令和6年9月30日撮影 近くの田園地帯にて | タシギ・オジロトウネン |
9月30日に撮影したタシギとオジロトウネンです。 |
前日(29日)タシギを撮影した休耕田には数羽のタシギが休耕田の真ん中にました。水面に逆さのタシギがきれいに写った、印象に残るタシギの写真を撮ることができました。 |
前日(29日)にオジロトウネンを撮影した休耕田に、数羽のコチドリがいました。近づくと、休耕田の真ん中に行ってしまい、肉眼では鳥の種類は確認できませんでした。そこで、オジロトウネンやトウネンがいないかなと思いながら、とりあえずコチドリやオジロトウネンらしき鳥を次々と撮影しました。撮影した後、モニター画面で見直して見るとオジロトウネンがいました。前日までオジロトウネンとつるんでいたトウネンはいませんでした。 |
令和6年9月29日撮影 近くの田園地帯にて | オジロトウネン・トウネン・タシギ |
9月29日に撮影したオジロトウネンとトウネンです。前日(28日)に比べると水が少なくなりましたが、所所に水たまりがあり、コチドリと一緒にオジロトウネン・トウネンがいました。オジロトウネンとトウネンはつがいのようにつるんでいました。 |
足が黒く背や肩羽が黒褐色で白い羽縁があるのがトウネン幼鳥で、足に黄味があり上面が灰褐色なのがオジロトウネンです。 |
まだ、水が張っている休耕田にはタシギがいました。 |
令和6年9月28日撮影 近くの田園地帯にて | オジロトウネン |
ウズラシギなどがいた休耕田は水が引き、コチドリもいなくなりました。しかし、隣の休耕田は水がまだ残っていて、そこにコチドリが数羽いました。トウネンでもいないかと、カメラを向けていると、知り合いのカメラマンからオジロトウネンが入っているという情報が入りました。その時は南北に長い休耕田の北側にいるようで、カメラを構えている南側からなかなか見つけることができません。20分ほど待っているとようやく休耕田の真ん中近くに来てくれてオジロトウネンを撮影できました。 | |
左がトウネン幼鳥で右がオジロトウネンです。 | |
冬羽のオジロトウネンです。 | |
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トウネン | |
2羽のオジロトウネンがいると思っていたのですが、オジロトウネン夏羽と思っていた写真を見直してみると、足が黄色でなく黒くトウネンの幼鳥と思われます。 | |
左がトウネン幼鳥で右がオジロトウネンです。 | |
トウネン幼鳥です。 | |
令和6年9月26日撮影 地元の山の上の公園にて | |
キビタキ♀・エゾビタキ | |
26日に山の上野公園の桜園で撮影したキビタキ♀とエゾビタキです。 | |
令和6年9月26日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
26日に撮影したセイタカシギです。数日間、姿を見せないことがありましたが1か月近くこの水田地帯にセイタカシギはいました。これが最後に見たセイタカシギになりました。 キャッチライトの入ったセイタカシギの写真をたくさん撮ることができました。 | |
令和6年9月24日撮影 近くの田園地帯にて | |
トウネン幼鳥・クサシギ | |
前日に引き続いてウズラシギなどがいた休耕田に行きました。前日に比べると水が引き、ウズラシギもヒバリシギもいませんでした。何とか1羽のトウネン幼鳥を見つけて撮影しました。 | |
隣の休耕田にはクサシギがいました。 | |
令和6年9月23日撮影 近くの田園地帯にて | |
ウズラシギ | |
21日には撮ることができなかったウズラシギを撮影することができました。 | |
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ヒバリシギもいました。 | |
少し遠くなりましたが明るい所に姿を見せてくれたので、キャッチライトの入った写真も撮ることができました。 | |
令和6年9月21日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
21日に撮影したセイタカシギです。セイタカシギはいつもいる休耕田を拠点に時々、ほかの休耕田に飛び移ります。いつもいる休耕田は北側からしか撮影できずキャッチライトの入った写真は撮れませんが、飛び移った休耕田では時々、キャッチライトの入った写真を撮ることができます。 | |
いつもセイタカシギのいる休耕田にコガモが入っていました。この秋、初めての冬鳥のカモです。 | |
飛び移った休耕田で撮影しました。こちらは畔の草が邪魔になりますが南側から撮影できます。 | |
ほかの鳥を撮影した後、セイタカシギがいつもいる休耕田に行ってみるとセイタカシギは戻っていました。コガモは飛び去っていません。 | |
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タシギ・ヒバリシギ? | |
セイタカシギがいつもいる休耕田の奥の畦にタシギが4羽いました。 | |
4羽のタシギがいた場所からカメラを右に少し振るとそこにも4羽のタシギがいました。 | |
ウズラシギやヒバリシギがいると聞いたので、コチドリやトウネンをよく見かける休耕田に行ってみると、南北に長い休耕田の奥にいるそれらしきシギを見つけて、撮影しました。遠くてぼやけた写真しか撮れませんでした。 | |
ウズラシギにしては胸から脇腹の斑がはっきりしません。帰って図鑑などで調べてみても、私のつたない知識ではわかりません。ヒバリシギ冬羽のような気もするのですが、。 | |
ウズラシギらしきシギを撮影していると突然数羽のタシギ飛んで来て、1羽がウズラシギらしきシギの近くに降りました。 | |
令和6年9月20日撮影 隣町の山にて | |
エゾビタキ・コサメビタキ | |
20日に撮影した隣町の菊畑へ向かう山道沿いのネムノキにいたエゾビタキとコサメビタキです。 | |
エゾビタキは2羽いて、数本あるネムノキを2羽が絡み合いながら飛び移っていました。 | |
コサメビタキも1羽いました。 | |
令和6年9月17日撮影 隣町の山にて | |
コサメビタキ2 | |
先日アップした17日のコサメビタキの続きです。コサメビタキは同じ枝に10分間ほどとまっていたのですが、その後も数本あるネムノキを飛び移って楽しませてくれました。 | |
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エゾビタキ | |
ネムノキにはエゾビタキもいました。コサメビタキのように近くには来てくれませんでしたが何とか撮影できました。 | |
黒紫の実がなった木(クマノミズキ)にもエゾビタキがいました。 | |
ネムノキのエゾビタキです。 | |
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コサメビタキ1 | |
隣町の菊畑へ向かう山道沿いに数本のネムノキがあり、そのネムノキで15日に引き続きコサメビタキを撮影しました。この日は道間近にあるネムノキまで来たので近くで撮影できました。 | |
コサメビタキは同じ枝に10分間ほどとまっていて、のんびりと羽づくろいもしていました。 | |
令和6年9月16日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
16日に撮影したセイタカシギです。来たときはセイタカシギはいつもいる休耕田いませんでしたが、しばらくすると戻ってきました。 | |
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タシギ | |
最近いつもセイタカシギがいる休耕田の奥の畔に3羽のタシギがいました。 | |
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トウネン | |
3日前にトウネンを撮影した休耕田は3日前はまだ所々に水が残っていました。あれから雨らしい雨が降っていなかったので、水はなくなりもうトウネンはいないかなと思っていました。しかし、同じ休耕田を訪れると一部水が残っていて、トウネンが2羽いました。 | |
令和6年9月15日撮影 隣町の山にて | |
エナガ・コサメビタキ・エゾビタキ | |
菊畑へ向かう山道沿いの合歓の木にメジロ。コゲラ、エナガなどが集まっていました。その中でも目立ったのはエナガでした。 | |
ねむの木の隣の木の枝にとまっていたのはコサメビタキでした。 | |
黒紫の実がなった木(クマノミズキ)にエゾビタキがとまって実を食べていました。 | |
令和6年9月13日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ・タシギ | |
セイタカシギはいつもいる休耕田いませんでしたが、周りの休耕田を見て回ると、少し離れた南北に長い休耕田にいました。近い北側から撮影していると、飛び上がり休耕田の真ん中に移動しました。 | |
休耕田の南側に回って撮影しました。南側から撮影したので、キャッチライトの入った写真を撮れました。 | |
この後、セイタカシギは飛び立ち、いつもいる休耕田に戻りました。 | |
いつもいる休耕田に戻ったセイタカシギを見つけて撮影したのですが、夢中になって撮影していたのでタシギに気づきませんでした。セイタカシギをアップしようと画像ファイルを整理していて、セイタカシギの左右にタシギがいるの気づきました。 | |
セイタカシギの向かって左にいたタシギです。 | |
右にいたタシギです。 | |
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タシギ | |
トウネンやコチドリを撮影していた時。コンクリート製の畦の上にタシギがいるのに気づきました。のんびりと羽づくろいをしていました。 | |
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トウネン・コチドリ | |
水が引き始めた休耕田でコチドリを撮影していると、コチドリの群れの中に数羽のトウネンが混ざっているのに気がつきました。 | |
令和6年9月11日撮影 近くの桜の林にて | |
キビタキ♀ | |
前日までと比べると鳥の数も減り、今までいたヤマガラ・コサメビタキ・エゾビタキは見られませんでしたが、キビタキ♀はいました。 | |
令和6年9月11日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
セイタカシギは旅立ったと思っていたのですが、今朝いつもの休耕田に行ってみるとセイタカシギが戻ってきていました。 | |
令和6年9月10日 近くの桜の林にて |
キビタキ♀・コサメビタキ |
コサメビタキと思ってシャッターを切りました。シャッターを切った後、モニター画面を見てみるとキビタキ雌でした。 |
この日はエゾビタキはいませんでしたが、キビタキ雌とともにコサメビタキがいました。 |
令和6年9月7日撮影 近くの田園地帯にて | |
コチドリ幼鳥 | |
セイタカシギは旅立ったのか姿が見られませんでした。撮影したのはコチドリの幼鳥でした。水が引き始めた休耕田にコチドリの幼鳥か5羽いました。 | |
令和6年9月6日撮影 近くの桜の林にて |
コサメビタキ・エゾビタキ |
前日に引き続いて山の上の公園へ行く道沿いの桜の林に行きました。コサメビタキがいました。 |
エゾビタキもいました。 |
令和6年9月4日撮影 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
9月4日の水浴びや羽ばたきをしている場面以外のセイタカシギの写真です。 | |
令和6年9月2日撮影 自宅の庭にて |
カワラヒワ |
9月2日に撮影したカワラヒワです。家の庭の向日葵の種を食べにカワラヒワが毎日来ます。若鳥で色は鮮やかでありませんが。 |
オレンジ色の花が満開のノウゼンカズラの木に止まりました。 |
令和6年9月5日 近くの桜の林にて |
エゾビタキ |
久しぶりに地元の山の上の公園の桜園へ行きました。桜園ではヤマガラを1羽見ただけでした。その公園からの帰り、道沿いの桜の林で、エゾビタキを撮影しました。 |
令和6年9月4日 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギの水浴びと羽ばたき | |
今日も近くの田園地帯の休耕田のセイタカシギを撮影しました。今日はいつもいる休耕田にいて2日の日のように休耕田を飛び移ることはありませんでしたが、水浴びや羽ばたいて浮き上がったり、羽づくろいするなど様々な姿態を見せ、楽しませてくれました。 | |
セイタカシギが休耕田の浅い水面に。脚を畳んで身体を水につけて水浴びを始めました。 | |
オシドリなどのカモ類は水浴びのあと羽ばたくので期待して待つていると、セイタカシギは立ち上がって羽ばたきました。 | |
羽ばたくと水面から少し浮き上がりました。この後、羽ばたきをやめて水浴びをせず羽繕いをしていました。 | |
1回目の羽ばたきから、しばらくすると2回目の羽ばたきを始めました。 | |
2回目の羽ばたきは前回より高く浮き上がりました。この後も羽繕いをしていました。 | |
3回目の羽ばたきです。今度はかなり高く飛び上がりました。 | |
このまま、飛び上がると思ったのですが、水面に降り何事もなかったように休耕田でのんびりと過ごしていました。 |
令和6年9月2日 近くの田園地帯にて | |
セイタカシギ | |
3日前にセイタカシギを撮影した水の張った休耕田に行きました。今日もいましたが、車の駐車スペースを割かしているうちにどこかへ行ってしまいました。歩いてほかの休耕田を探してみるとセイタカシギがいた休耕田から50mほど離れた休耕田にセイタカシギはいました。ただ、細長い休耕田の一番奥にいて、遠くて、1.4倍のテレコンバーターをつけて何とか撮影しました。 | |
セイタカシギは休耕田の奥の端にケリと一緒にいました。 | |
しばらくすると羽ばたいて真上に飛び上がりました。 | |
この後、セイタカシギは右隣の休耕田に降りました。 | |
隣の休耕田でも奥のほうにいたのですが、すこし近くに来てくれてやや大きく撮ることができました。 | |
遠いので、撮影していた休耕田の反対側に回ってセイタカシギを撮影しました。 | |
細長い休耕田の反対側に回って数枚撮影した後、別の休耕田に飛び移っりました。 | |
飛び移った休耕田は、東西に細長い休耕田です。道から間に水田を挟んでいますが、先ほどまで撮影した休耕田より、近くて撮影できました。この画像がこの日唯一のキャッチライトが入ったセイタカシギの画像でした。 | |
最初にセイタカシギを見た休耕田に戻りました。 | |
再び飛び立ちました。近くの休耕田に移ったと思いますが、今度は追いかけずセイタカシギの撮影を終えました。 |
令和6年9月1日 伊賀の石仏(12)~(14) | |||
伊賀の石仏(12) 蓮生寺阿弥陀石仏 | |||
三重県伊賀市蓮池499 「鎌倉後期~南北朝時代」 | |||
蓮池の集落の中にある蓮生寺は曹洞宗の寺院で寺の入口に墓石や石塔・石仏が階段状に無縁仏が高く積まれている。その最前列に一際目立つ阿弥陀石仏がある。 高さ95㎝ほどの駒形の花崗岩の表面に二重円光背の彫り窪みをつくり、像高55㎝の定印阿弥陀如来座像を半肉彫りしたもので、衣紋表現など長隆寺阿弥陀石仏によく似た石仏である。長隆寺と比べると顔の摩滅が少なく、温厚で美しい面相の石仏である。鎌倉後期から南北朝時代の作と思われる。 |
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伊賀の石仏(13) 永保寺四国八十八ヶ所石仏 | |||
三重県伊賀市喰代1096 「明治・大正時代」 | |||
42番仏木寺(本尊 大日如来) | |||
79番天皇寺(本尊 十一面観音) | |||
80番国分寺(本尊 十一面千手観音) | |||
84番屋島寺(本尊 十一面千手観音) | |||
永保寺は白河天皇の勅願寺とされ、江戸時代にこの地に移された真言宗豊山派の古刹で、伊賀四国八十八ヶ所霊場の16番札所となっている。伊賀四国八十八ヶ所霊場は四国霊場の移し霊場で、四国参拝できない人々が身近に参拝できるようにと、常福寺(29番札所)住職の本田光照によって江戸末期に開創され、明治以降、現在まで巡拝が続いている。 このような移し霊場は四国八十八ヶ所霊場巡礼巡りの信仰の盛行を反映したもので、江戸時代になって各地に組織された。それがよりミニチュア化したのか、一寺院や一山に四国八十八ヶ所霊場の各本尊と弘法大師像の石仏を配置した四国八十八カ所石仏である。伊賀四国八十八ヶ所霊場の寺院にも四国八十八カ所石仏巡りコースがよくみかける(常福寺・善福寺・宝厳寺など)。 永保寺四国八十八カ所石仏もそのような石仏で、本堂の裏山に巡礼コースがつくられている。これらの石仏は伊賀四国八十八ヶ所霊場が組織された後、明治から大正にかけて建立されたもので、弘法太師像とともに。各霊場の本尊を船型の石材に半肉彫りしている。稚拙な表現であるが愛らしい霊場石仏である。ぐんである。永保寺には西国三十三観音石仏もあり、西国三十三観音巡拝もできるようになっている。 |
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伊賀の石仏(14) 別府十王石仏 | |||
三重県伊賀市別府195 「元禄2(1689)年 江戸時代」 | |||
近鉄大阪線の「青山町」駅の近くの道ばたに「足止め地蔵尊」と呼ばれる石仏がある。実際は地蔵でなく十王石仏である。幅152㎝、高さ58㎝の厚い花崗岩の中央に蓮華座に座った閻魔王、左右に5体づつ、立像の十王像を半肉彫りしたもので、横長の笠石をのせている。十王に閻魔王も含まれるので、笏を持たない右端の像は司録像かもしれない。左右の十王像のうち、十王らしい方形の冠を被っているのは2体のみで、後は十王らしく見えない。こけしのような可愛らしい姿の十王像である。中尊の左右に「元禄二年巳年 三月十六日」の記銘がある。 | |||
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