令和6年6月30日 近くの田園地帯にて |
オオヨシキリ |
チョウゲンボウが去ったあと、遊水池建設のための耕作放棄地の葭原でオオヨシキリを撮影しました。 |
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チョウゲンボウ |
セッカやコチドリを撮ろうと近くの水田地帯に行きました。車を降りると突然「キッキッキッ‥‥」とチョウゲンボウの鳴き声が聞こえました。聞こえる方を見てみると2羽のチョウゲンボウが絡み合いながら飛んでいました。カメラを向けると、絡み合いながトランスのある電柱にとまりました。しばらく2羽は鳴きながら絡み合っていました。つがいかなと思ったのですかモニター画面で見直して見る2羽は若鳥のようです。 |
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トランスのある電柱でにらみ合っていた2羽のチョウゲンボウは電柱を離れ、上空を飛び回っていました。そのうちの1羽です。 |
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撮影していた1羽は300mほど離れた電柱にとまりました。追いかけてとまっている電柱近くまで行ってみると、飛び去った後でした。 |
最初に撮影していた場所に戻ってみると、もう1羽のチョウゲンボウが上空を旋回しているのを見つけました。 |
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電柱にとまろうとしたのですが、そこにはカラスがいたためか、手前の電線にとまりました。 |
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電線から離れてどこかへ飛び去ってしまいました。 |
令和6年6月28日撮影 吉備の毘沙門天磨崖仏(3)(4) | ||
吉備の毘沙門天磨崖仏(3) 石槌山毘沙門天磨崖仏 | ||
岡山県倉敷市真備町尾崎石田、石槌山 「室町時代後期」 | ||
井原鉄道の備中呉妹駅の北方1kmに戦国時代の山城(砦)跡でもある標高165mの鳥が嶽(呉妹富士)がある。その鳥が嶽と峰続きの東500mの石槌山(129m)の岩壁にこの毘沙門天磨崖仏がある。高さ390㎝,横370㎝,奥行290㎝の巨岩の南面に、像高180㎝の邪鬼を踏まえた毘沙門天立像を薄肉彫りする。
甲冑をつけ左手に宝塔、右手に宝棒を持つ。日差山・庚申山の像と比べるとより立体的な表現で、甲冑も精緻に彫り込んでいて、ベンガラによる色彩も残り、力強い堂々とした作品である。備前の毘沙門天磨崖仏の中では白眉の作といえる。 室町時代後期の作とすれば、戦国時代、鳥が嶽を砦とした毛利氏が武運の守護として、勝軍祈願して作られたものと考えられる。毘沙門天は護法身としての性格と、その武装した姿により、王城鎮護や城郭や町の守護神としての信仰もあったようで、この像もそのような意味合いでも造立されたのかもしれない。 真備町石田の集落の東の端に石槌山への登山口があり、案内板が立っている。登山口から10分足らずで毘沙門天磨崖仏の前に着く。毘沙門天の前は視界が開け、小田川と呉妹の集落を見下ろせる。 |
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吉備の毘沙門天磨崖仏(4) 鷲峰山毘沙門天磨崖仏 | ||
岡山県小田郡矢掛町東三成、鷲峰山 「安永6(1777)年 江戸時代」 | ||
鷲峰山(じゅぶうざん)は矢掛町と真備町の町境にある390mの山である。この山も信仰の山で中腹に棒澤寺(ぼうたくじ)跡がある。真言宗御室派の古刹で、盛時には8坊を擁する備中南部の大寺院であったが、昭和32年大火で、堂宇を焼失してしまい、現在焼け残り荒れ果てた倒壊寸前の堂・山門・庫裏があるのみである。(国指定重要文化財の画像3点は災害から逃れ、現在は岡山県立博物館に寄託されている。) 現在、棒澤寺には町指定の重要文化財となっている石門と宝篋印塔が残っている。ともに中世の立派な石造品である。宝篋印塔はお堂の裏の一段高いところにはあり、そこから鷲峰山へ続く登山道がある。その登山道を10分足らず登ったところに毘沙門天磨崖仏への案内板が立っていて、そこを左へ少し入ったところに大きな岩が重なった岩場がある。その岩場の奥、南向きの岩壁に鷲峰山毘沙門天磨崖仏がある。 約4m四方の巨岩の岩壁に光背として舟形の彫りくぼみをつくり、そこに岩座に立つ毘沙門天を半肉彫りしたもので、左手に宝塔、右手に宝棒を持つ。輪宝火焔付光の頭光や甲冑の装飾など細かいところまで精緻に彫り込んでいて、吉備の毘沙門天磨崖仏では最も写実的な作品である。石鎚山毘沙門天磨崖仏と並ぶ傑作で、矢掛町の重要文化財に指定されている。 像の右に銘文があり、安永6(1777)年8月に浅野又三郎によって奉納されたものであることがわかる。また、像の右下には片山新助という石工名も刻まれている。 |
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令和6年6月26日撮影 近くの田園地帯にて |
コチドリ |
川沿いの畑作地の休耕地のコチドリです。砂地でコチドリの巣作りに適していると思われます。巣はどこにあるかわかりませんが2羽のコチドリがいました。 |
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オオヨシキリ |
近くの田園地帯の葦原で囀るオオヨシキリです。 |
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令和6年6月25日撮影 少し遠くのため池にて |
カイツブリ親子 |
この日はアオバズクを撮影しようと、少し遠くの神社に行きました。しかし、アオバズクの姿が見られず、近くのため池でカイツブリ親子を撮影して帰りました。 |
シャッターボタンを押して、モニター画面で見てみると、親鳥が小魚を咥えていました。 |
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親鳥が雛に小魚を与える場面を期待したのですが、カイツブリ親子はこのまま水に潜ってしまいました。 |
令和6年6月12日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ若鳥Ⅳ |
12日はチョウゲンボウの若鳥がたちが公共施設の屋上やアンテナなどを飛び移り楽しませてくれ、たくさんの写真を撮ることができました。「チョウゲンボウ若鳥Ⅳ」として、アンテナ付近にいたチョウゲンボウの若鳥が、まだ巣立っていない一羽が残っている換気口付近の屋上やテラスに来た時の写真をアップしました。 |
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令和6年6月24日 近くの田園地帯にて |
コチドリ |
毎年シギ・チドリを撮影している水田が広がる田園地帯に行きました。最近、田植えが終わったばかりで、ケリ以外は水田では見当たりませんでした 。そこで蛇行した川の自然堤防を利用した畑作地に行きました。ここには砂地の休耕地があり、毎年よくコチドリを見かけます。今年もと期待していってみると「ピィー」「ピョピョ」と鳴き声が聞こえ、コチドリがいました。 |
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令和6年6月22日撮影 隣町にて |
キビタキ |
隣町の山に行きました。最近何回か訪れているのですが、ウグイスやヒヨドリ以外、鳥の鳴き声があまり聞こえず、キビタキの鳴き声も遠く離れたは場所から聞こえるくらいでした。しかし、この日は5月までよくキビタキが囀っている3カ所で鳴き声が聞こえました。その内の1カ所、樹木が茂った暗い場所で何とかキビタキを撮影できました。 |
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コシアカツバメ |
キビタキを撮影した後、コシアカツバメの営巣地へ行きました。数年前までは数え切れないほどのコシアカツバメが営巣していたのですが、今年は少なく営巣している巣も少なく、電線にとまっているコシアカツバメも4羽ほどでした。 |
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1羽のコシアカツバメが羽づくろいを始めました。 |
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令和6年6月20日 少し遠くの史跡公園にて |
キジ・チョウゲンボウ |
史跡公園のはずれの草原にキジがいました。 |
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キジのいた草原にある大きな資材倉庫の屋根にはチョウゲンボウがいました。 |
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令和6年6月19日 少し遠くの神社の杜にて |
アオバズク |
毎年、アオバズクが子育てをする神社の杜に行きました。半月ほど前に訪れた時はアオバズクは見かけなかったのですが、今日は雄が1羽、社の裏の木の枝にとまっていました。 |
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令和6年6月17日撮影 少し遠くの大きなため池 |
コアジサシ給餌Ⅱ |
17日に撮影したコアジサシの続きです。給餌は雄が雌に餌を与える求愛給餌と思われます。20分間の間に小魚を咥えたコアジサシ♂が釣り桟橋の残骸にいる雌に何回も給餌していました。給餌のあと2羽で飛び去ったコアジサシもいました。 |
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求愛給餌と思ってシヤッターを切ったのですが、雄と思われるコアジサシは餌を咥えていません。 |
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これも求愛行為? |
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コアジサシの給餌Ⅰ |
1ヶ月ほど前にコアジサシを撮影したため池に行きました。この日は8羽ほどのコアジサシがいて釣り用桟橋の残骸がに2羽から4羽ほど休んでいます。また、5羽ほどは鳴きながら飛びまわり、時々、ホバリングして水面に飛び込みます。そして、小魚を咥えて桟橋の残骸にいるコアジサシに小魚を与えます。そのコアジサシの給餌場面を集めて載せました。 |
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左側のコアジサシが右側のコアジサシに小魚を与えるシーンですが、よく見ると左側のコアジサシは2匹小魚を咥えています。 |
左側が給餌したコアジサシです。 |
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令和6年6月12日撮影 地元と近くの川にて |
チョウゲンボウ若鳥Ⅲ |
12日に撮影したチョウゲンボウの続きです。 |
公共施設の屋上にはパラボラアンテナなど3本のアンテナがあり、3羽のチョウゲンボウの若鳥が、アンテナを飛び移っていました。 |
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チョウゲンボウ若鳥Ⅱ |
今日(16日)も12日に撮影したチョウゲンボウです。 |
近くの川からもう一度チョウゲンボウを撮影しようと、地元の公共施設に戻りました。戻ってすぐ施設の屋上を見てみるとパラボラアンテナの金具にチョウゲンボウの若鳥がとまっていました。 |
チョウゲンボウの若鳥は金具から飛び上がってパラボラの頂上にとまりました。 |
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ホオジロ・ケリ |
チョウゲンボウが姿を消したので、近くの川へ行きました。橋の照明灯の上でホオジロがさかんに囀っていました。照明灯の下を人が歩いているのですが、意に介せず15分ほど大きく口をあけて囀っていました。 |
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河原には10羽ほどのケリがいました。 |
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チョウゲンボウ若鳥Ⅰ |
12日に撮影したチョウゲンボウです。雄の若鳥としたチョウゲンボウの画像の中には親鳥とも思えるものもあります。 |
この日も最初に換気口を覗いてみました。1羽の幼鳥が換気口の入り口にいました。 |
換気口のある建物の換気設備の上にチョウゲンボウ親鳥?が飛んできて止まりました。 |
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換気口のある建物の隣の建物にカメラを振ると屋上に2羽の若鳥がいました。 |
同じ建物の側面のパイプの上にもチョウゲンボウの若鳥がいました。 |
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トカゲを咥えたチョウゲンボウが飛んできました。親鳥と思えるのですか、顔の一部しか映っていないのでわかりません。 |
しばらくして屋上のアンテナを見てみるとチョウゲンボウ若鳥は1羽になっていました。 |
アンテナから移ったのか、隣のパラボラアンテナに雄の若鳥がいました。 |
換気口の巣を覗いてみると、幼鳥は2羽、顔を出していました |
パラボラアンテナの若鳥は雌に入れ替わっていました。 |
令和6年6月11日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ |
11日に撮影したチョウゲンボウです。 |
前日に撮影した時は換気口からすべての雛が巣立ったと思ったのですが、この日、換気口を覗いてみると2羽の幼鳥がいました。 |
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換気口から隣の施設の屋上に目を移すと、チョウゲンボウ若鳥がテレビアンテナにとまっていました。これを撮った後、チョウゲンボウは3羽になり、屋上のテレビアンテナやパラボラアンテナ・貯水槽などを3羽が絡みながら飛び移り、面白いシーンがたくさん撮影しました。撮影が一段落してモニター画面で確かめてみると、すべて露出オーバーできわめて荒い画像でした。カメラの設定を調べてみると露出がAUTOから1/10000になっていました。知らないうちに触って設定が変わったようです。 |
気を取り直して、露出設定を元に戻して撮影しようとした時には屋上には、テレビアンテナにとまった1羽がいただけでした。 |
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巣のある換気口を覗いてみると、換気口にいる幼鳥は1羽になっていました。 |
令和6年6月11日 吉備の毘沙門天磨崖仏(1)(2) | ||||||
吉備の石仏1 | ||||||
毘沙門天磨崖仏 | ||||||
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古墳時代、大和や筑紫とともに栄えた吉備王国の地である岡山県南部は、発達した沖積低地である岡山平野と沿岸域に連なる標高100~300mの小さな山々が連なる小丘陵からなる。 それらの山々には神社や寺院が多くあり、山そのものや巨石や巨岩が磐座として信仰の対象ととなっている。由加権現(由加神社・蓮台寺)で知られる由加山(岡山県倉敷市児島由加)や、平安時代末期、東の叡山に並び称された山岳仏教の聖地、岩屋寺(岡山県総社市岩屋)などがそれである。特に、登竜山の中腹にある岩屋寺には鬼の差し上げ岩をはじめ切付観音や屏風岩・梵字岩などの巨岩が多くあり磐座となっている。 岡山市から倉敷市・総社市・真備町にかけての山々の多くも信仰の対象で、いくつかの山には磐座信仰と毘沙門天信仰が結びつき、巨岩に毘沙門天が彫られている。それらの毘沙門天磨崖仏は近世の作であるが、秀作が多く、備前の近世石仏を代表するもである。(毘沙門天の磨崖仏がないが岩屋寺の本殿も「毘沙門天堂」と称され、毘沙門天を祀っている。) その中でも知られているのは日差寺毘沙門天磨崖仏(岡山県倉敷市山地、日差山)で、日差寺は奈良時代に開かれたと伝えられ、霊験あらたかな毘沙門天として信仰を集めている。他に、庚申山毘沙門天磨崖仏(岡山市新庄上、庚申山)や福山八畳岩毘沙門天磨崖仏(岡山県都窪郡山手村西郡)・石槌山毘沙門天磨崖仏(岡山県吉備郡真備町尾崎石田)・鷲峰山毘沙門天磨崖仏(岡山県小田郡矢掛町東三成、鷲峰山)などがある。 毘沙門天は元来はヒンドゥー教の神で、夜叉を従えて北方を守護し、財宝福徳をつかさどる神として崇拝された。仏教に採り入れられて、須弥山の北、倶盧州(くろしゅう)を守護する天(神)となった。常に仏の道場を守護してその説法を聞くことから、多聞天とも呼ばれる。毘沙門天は福徳と富貴の天(神)として信仰され、わが国ではいわゆる七福神の一員にも数えられる。軍神として武士の間で信仰も見られる。 石槌山毘沙門天磨崖仏は室町後期の作とされているが、戦国時代の作とすれば、武運の守護として、武勇長久を願い作られたものと考えられ。 |
吉備の毘沙門天磨崖仏(1) 庚申山毘沙門天磨崖仏 | ||
岡山県岡山市北区新庄上 「江戸時代」 | ||
岡山市新庄上の庚申山(74.2m)は、高松水攻めの際毛利方の吉川元春が本陣を構えた丘陵である。麓から真っ直ぐに300段ほどの急な階段が帝釈天を祀る帝釈堂(庚申堂)までつづく。その帝釈堂のある山上には花崗岩の巨岩がむらがり、その一つに毘沙門天を刻んだ磨崖仏がある。 大きな花崗岩の岩の突き出た部分を平らにし、邪鬼を踏まえた等身大の毘沙門天像を薄肉彫りしたもので、右手で鬼の片足を抱え、左手で宝塔を捧げる。兜のシコロ部分が大きく金太郎人形の髪型のように見える。誇張した姿態の表現や顔つきなど、五月人形を思わせる毘沙門天像である。 帝釈天は須弥山の頂上(喜見城)にすみ、四天王以下、三十三将を従え、天軍を指揮する仏法守護の主神である。高さ70mほどの小さな丘であるが毘沙門天を刻むこの岩をはじめ、巨岩がむらがる庚申山は仏法守護神の中心、帝釈天を祀るにふさわしい地であるといえる。 帝釈天信仰は江戸時代、庚申の主神として庚申信仰とともに広がっていった。庚申山も同様である。庚申山は岡山市内(岡山市花尻)にもう一つあり、そこも帝釈堂(庚申堂)のがあり、帝釈天が祀られている。 |
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吉備の毘沙門天磨崖仏(2) 日差山毘沙門天磨崖仏 | ||
岡山県倉敷市山地、日差山 「江戸時代」 | ||
倉敷市山地の日差山は高松城水攻めの時、毛利方の小早川隆景が本陣を置いた172mの山で、天平勝宝6年(754)に報恩大師が開いたと伝えられる日差寺がある。この山にも花崗岩の巨岩がたくさんあり、その一つの花崗岩の大露頭に報恩大師杖描きと伝えられる薄肉彫りの毘沙門天磨崖仏がある。 庚申山の毘沙門天と同じように、兜のシコロ部分が大きい、邪鬼を踏まえ、右手で鬼の片足を抱え、左手で宝塔を捧げる高さ167mの立像で、おそらく、庚申山毘沙門天磨崖仏は、この像をモデルにしたものと思われる。 彫刻としてのできはこの像の方がよいと思われるが、残念なことに、昭和46年に火災にあい、宝塔などが剥がれていて、庚申山像に比べる痛みがひどい。像は伝説のように奈良時代のものではなく、様式から見て近世の作と思われる。しかし、毘沙門天像が彫られていなくても、古代からおそらくこの大岩は磐座として信仰の対象になっていたものであろう。 |
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令和6年6月10日 地元にて |
チョウゲンボウ若鳥 |
4羽いたチョウゲンボウの雛が巣立ちました。チョウゲンボウの巣がある換気口のある公共施設に着いた時、換気口のある建物の隣の建物の屋上に巣立った3羽チョウゲンボウがいました。1羽はまだ巣の中にいたので、巣立つ場面を撮ろうとしていたのですが、巣立つ時、シャッターボタンを押すのが一瞬遅れて撮影できませんでした。 |
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令和6年6月9日 東北の磨崖仏(7)(8) | ||
東北の磨崖仏(7) 安久津八幡神社阿弥陀磨崖仏 | ||
山形県東置賜郡高畠町安久津2011 「江戸時代初期」 | ||
安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われいる。その後、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えられている。安久津八幡神社の寛政9年(1797年)に再建された三重塔や室町末期の舞楽殿などの文化財があり、浜田広介記念館とともに高畠町の観光のメインとなっている。 その安久津八幡神社境内に阿弥陀如来磨崖仏がある。岩に四角形の彫りくぼめをつくり、阿弥陀如来座像を半肉彫りしたもので、柔らかい凝灰岩であるため摩滅がすすんんでいる。「寛文5(1665)年」の紀年銘があるというが確認できなかった。後で調べてみると、阿弥陀磨崖仏は右側にもう1体あったのだが、同じ高畠町の「小湯山(こようさん)の石神仏」が主目的のため詳しく調べずに来たので見落としてしまった。 |
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東北の磨崖仏(8) 吹浦十六羅漢岩 | ||
山形県飽海郡遊佐町吹浦字西楯 「元治元(1864)年~明治元(1868)年」 | ||
(上)釈迦如来・(下)目連 | ||
(上)釈迦如来・獅子 (中)普賢菩薩・文殊菩薩 (下)舎利弗・目連 | ||
<第十六尊者> 注荼半託迦尊者(ちゅだはんだかそんじゃ) | ||
<第四尊者> 蘇頻陀尊者(そひんだそんじゃ) | ||
<第十尊者> 半諾迦尊者(はんたかそんじゃ) | ||
観音菩薩 | ||
<第一尊者> 濱度羅跋羅堕闍尊者(びんどらばらだじゃそんじゃ) <第九尊者>伐闍羅弗多羅尊者(ばしゃらほったらそんじゃ) |
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<第十三尊者> 因掲羅尊者(いんかだそんじゃ) | ||
遊佐町の吹浦(ふくら)漁港の北の岬にこの磨崖仏がある。地元・海禅寺の第21代住職寛海和尚が、海難事故でなくなった人の供養と海上の安全を祈り、岬の海岸の岩に元治元(1864)年から明治元(1868)年にかけて彫ったという磨崖仏で、海岸の岩に釈迦三尊、十六羅漢など22体が厚肉彫りされている。 厳しい日本海の荒波や雨や風雪にさらされてきたためか、風化が激しく、もっと古い時代のものに思えた。磨崖仏自体は必ずしも優れた作とはいえないが、風雪と荒波にさらされた奇岩・奇石と日本海の美しさが、この磨崖仏を引き立たせている。道路が広げられたため、コンクリートに囲まれた羅漢もあり、時代の流れを感じさせる。 |
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令和6年6月8日 地元公共施設と近くの川にて |
チョウゲンボウ |
この日はチョウゲンボウの雛は3羽が顔を出していました。 |
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1時間ほどの間にチョウゲンボウの親が2回、獲物を持って換気口の巣に入りました。1回目の時は、いきなり撮影している背後から巣に飛び込みました。入った時は体の一部しか写せませんでしたが。飛び出すときは撮影できました。 |
しばらくすると獲物(小鳥?)を持って戻って来ました。 |
雛たちは親が飛び去った後も親の給餌を期待して換気口の入り口にいました。 |
2回目の給餌は、一旦換気口の近くでいったん休憩した後、換気口に飛び込みました。足が見えなかったので、与えようとしている獲物はわかりませんでした。 |
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親が飛び込も瞬間にシャッターボタンを押したつもりだったのですが、全身を撮れませんでした。飛び出す時は撮影できませんでした。 |
1羽の雛は口を開けて険しい顔をしていました。 |
令和6年6月6日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ |
この日はチョウゲンボウの雛は換気口の入口から2羽が顔を出していました。 |
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チョウゲンボウの親が隣の建物の屋上にいました。しばらくするとどこかへ飛んでいきました。 |
しばらくすると獲物(小鳥?)を持って戻って来ました。 |
このまま換気口の巣に飛び込むと思ったのですが、隣の建物の屋上付近に降りました。換気孔近くでカメラを構えていたので、屋上のチョウゲンボウは写せませんでした。換気孔に飛び込むのを待っていると飛び込んできたのですが、尾羽しか写せませんでした。出た所も写したのですが、後ろ姿でした。 |
1時間ほど。近くの川に行って戻って来ると、近くの電柱にチョウゲンボウの親がいました。 |
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帰る時。換気孔を覗くと雛が2羽顔を出していました。1羽は最初見た雛とは違って産毛か目立つ雛でした。 |
令和6年6月5日撮影 地元と近くの水田地帯にて |
チョウゲンボウ雛 |
この日はチョウゲンボウの雛は親の給餌を期待して、換気孔の入口から3羽が顔を出していました。 |
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オオヨシキリを撮影した後、もう一度、地元の公共施設に戻ってチョウゲンボウの雛がいる換気孔を覗いてみると、1羽が換気孔の入り口で立ち上がり、1羽が顔を出していました。 |
しばらくして換気孔を覗いてみると換気孔の左に3羽かたまっていました。 |
家へ帰って見直して見ると雛は4羽いました。撮影した時は換気孔の入口の右に羽毛の塊のようなものが見られたのですが、4羽目の雛とは思いませんでした。コンピューターで見てみると産毛に覆われた額の下に目が写っていました。 |
ヘリコプター(エアバス・ヘリコプターズ AS350B3)・オオヨシキリ |
地元でチョウゲンボウの雛を撮影した後、セッカを撮ろうと近くの水田地帯に行きました。セッカの鳴き声が聞こえて、何とか飛んでいるセッカを写そうと空を見上げると、ヘリコプターが飛んでいました。ヘリコプターは上空を数回、旋回しました。帰って調べてみると、朝日航洋のヘリコプターでした。機種は「エアバス・ヘリコプターズ AS350B3」です。 |
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セッカは撮影できませんでしたが、遊水池建設のために広がった耕作放棄地の数か所の葭原でやかましく鳴くオオヨシキリがいました。この日は風が強くオオヨシキリがとまったヨシが揺れたり、手前のヨシの葉が被ったりしてよい写真は撮れませんでした。 |
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令和6年6月4日 地元にて |
チョウゲンボウ雛・ANAボンバルディアDHC-8-400 |
チョウゲンボウの雛は今年は1羽しか見ていなかったのですが、今日、換気口を覗いてみると2羽いました。 |
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しばらくするともう1羽顔を出し、3羽になりました。 |
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この施設の上空は航空会社の航路になっていて、伊丹空港が近いためよく低い位置を飛ぶ旅客機を見かけます。チョウゲンボウ雛を撮っている時、上空を飛んでいる全日空機を見つけてシャッターボタンを押しました。後でモニター画面で見直して見るとプロペラ機でした。 |
ホームページに載せるため機種を調べてみると、ボンバルディアDHC-8-400でした。 |
令和6年6月3日 地元にて |
大阪府警ヘリコプター「つばさ」・チョウゲンボウ雛 |
この日も地元の公共施設でチョウゲンボウ親子を撮影に行きました。親鳥が高い上空を周回していてなかなか降りてきません。結局、飛んでいるチョウゲンボウはアップできるような写真は撮れませんでした。代わりに取ったのが上空を飛んでいた大阪府警のヘリコプター「つばさ」[JA10PD]でした。機種はユーロコプター社 EC135/635です。 |
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チョウゲンボウの巣のある換気口から雛が顔を出しました。去年までは雛は4~5羽いたのですが、今年は1羽のようです。 |
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換気口から顔を出したのは糞をするためでした。 |
令和6年6月2日 地元にて |
チョウゲンボウ |
前日引き続いて地元の公共施設でチョウゲンボウを撮影しました。チョウゲンボウの巣となっている換気口に1羽の雛がいました。 |
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令和6年6月1日 地元にて |
チョウゲンボウ |
5月14日にテレビアンテナにとまっているチョウゲンボウを撮って以来、毎年、地元の公共施設の換気口で子育てをするチョウゲンボウを期待して< 何回か通ったのですが、まったくチョウゲンボウは見られませんでした。昨日、所用の帰り公共施設に寄ってみると、換気口からチョウゲンボウが飛び出すのを見ました。その日は撮影できなかったので、今日期待して公共施設に来てみると、公共施設の屋上にいるチョウゲンボウを見つけました。しばらく待っていると、屋上を飛び立ち換気孔に飛び込みました。そしてすぐに換気孔から飛び出しました。 |
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飛び込む時は撮影できませんでしたが、飛び出す時は撮影できました。 |
2回目飛び込んだ時の飛び出しです。 |