令和5年6月28日撮影 近くの公園と水田にて |
シジュウカラ幼鳥・ホオジロ・チュウサギ |
イワツバメを撮影した川に面した公園の桜の木にシジュウカラの幼鳥がいました。 |
ホオジロがショウリョウバッタを咥えていました。 |
近くの水田にはチュウサギがいました。 |
令和5年6月28日 近くの川にて |
イワツバメ・ツバメ |
地元の川の近くの高架道路下で毎年、イワツバメが集団営巣し撮影していたのですが今年はまったくいません。もう1カ所近くの川にイワツバメの集団営巣地があります。巣は橋の下にあると思うのですが、直接写せません。そのため飛びまわっている時しか写せないため、今まであまり撮影していません。今日、行ってみると、珍しく電線にとまっていて、たっぷりと撮影できました。 |
別の電線に3羽とまったのでカメラを向けました。モニターを覗いて見るとこちらはツバメでした。 |
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令和5年6月27日 少し遠くのため池など |
セッカ |
ため池近くの草原ではセッカが「ヒッヒッ」「チャッチャッ」と鳴きながら飛びまわっていたのですが、なかなかとまってくれません。何とか遠くの草にとまった時に撮影しました。 |
ため池から少し離れた農耕地のヒバリです。畑の杭にとまって鳴いていました。 |
畑の隣の水田にはチュウサギがいました。 |
ため池の釣り桟橋の残骸のアオサギの2カ所の巣の雛です。親と変わらない大きさになっていました。 |
令和5年6月25日 福島の磨崖仏(16)(17) |
福島の磨崖仏(16) 硯石磨崖三十三観音 |
福島県白河市表郷番沢字大平 「江戸時代」 |
如意輪観音・千手観音・馬頭観音 |
十一面観音・十一面観音・千手観音・千手観音 |
不空羂索観音 |
准胝観音 |
千手観音 |
来迎阿弥陀三尊 |
白河市と旧表郷村(現白河市)の境にある関山の頂上に、行基菩薩が開山と伝えられる満願寺がある。奥の細道を行く芭蕉も登ったという。その南側の登山口に硯石磨崖三十三観音がある。 南斜面に約50mにわたって、杉の間に露出している安山岩に、三十三所観音磨崖仏が刻まれている。他に大日如来・来迎阿弥陀三尊像も見られる。てんてんと露出している岩に方形の龕を彫り窪め2~4体の蓮華座に乗った観音像を厚肉彫りする。(10体ほどは一つの龕に彫られている。)像高は50~40㎝程でこけが生えて風化が進んでいるが、彫りはしっかりしていて、かなりの腕の石工の作と思われる。江戸時代の作と思われる。 来迎阿弥陀三尊像は中央部付近の約2m四方の岩にL字型の彫り窪みをつくって、その中に早来迎の阿弥陀三尊を押型状に薄肉彫りであらわしたものである。観音はひざまずき蓮台を持つ。その先に家型と念仏行者彫られている。 |
福島の磨崖仏(17) 石崎磨崖三十三観音 |
福島県白河市表郷梁森石崎142 「江戸時代」 |
六観音 |
聖観音・如意輪観音・千手観音・聖観音・千手観音・千手観音 (28番~23番) |
本来、西国三十三所観音は28番成相寺(聖観音)・27番圓教寺(如意輪観音)・26番一乗寺(聖観音)・25番播州清水寺(十一面千手観音)・24番中山寺(聖観音)・23番勝尾寺(千手観音)であるが、ここでは26番は千手観音、25番は聖観音、24番は千手観音となっている。 |
千手観音 |
23番勝尾寺(千手観音) |
如意輪観音 |
27番圓教寺(如意輪観音) |
十一面観音・聖観音・十一面千手観音 |
西国三十三所観音は22番総持寺(十一面千手観音)、21番穴太寺(聖観音)、20番善峰寺(千手観音)ですが、ここでは22番は十一面観音になっている。 |
十一面観音(22番) |
JRバス「梁森」駅の南の石崎の都々古和気神社の西方、樫の木の森の中にある点々と露出している安山岩に三十三観音などが刻まれている。 観音像の多くが薄肉彫りに近い半肉彫りで、硯石の磨崖三十三所観音と比べると、写実性にかける。しかし、向かって右の上段にある六観音は厚肉彫りで、六体とも右手で胸元で蓮華をそっと持った姿で、女性的な優しい顔が魅力的である。左端近くにある如意輪観音を含む6体の観音や十一面観音などは厚肉彫りで、卵形の独特の顔をしていて、この磨崖仏群ではもっと印象に残る。 |
令和5年6月25日 福島の磨崖仏(15) | |
福島の磨崖仏(15) 滝八幡磨崖三十三観音 | |
福島県西白河郡矢吹町滝八幡 「江戸時代」 | |
県立矢吹病院の裏の隈戸川の川岸の崖に先丸形の光背龕を彫り込め、その中に一体一体、三十三所観音が半肉彫りされている。各像は像高80㎝ほどの小像であるが、整った端正な磨崖仏である。一様に長帽子型宝冠を頂いていて、聖観音と十一面観音、千手観音と十一面千手観音の識別ができない。川岸に一列に刻まれているため、増水時には石仏に近づけない。現在、歴史公園としてきれいに整備されいる。 | |
如意輪観音 | |
隈戸川の流れに洗われて直立した高さ10m幅80m程の岩壁が長く連なっていて、その岩の下部に三十三所観音が一列に刻まれている。その左端の像がこの半跏思惟の如意輪観音である。如意輪観音のある岩には他に十一面観音・聖観音・千手観音・千手観音が彫られていて、西国三十三所観音霊場の1番青岸渡寺(如意輪観音)、3番粉河寺(千手観音)・槙尾寺(十一面千手観音)・藤井寺(十一面千手観音)と2番紀三井寺(十一面観音)を除いて一致する。最初に述べたように、「一様に長帽子型宝冠を頂いていて、聖観音と十一面観音、千手観音と十一面千手観音の識別ができない。従って、この磨崖仏は左から右に向かって一列で1番から33盤の西国三十三所観音を彫ったものと考えられる。 | |
不空羂索観音・聖観音・如意輪観音 | |
1番の如意輪観音から7番目に彫られているのが如意輪観音像である。8番目は聖観音で8番長谷寺十一面観音を2番紀三井寺十一面観音と同じく聖観音であらわしたものと考えられる。9番目は三面で羂索は確認できなかったが9番南円堂本尊の不空羂索観音と思われる。 | |
不空羂索観音 | |
9番南円堂不空羂索観音 | |
如意輪観音 | |
14番三井寺如意輪観音 | |
千手観音 | |
16番清水寺千手観音 | |
千手観音・聖観音・聖観音 | |
本来は24番中山寺(十一面観音)・25番播州清水寺(十一面千手観音)・26番一乗寺(聖観音)であるが、ここでは左端から24番目が聖観音、25番目が聖観音、26番目が千手観音になっている。 | |
馬頭観音 | |
29番松尾寺馬頭観音 |
令和5年6月24日 隣町の山にて |
キビタキ |
最近よく撮影している隣町の山のキビタキです。この日も枝にとまっているキビタキですが、20日の時と同じく口を開けて囀っている姿ではありませんでした。毛虫を咥えていました。 |
令和5年6月23日 隣町の山にて |
オオルリ |
去年の今頃はこの山でよくオオルリを撮影しました。しかし今年はまだ見ていませんでした。今日ようやくオオルリを撮影しました。高い木の枯れ枝にとまっていました。 |
令和5年6月21日撮影 近くのため池にて |
カイツブリの給餌・カワセミ |
カイツブリの親が子に餌を与えていました。 |
カワセミが池に突き出た枯れ木にとまりました。水に飛び込む姿を撮ろうとカメラを構えたのですが、カワセミはじっとして動きませんでした。しばらくすると後ろ向きになりそののまま飛び去りました。連写でシャッターを何回か押したのですが、すべて同じ姿勢でした。 |
令和5年6月20日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
隣町の山のキビタキです。18日と同じ場所で撮影しました。キビタキの囀り声が聞こえたのですが、しばらくすると声が聞こえなくなりました。どこかへ飛んでいったのかなと思って、しばらく待つつもりだったのですが、声が聞こえた方と反対側の木の枝に静かにとまっているキビタキを見つけました。 |
令和5年6月19日 少し遠くの広いため池にて |
カンムリカイツブリ・コアジサシ・アオサギ雛 |
7日に撮影した夏羽のカンムリカイツブリをもう一度撮影しようとこのため池に来たのですが、カンムリカイツブリはなかなか見られませんでした。目を凝らして探して見ると広いため池の対岸近くにいるのを見つけました。こちらの岸に近づいてくれるのを期待したのですが、なかなか近づいてくれません。 |
池の真ん中に釣り桟橋の残骸の巣のアオサギの雛は大きくなっていましたが巣立ちはしていません。4羽いました。 |
コアジサシが同じ釣り桟橋の残骸に3羽いました。 |
コアジサシを撮影した後、ため池を見渡してみるとカンムリカイツブリは対岸近くから池の真ん中まで来ていました。 |
カンムリカイツブリは羽づくろいを始めました。 |
カンムリカイツブリは何回か潜水を繰り返して、近くまで来てくれました。 |
令和5年6月18日 隣町の山にて |
キビタキ |
前日に引き続いて隣町の山に行きました。この日、久しぶりにキビタキを撮影しました。 |
令和5年6月17日 隣町の山にて |
ソウシチョウ |
キビタキを撮ろうと隣町の山に行きました。4カ所でキビタキの鳴き声を聞いたのですが、ちらっと2カ所で姿を見たのですが、結局撮影できませんでした。撮影したのはこの日もソウシチョウだけでした。 |
令和5年6月16日 福島県の磨崖仏(13)(12) |
福島の磨崖仏(13) 安達ヶ原観世寺磨崖仏 |
聖観音座像(西国十七番、六波羅蜜寺) |
如意輪観音(西国第二十七番、圓教寺) |
千手観音・馬頭観音(西国三十番、宝厳寺・西国二十九番、松尾寺) |
馬頭観音(西国二十九番、松尾寺) |
虚空像菩薩 |
阿弥陀三尊 |
能の「黒塚」で知られた、鬼女岩手が籠もったといわれる安達ヶ原岩屋は観世寺境内にある。その岩屋の周辺には大きな岩が積み重なった奇怪な岩が集まっていて、線刻や薄肉彫りの三十三所観音が刻まれている。 ほとんどが1mみたない小像であるが、鬼女伝説とあいまって庶民の厚い信仰が感じられる。風化や剥落が進み、千手観音と十一面観音など尊名が判断しにくい像も多い。 その中でも安堵石と名付けられた岩に彫られた千手観音・馬頭観音(西国三十番、宝厳寺・西国二十九番、松尾寺)は薄肉彫りで風化も少なくよく残っている。重なった岩の頂上には阿弥陀三尊が薄肉彫りされている。三尊とも腰をかがめて雲に乗り臨終間近の仏徒のもとに向かう早来迎相である。三十三所観音により、現世利益を祈願したあと、阿弥陀三尊に詣でて極楽往生を誓願できるように配慮されている。 |
福島の磨崖仏(13) 大供磨崖三十三観音 |
福島県郡山市田村町大供坂ノ上 「江戸時代」 |
如意輪観音(西国七番、岡寺) |
准胝観音(西国十一番、上醍醐)・千手観音(西国十二番、岩間寺) |
如意輪観音(西国十四番、三井寺) |
聖観音(西国三十一番、長命寺) |
千手観音 |
千手観音 |
薬師如来座像 |
安永2年~5年(1773~1776年)に造立された、三十三所観音磨崖仏。悪性の疫病で苦しんでいたこのあたりの村の人が、疫病退散を願って、各戸から寄付を募り、造立したという。将棋の駒のような舟形光背龕に半肉彫りされている。パターン化された小像であるが、素朴な美しさがある。 |
令和5年6月13日撮影 隣町の山にて |
ソウシチョウ |
ソウシチョウの囀りが聞こえたので、近くに行ってみると、笹藪からトッゼン「ギチ ギチ ギチ」と地鳴きが聞こえて数羽のソウシチョウが飛び出し、近くの木にとまりました。慌ててカメラを向けたのですが、木の葉や枝がかぶった写真しか撮れませんでした。 |
令和5年6月13日撮影 自宅付近にて |
イソヒヨドリ♀若鳥 |
自宅付近では毎年イソヒヨドリが見られます。最近は2羽の巣立った若鳥が自宅や近所の庭や屋根、電線、自宅裏の広場などに姿を見せます。この日は雌の若鳥が広場の階段の手すりにとまりました。 |
この後、手すりから飛び降り、すぐに手すりに戻って来ることを2回繰り返しました。 |
手すりに戻って来た所です。 |
目を閉じて、足で気持ちよさそうに羽づくろいをしていました。 |
令和5年6月12日撮影 近くの水田地帯にて |
オオヨシキリ |
コチドリやタマシギでもいないかと近くの水田地帯に行ったのですが、まだ水が張っていない水田も多く、一部でようやく田植えが始まった状態で、水田には野鳥の姿は見られませんでした。セッカの鳴き声も聞かれず、葭原で1羽のオオヨシキリが鳴いているだけでした。何とか粘って大きく口を開けた鳴くオオヨシキリを撮影できました。 |
令和5年6月10日撮影 隣町の山にて |
ヤマガラ幼鳥 |
隣町の山、3カ所でヤマガラの幼鳥を撮影しました。 |
令和5年6月9日撮影 隣町の山にて |
ムシクイ幼鳥・ウグイス |
メジロとセンダイムシクイの鳴き声が聞こえ、鳥影を見かけたのでカメラを向けてみると、ムシクイの幼鳥でした。頭央線は確認できなかったので、センダイムシクイ幼鳥としないでムシクイ幼鳥としました。 |
「ムシクイかな?」と思って撮影してみるとウグイスでした。 |
令和5年6月7日撮影 少し遠くの広い公園とため池にて |
キジ・カンムリカイツブリ・オオヨシキリ・チュウサギ・アオサギ雛・セッカ |
資材倉庫のフェンスにキジがいました。いつもはオオヨシキリがとまって鳴いているフェンスです。キジはフェンスの上を渡るように7mほど歩いてオギ原に消えました。 |
夏羽のカンムリカイツブリは他府県の海岸や川などでよく撮影しているのですが、県内では初めて撮影しました。この池や地元のため池で冬羽のカイツブリは数え切れないほど撮影しているのですが。 |
公園のオギなどが目立つ草原ではオオヨシキリとセッカがあちこちで鳴いています。ともになかなか撮ることができません。何とか撮影したオオヨシキリです。 |
アマサギを撮りたかったのですがチュウサギしかいませんでした。 |
広いため池の壊れた釣り桟橋の残骸の上にアオサギが巣を作っています。巣は2つあり、ともに3羽の雛がいます。 |
キジを撮影した近くの草原でセッカも撮影できました。 |
令和5年6月6日 福島県の磨崖仏(12) |
福島の磨崖仏(12) 岩角山磨崖仏 |
福島県本宮市和田東屋口 「江戸時代」 |
養蚕観音 |
准胝観音 |
千手観音 |
如意輪観音(西国一番、青岸渡寺) |
如意輪観音(西国七番、岡寺) |
十一面観音(西国八番、長谷寺) |
如意輪観音(西国十三番、石山寺) |
如意輪観音(西国十四番、園城寺<三井寺>) |
馬頭観音(西国二十九番、松尾寺) |
案内地蔵 |
本宮市と二本松市との境に位置する岩角山(いわつのやま)に、仁寿元年(851年)慈覚大師が開基したとつたえられる岩角寺(がんかくじ)がある。岩角山はわずか標高337メートルの小さな山ながら、うっそうとしたしげった杉の木々や、、山中に点在する巨岩奇石そして那須連峰や阿達太良山を一望できる山頂からの眺めなど、魅力的な山である。福島県指定名勝及び天然記念物に指定されている。その点在する巨岩奇石に西国三十三所観音を始めとして阿弥陀・大日・虚空蔵・地蔵・不動などの菩薩像が約150体(78体は観音像)の刻像がある。岩谷観音と違って厚肉彫りは養蚕観音と呼ばれる養蚕神社の本尊像のみで、あとは数体の半肉彫り・薄肉彫り像を除いて、線刻の磨崖仏となっている。岩角山観光協会の案内板には八百八体の仏が刻まれていると記されている。現在、約200体の磨崖仏(磨崖梵字も含む)が確認されている。<小林源重著「ふくしまの磨崖仏」> これらの磨崖仏は元禄年間以降に彫られたもので、その中でも最も古いものが、養蚕神社の本尊として堂の中に祀られている元禄3(1690)年の紀年銘を持つ養蚕(こがい)観音とよばれる厚肉彫りの聖観音である。この観音は二本松城主丹羽光重が元禄3(1690)年に霊夢のお告げにより、養蚕業を興すにあたり刻ませたもので、顔は丹羽公に似ていると言われている。 丹羽光重は住僧豪伝和尚とともに、岩角寺を再興し、養蚕観音造立をはじめて毘沙門堂などの諸堂の再建、西国三十三所観音などの線刻磨崖仏造立をすすめた。西国三十三所観音など線刻磨崖仏には奉納した寄進者施主名が刻まれていて、人々の信仰に支えられて岩角寺が栄えたことがわかる。 養蚕観音とともにこの磨崖仏群の白眉は案内地蔵と呼ばれる像高300㎝の薄肉彫りの地蔵立像で、城主丹羽光重が亡くした子どもへの供養のために刻んだものである。中腹の観音堂付近の大岩の上部に彫られた准胝観音像は一面六臂の半肉彫りで、三カ所の格狭間を設けた立派な蓮華座の上に坐す。稲荷神社近くの岩に彫られた千手観音と虚空蔵菩薩のように薄肉彫りの像も見られる。 西国三十三所観音は、この時代の線刻の磨崖仏の秀作である。参道の階段を上がった突き当たりの岩に彫られているのが1番青岸渡寺如意輪観音である。線刻像で彫られた線に朱色が残っている。体の割に大きな顔で写実的とはいえないが、印象に残る像である。7番岡寺如意輪観音・8番長谷寺十一面観音・14番三井寺如意輪観音像は素朴であるが伸びやかな線で描かれた絵画的な表現の線刻像である。8番長谷寺十一面観音などには彩色の跡が残る。西国8番霊場長谷寺の本尊の十一面観音は錫杖を持った立像であるが、岩角山の線刻像では錫杖を持たない座像になっている。29番松尾寺馬頭観音は7番岡寺如意輪観音などと違う石工の作と思われ、線は7番像などのような線の伸びやかさに欠くが、細かいところまで丁寧に表現し線刻像である。三十三所観音以外の線刻像は追刻と思われ、やや硬い表現となっている。 |
令和5年6月4日撮影 地元にて |
チョウゲンボウ幼鳥 |
チョウゲンボウはすべて巣立ちしたようです。換気孔からはチョウゲンボウの雛は見られませんでした。隣の施設の屋上のテレビアンテナやパラボラアンテナに巣立った幼鳥が3羽いました。 |
令和5年6月4日 福島県の磨崖仏(10)(11) |
福島の磨崖仏(10) 岩蔵寺の三十三観音磨崖仏・薬師磨崖仏 |
福島県二本松市太田岩前 「江戸時代 万延元(1870)年」 |
如意輪観音(西国1番、青岸渡寺) |
不空羂索観音(西国9番、興福寺南円堂) |
千手観音(西国10番、三室戸寺) |
千手観音(西国25番、播州清水寺) |
馬頭観音(西国29番、松尾寺) |
聖観音(西国31番、長命寺) |
薬師磨崖仏 |
稚児舞台などの名勝を見下ろす阿武隈川東岸の、丘陵の山頂に岩蔵寺がある。山頂付近の岩蔵寺本坊から100m程山道を西に下った所に市の有形文化財になっている岩蔵寺薬師堂が建っている。 磨崖三十三観音は薬師堂から本坊と墓地のある山頂に至る山や谷の花崗岩の露頭石や岩壁の石面に刻まれている。西国一番の青岸渡寺の如意輪観音は薬師堂前の露頭石に半肉彫りで彫られていて、右手を思惟相にして、左手で蓮華を持った半跏像である。 1番以外の観音像はすべて線刻で2番から6番の観音像は薬師磨崖仏付近の岩に刻まれていて、7番から19番は薬師堂裏から本坊に至る山道沿いの岩に、20番から33番までは本坊の裏の墓地の東の岩や石に刻まれている。各像は宝冠を冠し、蓮華座に有し、横に札所番号を陰刻している。33番像の横に石工名等が刻まれている。岩角山の線刻磨崖三十三観音に比べると稚拙さが目立つが、第9番の不空羂索観音などはシャーブな力強い線刻で、素朴な魅力がある。 1番の如意輪観音像右脇に「勧請 西国三十三所 熊野三山大権現 万延元年四月吉日」33番の十一面観音像の脇に「石工鶴吉、勉志代」の刻銘があり、三十三所観音造立の紀年銘(万延元(1870)年)と石工と住職名がわかる。 薬師堂に北面した山腹に大きな花崗岩壁があって、そこには大きな自然窟がり、その奥壁に岩谷薬師と称される薬師如来が刻まれている。舟形光背を彫り沈め、蓮華座に坐す定印で大きな薬壺を持った薬師如来を半肉彫りしたものである。岩蔵寺の称号も、この岩谷薬師にちなんで付けられたものという。磨崖三十三観音より、古い時代のものと思われる。 |
福島の磨崖仏(11) 七石山磨崖三十三観音 |
福島県二本松市上川崎水梨70 七尋石山公園 「江戸時代 嘉永4(1732)年」 |
「福島の磨崖仏」のページをリニューアルするにあたって写真を見直して佐藤俊一著「福島県の磨崖佛」と小林源重著「ふくしまの磨崖仏」を参照して以前のページと一部、尊像名を変えた。 |
十一面観音(西国12番、正法寺<岩間寺>) |
正法寺<岩間寺>の本尊は本来は千手観音である。尊名等は「ふくしまの磨崖仏」の表記に従った。「福島県の磨崖佛」は西国の札所は示さず十一面観音としている。 |
准胝観音(西国11番、醍醐寺)or馬頭観音? |
「ふくしまの磨崖仏」では准胝観音(西国11番、醍醐寺)としている。准胝観音は一面十八臂などが一般的でこの像は三面で、一見した時、馬頭観音に思えた(「福島県の磨崖佛」は西国の札所は示さず馬頭観音?としている)。しかし、三面の准胝観音は同じ福島県の「厩岳山の三十三所観音」にも見られるので准胝観音として彫られたものかもしれない。 |
十一面観音(西国10番、三室戸寺) |
「ふくしまの磨崖仏」では千手観音(西国10番、三室戸寺)としている。しかし、千手観音には見えないので「福島県の磨崖佛」に従って十一面観音とした。三室戸寺の本尊も千手観音である。 |
不空羂索観音(西国9番、興福寺南円堂) |
この像も三面であるが羂索を持っているので不空羂索観音である。 |
上川崎水梨の八幡宮の前の小山、七石山(七尋石山)の山腹のたくさんある花崗岩の露頭石や岩壁の石面に三十三観音が刻まれている。薄肉彫りの第33番観音を除いて全て線刻で像高70㎝、蓮華座にのり宝冠を冠している。所々に朱が残っていて彩色されていたことがわかる。 次の場所に行くため時間がなく慌てて写真を撮ったことや風化がすすんだ像が多いため尊像などをしっかり確認できていない。福島県の磨崖三十三観音は西国三十三所観音の巡礼巡りの信仰から彫られたものであるが西国三十三所観音とは一部違った構成になっている場合がよく見かける。この七石山磨崖三十三観音は千手観音(十一面千手観音)が少なく十一面観音or聖観音に見える像が多い。 ※佐藤俊一著「福島県の磨崖佛」蒼海社・H2年刊、小林源重著「ふくしまの磨崖仏」歴史春秋社・H9年刊。「ふくしまの磨崖仏」は「福島県の磨崖佛」を参照して書かれたと思われ。本の構成等はほぼ同じで、磨崖仏の略図を書いて番号をふり、各像の尊名等を記している。従って両著は各磨崖仏略図等はほぼ同じである。ただ、七石山磨崖三十三観音は図や尊名がかなり違っている。 |
令和5年6月3日 県内の山にて |
シロハラホオジロ |
5月23日にアップしたシロハラホオジロの続きです。この冬、県内の山で撮影しました。 |