令和5年12月30日 近江の石仏(3)(4) | ||
近江の石仏(3) 八講堂千体地蔵阿弥陀石仏 | ||
滋賀県大津市坂本5丁目10-8 「鎌倉時代」 | ||
日吉大社から西教寺へ向かう道の途中、大きな楓の樹がそびえ、その下付近に多くの小石仏・板碑が集められている。その中央に大きな阿弥陀石仏が坐している。高さ1.4mkの花崗岩の石材を削り、表面に高さ1.1mの定印阿弥陀如来を半肉彫りした石仏である。摩耗が進み、衣紋や指先などはよくわからない。しかし、顔は穏やかで力強く、体躯も堂々としていて、厚肉彫りではないが豊かな量感を感じられる石仏である。 村人が昔から伝教大師御自作としてまつってきた石仏である。この付近には大師の作と伝えられる石仏が少なくない。鎌倉時代、浄土教の広がりと共に、比叡山周辺には多くの阿弥陀石仏がつくられた。 |
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近江の石仏(4) 山中西教寺阿弥陀石仏 | ||
滋賀県大津市山中町 「鎌倉後期」 | ||
京都北白川から比叡連峰の田谷峠を越えて大津市南滋賀へ下る山中越えと呼ばれる街道がある。その街道の昔の旅篭町が山中町である。その山中町の街道脇に真宗本願寺派の寺院、西教寺がある。その西教寺の門脇に西教寺阿弥陀石仏が見下ろすよう安置されている。 高さ2.7m、幅1.7mの大きな花崗岩の石材を使って、舟形光背を背負って坐す、像高1.4mの定印の阿弥陀如来を厚肉彫りしたもので、やや大まかな堅い作風であるが大きくて迫力がある。 この街道筋の北白川や近江滋賀里には鎌倉期の大きな阿弥陀石仏(「京都の石仏」「近江の磨崖仏」参照))があり、浄土教普及と共に、街道に沿って阿弥陀石仏を造立することが流行ったようである。 |
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令和5年12月26日撮影 隣町の山と地元の山のため池にて |
モズ♀・オシドリ |
26日は隣町の山へルリビタキを撮りに行きましたが、モズの雌しか撮影できませんでした。 |
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隣町の山からの帰りに地元の山のため池によってオシドリを撮影しました。 |
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令和5年12月28日 宮崎の田の神(90)(91) | |||
宮崎の田の神 (90) 川上の田の神 | |||
宮崎県えびの市大河平川上 「明治時代」 | |||
大河平川上の田の神は立派な祠に祀られていて、現在も田の神講か開かれている。訪れたときも造花や生け花か供えられていた。像高57㎝で、右手でメシゲ、左手で椀を顔の横にかかげるように持つている。シキと着物と椀は赤、顔・手・メシゲは白に着色され、丁寧に目鼻、口がかかれいる。明治時代の作。 | |||
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宮崎の田の神 (91) 東原田八幡の田の神 | |||
宮崎県えびの市原田 | |||
東原田八幡の田の神1 「弘化4(1847)」 | |||
東原田八幡の田の神2 「江戸末期?」 | |||
えびの市飯野の五日市の南東に八幡岳と言う小さな山があり、寺と公園になっている。その麓の小さな集落が八幡である。八幡の西の田園地帯の中に小さな墓地があり、その墓地の前に、このかわいらしい2体の農民型の田の神像がある。 向かって左の像は高さ54㎝で、幅55㎝ほどの2俵の大きな俵を背負っていて、俵2俵の高さは、背の高さとほぼ同じである。顔と胸、手は白く塗られていて、右手に赤いメシゲを左手に白に塗られた椀(握り飯に見える)を持つ。像の側面に「弘化四二月吉日」刻銘がある。 向かって右の像は高さ46㎝ほどで、頭にシキをかぶり、右手に赤いメシゲを、左手に大きな赤い椀を持つ。白塗りの顔は、目と眉毛は黒く、口は赤く塗っていて、垂れ目の目と、赤い頬と口がかわいらしい。左の俵を背負う田の神は目鼻口を黒で描いているため、夫婦の田の神の様に見える。 |
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令和5年12月25日撮影 近くの大きなため池にて |
タヒバリ・ミコアイサ・カンムリカイツブリ |
水の流れていないため池の排水路にタヒバリがいました。 |
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ミコアイサは池の中央にいて岸近くに来てくれませんでした。そのミコアイサの群れにカンムリカイツブリが混ざっていました。 |
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令和5年12月25日撮影 近くの大きなため池にて |
カンムリカイツブリ |
カンムリカイツブリは増えて5羽になっていました。 |
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令和5年12月22日撮影 地元の山の上の池にて |
オシドリ |
22日に撮影した山の上の池のオシドリの続きです。この池のオシドリの撮影は橋の上から撮影するため青空や池岸の木々の色が映った波紋の広がる水面が魅力です。 |
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オシドリは木の茂った両岸近くにいて時々泳いで渡るだけなく、飛んで移動します。 |
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令和5年12月22日撮影 地元の山の上の池にて |
羽ばたくオシドリ |
この日の山の上の池のオシドリは撮影している橋の近くまで来てくれました。水浴びをしたり追いかけあいをしたり、潜ったりして活発に活動していました。潜ったり水浴びした後、よく羽ばたきます。この日、撮った羽ばたいているオシドリの写真を集めてみました。 |
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令和5年12月21日撮影 隣町の山にて |
ルリビタキ |
先日、アオゲラやコゲラを撮影したハゼノキのハイキング道を挟んだ茂みにルリビタキ♀がいました。 |
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ハゼノキにとまりました。 |
ハゼノキがたくさんある山の斜面の低い木にルリビタキ♂がとまっていました。18日にハゼの木にとまっていた同じルリビタキ♂と思われます。頭から上面の色が鮮やかな青ではなくまだ薄い青です。 |
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令和5年12月20日撮影 近くの大きなため池にて |
ミコアイサ・カンムリカイツブリ |
大きなため池の隣のため池に6羽のミコアイサがいました。 |
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この後、隣の大きな池に移動しようとしたとき、突然、ミコアイサの群れは飛び立ちました。 |
隣の池から飛び立ったミコアイサの群れは大きな池の真ん中に飛び降り、もといた3羽のミコアイサと合流しました。 |
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池の中央にいたミコアイサの群れが急に飛び立ちました。 |
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飛び立ったミコアイサたちは池の奥に着水しました。 |
カンムリカイツブリは2羽いました。そのうちの1羽です。 |
2羽のカンムリカイツブリが絡み合い、水面を走るように移動しました。 |
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令和5年12月18日 隣町の山にて |
ルリビタキ・コゲラ |
隣町の山に行きました。ハゼノキの実を食べに来るルリビタキがねらいです。今日ようやくルリビタキ♂を撮影できました。ただ、近くのハゼの木ではなく高い所にあるハゼノキにいたルリビタキで、枝がかぶり全身を撮ることができませんでした。 |
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雌もいました。 |
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コゲラもよくハゼノキに姿を見せます。雄はわかりにくいですが頭部に赤い羽があります。 |
最初にコゲラを写した場所から500m程離れたハゼノキにいたコゲラ♂です。 |
令和5年12月16日 近くの川にて |
タヒバリ・キセキレイ |
近くの川の中州にタシギ・イカルチドリ・タヒバリ・キセキレイがいました。(タシギとイカルチドリはカメラを構えた時飛び去ってしまいました。) |
タヒバリ |
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キセキレイ |
令和5年12月15日 近くの大きなため池にて |
ミコアイサの羽ばたきと水浴び・カンムリカイツブリ |
大きなため池では数日前からミコアイサが増えて、少なくとも雄が3羽、雌タイプが2羽います。ミコアイサは池の真ん中でのんびり丸まっていましたが、しばらくすると水浴びをしたり、羽ばたいたりし始めました。 |
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ミコアイサ♀も羽ばたいていました。 |
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カンムリカイツブリは3羽いましたが近くには来てくれませんでした。 |
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カンムリカイツブリも時々羽ばたいていました。 |
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令和5年12月14日 隣町の山にて |
アオゲラ・ムラサキシキブにメジロ |
隣町の山にハゼノキがたくさんあり、冬になればハゼノキの実を食べにメジロ・シロハラ・ルリビタキなど多くの鳥が姿を見せます。最近は週に数回ルリビタキを撮ろうと訪れているのですが、ルリビタキを撮影できませんでした。今日ようやくルリビタキの雌を撮影したのですが残念ながらピンボケ写真でした。 |
ルリビタキの撮影をあきらめて帰ろうとしたとき、ハゼノキにヒヨドリ大の鳥が止まっているのを見つけました。逆光で色はわからず、ヒヨドリか、シロハラと思ってカメラを向けました。露出補正してファインダーを覗いてみるとアオゲラでした。(帰って調べてみるとアオゲラもハゼノキの実か好物のようです。) |
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ハゼノキに群がっていたメジロが、紫色の木の実がたくさんなった木に飛び移り実を食べ始めました。ムラサキシキブの木の実です。 |
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令和5年12月14日撮影 地元の山のため池にて |
オシドリ |
アオゲラを撮影する前に、地元の山のため池によってオシドリを撮影しました。 |
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令和5年12月11日 近くの大きな公園にて |
シメ・ジョウビタキ♀・ヨシガモ・柿にエナガとメジロ |
数ヶ月ぶりに近くの大きな公園に行きました。この公園は私の住んでいる県では野鳥の探索地として知られていて、いつも多くの人が野鳥の撮影にきています。しかし、この日はカメラマンは少なくルリビタキなど興味をひく野鳥はあまり見られませんでした。 |
ツグミの群れの中に1羽のシメがいました。枝が邪魔してよい写真は撮れませんでした。 |
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ジョウビタキ雌が赤い木の実を咥えていました。 |
柿の木にエナガとメジロの混群がいました。 |
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ヨシガモがいました。 |
令和5年12月10日撮影 近くの大きなため池にて |
ミコアイサ・マガモ・カンムリカイツブリ・ハジロカイツブリ |
12月10日に大きなため池で撮影したミコアイサです。紅や黄や緑の池畔の木々が映った水面を1羽のミコアイサがマガモとともに泳いでいました。 |
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カンムリカイツブリもいました。1羽増えて3羽になっていました。3羽いる場面は遠くて、まともな写真になりませんでした。 |
1羽づつですが2羽のカンムリカイツブリが池畔の木々の葉の緑や茶色が映った岸近くに来てくれました。泳いだ後の波紋は水色で茶色や緑茶色とのコントラストがカンムリカイツブリの白とよく映えます。 |
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池の真ん中ですが、ハジロカイツブリもいました。 |
令和5年12月8日撮影 近くの大きなため池にて |
ハジロカイツブリ・ヒドリガモ・カンムリカイツブリ |
キセキレイを撮影した後、近くの大きなため池に行きました。ハジロカイツブリはなかなか見つけられませんでしたが、池の周遊道路を2周りしてようやく見つけました。ヒドリガモの近くにハジロカイツブリはいました。 |
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6日にハジロカイツブリを撮影した時には見られなかったカンムリカイツブリがいました。3日までと同じように2羽いました。 |
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令和5年12月8日 地元の山と隣町のため池にて |
オシドリ |
地元の山の中のため池のオシドリです。 |
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オシドリを撮った後、先日ミコアイサを撮影した池に行きました。ミコアイサは見られず、撮影したのはキセキレイです。 |
令和5年12月6日撮影 近くのため池にて |
ミコアイサ |
毎年よくミコアイサを見るため池は、ハジロカイツブリがいた大きなため池以外に、大きなため池近くに4カ所あります。その内の一カ所のため池に1羽だけですがミコアイサが入りました。まだ茶色い羽毛が残っている雄です。池の周辺の木々の茶色や赤い色が映った池の水面を泳いでいました。 |
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令和5年12月6日 近くの大きなため池にて |
ハジロカイツブリ |
今日は2羽いるはずのカンムリカイツブリが見当たりません。池の周遊道を半周したところで、池の真ん中を泳いでいる頭部が黒く全体に白い鳥を見つけました。カンムリカイツブリと思って何枚か撮影した後、モニター画面で確かめてみるとカンムリカイツブリではなくハジロカイツブリです。毎年のようにこの池でハジロカイツブリを見ているのですが、去年の冬はハジロカイツブリを見ていません。2年ぶりのこの池で見たハジロカイツブリです。周りの紅葉が゛映った水面を泳いでいました。 |
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令和5年12月5日 近江の石仏(1)(2) |
近江の石仏 |
近江の国、滋賀県は、奈良・京都と並ぶ石仏の宝庫である。その代表といえるのが、狛坂寺跡磨崖仏や藤尾寂光寺磨崖仏・富川磨崖仏などの磨崖仏である。また、比叡山の香炉ヶ丘弥勒石仏や小坂田阿弥陀石仏などの磨崖仏ではない石仏にも優れたものが多い。 中でも香炉ヶ丘弥勒石仏は京都を代表する石仏「石像寺阿弥陀三尊石仏」や「北白川阿弥陀石仏」の様式の源流といえる石仏で、滋賀県にその流れをくむ、金剛輪寺阿弥陀石仏などの秀作が多数ある。 近江の国は、古墳時代以降、朝鮮半島からの渡来人が移り住み、様々な文化を伝えた地で、石棺や石室などの石を扱う技術もこれらの人々によって伝えられたと考えられる。日本の古代の石仏や石塔の石造美術は、朝鮮半島の百済や新羅の国々との交流や渡来人の活躍によって生まれたものである。 百済人が大挙して移り住んだ近江国蒲生郡にある石塔寺には奈良時代前期の百済式の石造三重塔がある。また、狛坂寺跡磨崖仏は、韓国の慶州の石仏庵磨崖仏や南山七仏庵磨崖仏との技巧や表現様式の類似や影響が論じられていて、近江の石造美術も渡来人や新羅・百済文化の影響なしでは語れない。 鎌倉時代以降の近江の石仏の多くは阿弥陀石仏や地蔵石仏・不動石仏で、そこには天台宗や天台宗から生まれた浄土教の影響が考えられる。また、良質の花崗岩が多くあり、素材にもこと欠かない。このような文化的歴史的土壌が近江を奈良・京都と並ぶ石仏の宝庫としたのである。このページは、「近江の石仏」として磨崖仏以外の石仏を取り上げた。 |
近江の石仏(1) 比叡山香炉ヶ岡弥勒石仏 | ||
滋賀県大津市坂本本町比叡山西塔 「平安後期」 | ||
比叡山にある香炉ヶ岡弥勒石仏は京都を代表する石仏「石像寺阿弥陀三尊石仏」や「北白川阿弥陀石仏」の様式の源流といえる石仏である。「「金剛輪寺阿弥陀石仏」「西教寺阿弥陀石仏」など近江の如来石仏の源流でもある。 石仏は西塔釈迦堂の背後の山、香炉ヶ岡の笹原の杉木立の中にある。像高2m余りの花崗岩製。下部に別石の反花座もうけ、その上に蓮座・仏身・光背からなる本体を一石でつくられている。右手を伏せて膝の上に、左手を仰げて膝上においた珍しい印相で、弥勒如来・または釈迦如来と思われる。 丸彫りに近い厚肉彫りで、膝におろした右手と胴のあいだや首と光背とのあいだが彫り抜きになっている。満月相の顔、高い肉髻、ひきしまった体部と流麗な衣紋など藤原時代の特徴をみせる。光背は二重円光式で、左肩の一部欠けていて、6個の月輪内に梵字が陽刻されている。光背の背面には、3つの月輪が彫られ、釈迦三尊の梵字が大きく陽刻され、下には経巻を納めるための四角の彫り込みがある。 もとこの付近にあった弥勒堂跡にちなんで弥勒石仏といわれている。釈迦石仏の説もある。 |
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近江の石仏(2) 見世のおおぼとけ | ||
滋賀県大津市滋賀里町甲 「鎌倉時代」 | ||
阿弥陀摩崖仏 | 滋賀里の西の山中に天智天皇の創立という崇福寺の跡がある。その崇福寺跡へ向かう山道(昔の京都への脇街道)の途中に、この石仏がある。石というよりは岩と呼びたい巨石の表面をきれいに加工し、座高3mを越える巨大な阿弥陀如来座像を厚肉彫りに刻み出している。頭部はほとんど丸彫りに近い。通称「見世の大仏(おおぼとけ)」と呼ばれる丈六の石仏である。 磨崖仏ではないか磨崖仏に匹敵する量感をそなえた石仏である。顔は童顔であるがひきしまった優美な姿で、鎌倉期の特色を見せている。衣紋などの表現は大まかであっさりした表現となっているが、それがかえって、石の持つ迫力を引き出していて、木彫仏と違った魅力が感じられる。 この石仏の近くには、小さな岩に阿弥陀如来座像を半肉彫りした磨崖仏もある。 |
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令和5年12月4日 近くの山の公園にて |
シロハラ・ルリビタキ♀ |
近くの山の公園にルリビタキを撮影に行きました。しかし、なかなか姿を見せません。40分ほどたって姿を見せたのはシロハラでした。このシーズン初めて見たシロハラです。 |
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シロハラが姿を見せてから5分ほどたって、ようやくルリビタキ♀が姿を見せました。毎年、この山の公園にはルリビタキが12月にやって来るのですが、一昨年までは雄のルリビタキでした。去年は雌タイプのルリビタキで、「雄の若鳥かも」と思っていました。去年と同じ個体だとすると、どうやら雄の若鳥ではなさそうです。 |
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令和5年12月3日 地元の山の上の池にて |
オシドリ |
山の上の池のオシドリです。オシドリは活発に動いていたのですが、曇り空で水面は暗い所が多かったため、青空や池畔の木々が写ったきれいな水面で泳ぐ姿は撮影できませんでした。 |
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令和5年12月2日 近くの大きなため池にて |
カンムリカイツブリ |
このため池に2羽のカンムリカイツブリが入っています。何回も撮影しているのですが、2羽がからんだシーンはほとんど撮っていません。今日はほとんど2羽で行動していて、2羽からんだシーンを多く撮影できました。ただ、カンムリカイツブリが池の真ん中で過ごしていて、近くで撮影できませんでした。 |
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