫り)の五体の磨崖仏が刻まれている。 千手観音から十一面観音までの四像は丸彫りに近い厚肉彫りで、臼杵石仏とならぶ木彫的な藤原調の石仏として知られている。 千手観音は像高198pで裳懸座に座る座像で、膝元で禅定印で宝珠を持つ手と胸元で合掌する手、顔の横で錫杖と三叉戟を持つ手の6臂を大きく表して、他の手を膝元と体の後ろに小さく表すことによって見事にまとめている。十一面観音も裳懸座に座る座像で、右手に蓮花、左手に数珠を持つ。 この磨崖仏は昔から「岩権現」といわれており、紀州熊野権現を勧請したもので、4像は熊野権現の本地仏である。国の史跡で重要文化財に指定されている。 |
大野川流域の磨崖仏(2) 宮迫東磨崖仏 |
大分県豊後大野市久士知 「平安後期」 |
大日如来 |
不動明王 |
持国天像 |
豊肥本線緒方駅南約2.5q、徒歩30分。近くには豊後のナイアガラとよばれる原尻の滝がある。低い丘陵斜面の東南に彫られた石窟の奥壁に、大日如来と伝えられている如来形座像を中尊として右に不動明王立像、左に持国天像を厚肉彫りする。その左右の壁面に一体は破損しているが、仁王立像の半肉彫り像が刻まれている。 中尊の如来像は臼杵のホキ阿弥陀像に比肩する巨像であるが、 ホキ阿弥陀如来のような森厳さはなく、茫洋としていて、親しみを覚える。大陸的な風貌で、どことなく東大寺三月堂の梵天像に雰囲気が似ている。 この像は、右手施無畏印、 左手与願印であるから、釈迦如来、または薬師如来か阿弥陀如来と考えられるが、豊後地方では如来形大日と伝えられるものがあり、熊野磨崖仏大日如来、 元町磨崖仏如来形像とともにこの本尊もその一つである。国指定史跡。< |
大野川流域の磨崖仏(3) 宮迫西磨崖仏 |
大分県豊後大野市久士知 「平安後期」 |
釈迦如来 |
阿弥陀如来 |
薬師如来 |
宮迫東磨崖仏から100mほど離れた小高い丘の中腹の大きな石龕の中に釈迦・阿弥陀・薬師の三如来の丸彫りに近い厚肉彫りがある。いずれも基壇、台座、仏像の三段から構成されている。 いずれも彩色されており、 螺髪は方眼状に刻出されているところなど、やや形式的な作風が見られる。 保存状態は非常によく、仏身や光背に原初の色彩や文様が残っている。 中尊の釈迦如来は像高143mで阿弥陀・薬師よりやや大きく、右手を胸前によせて施無畏印、左手の印相は手先が欠けていてわからない。阿弥陀・薬師像と違って顔の彩色が落ちてまだら模様になっている。 |
大野川流域の磨崖仏(4) 犬飼不動磨崖仏 |
大分県豊後大野市犬飼町田原渡名瀬 「鎌倉時代」 |
制多迦童子 |
矜羯羅童子 |
岩層にさしかけて建てた覆堂の中にある。凝灰岩の岩層に像高約3.8mの不動明王と像高約1.7mの制多迦童子と矜羯羅童子を厚肉彫りしたものである。不動明王は右手に剣、左手に索を持つ結跏趺坐像である。温和な作風であるが、堂内で間近に見ると、押しつぶされるような圧迫感がある。体躯の所々に赤色の彩色が残る。 |
大野川流域の磨崖仏(5) 普光寺磨崖仏 |
大分県豊後大野市朝地町大字上尾塚 「鎌倉時代」 |
不動三尊 |
多聞天 |
普光寺の本堂から谷を隔てた、高さ20m、幅10mの大岸壁に、高さ約8mの巨大な不動明王像と2童子が彫られている。不動は右手剣、左手索の半肉彫り座像である。遠くから見ると扁平な印象を受けるが、近づくとかなり量感が感じられる。線彫りの像をのぞくとわが国の磨崖仏では最大教の巨像である。一面に紫陽花の花が咲いた谷を隔ててこの赤茶色の磨崖仏を見た時の印象は忘れられない。 不動明王像の、向かって右手に、石窟が2カ所あり、その一カ所に護摩堂がはめ込まれるように建てられ、その右窟壁面に高さ3mの多聞天の半肉彫りの磨崖仏がある。不動明王像より古い様式をしめす力強い表現の磨崖仏である。 普光寺は豊肥本線の朝地駅の南の山中にある。道が整備されて、観光バスも駐車場まで行けるようになった。 |
大野川流域の磨崖仏(6) 木下磨崖仏 |
大分県豊後大野市大野町十時木下 「南北朝時代」 |
勢至菩薩?・地蔵(合掌)・地蔵(宝珠を持つ)・地蔵(錫杖?を持つ)・薬師如来? |
薬師如来? |
勢至菩薩? |
阿弥陀如来? |
地蔵(香炉を持つ) |
願主像 |
国道57号線沿いの大野町の中心地から北西の大野町十時木下にある。十時バス停から徒歩20分のもと吉祥庵と称された禅堂があったと伝えられる付近の、南面の岸壁に彫られている。 岸壁面の下部に、高さ50pの長い壇を作り、壇上の壁面に、幅560p高さ108pの長い龕を彫り込み、中に像高60pほどの地蔵6体と如来形2体 ・菩薩像2体が厚肉彫りされている。 向かって右端には別の龕があり、願主と思われる大きめの比丘像が彫られている。6体の地蔵像については、願主の一族像という説もあるが、合掌像・宝珠を持つ像・錫杖?を持つ像・香炉を持つ像などか見られ、六地蔵と見るのが妥当と思われる。国東の県指定の堂の迫磨崖仏が思い起こされる。 |
大野川流域の磨崖仏(7) 大化切小野谷磨崖仏(今山磨崖仏) |
大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 「室町時代」 |
不動明王 |
豊肥本線緒方駅の南6qの山中にある。国道502号線、緒方井上付近から県道634号線を南に1380mほど行った所に今山磨崖仏という案内板があり、その案内板に沿って1100mほど行くと神社に到着する。そこから案内板に沿って、細い山道を下ると切小野谷とよばれる谷にたどり着く。大化切小野谷磨崖仏は谷を少し上った東を向いた高さ約4bの垂直な岸壁にある。 高さ2.6b幅1.16bの龕を彫り、中に髪の毛を逆立て、右手で剣を構え、左手を腰に当てて羂索を持つ不動明王立像を半肉彫りする。胸には垂れた両乳房が刻まれている。おそらく、昔は乳のでない婦人の参詣を集めていた、いわゆる乳不動であったと思われる。 |
大野川流域の磨崖仏(8) 石源寺磨崖仏 |
大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 「室町時代」 |
不動三尊 |
薬師如来 |
阿弥陀如来 |
柏野磨崖仏と同じく国道326号線の豊後大野市清川町天神から県道410号線を南へ進み、天神から5.3q地点で右折し、案内板に従って1.3q農道を行くと石源寺磨崖仏にたどり着く。山裾に上の崖から落ちたと思われる高さ・幅3.5m、厚さ3.1mの巨大な岩塊の三方に仏像を彫ったものである。 正面(南面)には不動三尊、南東角に釈迦如来、東面に薬師如来、西面に阿弥陀如来を半肉彫りしている。南面と東面には石造宝形造り風の庇屋根の覆堂が設けられ、西面には阿弥陀如来像の上に小さな庇が作られている。摩滅が進み、不動三尊や阿弥陀如来は顔や着衣が不明瞭になっている。釈迦如来に至っては像が大きく二つに分かれ、欠損がひどい。一番当時の姿を残しているのが東面の薬師如来像で、穏やかな面相である。彫りは伸びやかさに欠け形式的な所から見て、室町時代の作と思われる。 |
大野川流域の磨崖仏(9) 軸丸磨崖仏 |
大分県豊後大野市緒方町軸丸北 「室町時代」 |
豊肥本線緒方駅北西3q徒歩30分。石窟のように自然にくぼんでいる岸壁からせり出すように彫り出された不動明王座像で、 丸彫りに近いほど、 厚く彫られている。 頭部には彩色が施され、両眼球には瞳を丸く抜いた銅板がはめ込まれている。人気のない谷にあり、どことなく不気味な雰囲気が漂っている。 |
大野川流域の磨崖仏(10) 上畑磨崖仏 |
大分県竹田市上畑 桑迫 「 室町時代後期」 |
地蔵菩薩・釈迦如来・観音菩薩 |
釈迦如来 |
観音菩薩 |
地蔵菩薩 |
比丘・比丘尼像 |
竹田市炭竈の宮城台小学校の西の約600m上畑へ向かう道の北の山中にある。案内板が道沿いにあり、そこから急な階段を上ると、岩肌に張り付くように作られたお堂が見えてくる。凝灰岩の崖に、4つの深い龕を作り、13体の像を厚肉彫りに彫り出されている。 メインとなるのは右から2つ目の第二龕で、像高110pの釈迦如来立像を中尊に左に地蔵菩薩(像高108p)右に観音菩薩(像高108p)を刻む。写実的な所もあるが、衣紋等の表現は形式的で室町末頃の制作と思われる。しかし、彩色が残り、4頭身で、こけしのような素朴な味わいのある三尊である。地蔵は両手を胸の前で組んで宝珠を持ち、やや垂れ目の顔は穏やかで優しい。他の3つの龕には併せて5組の夫婦像と思われる比丘・比丘尼像が刻まれている。 |