京都の石仏X
伏見・宇治 
 
 このページは伏見区と宇治市の石仏を紹介する。このエリアは洛北・洛中・洛東(東山)・洛西(嵯峨野)のように京都の石仏を代表する石仏は見られない。しかし、豊満な顔、丸みのある体躯など、平安時代後期の様式がよく残る「安楽寿院三尊石仏」や鎌倉時代の厚肉彫りの「宇治橋観音石仏」・嵯峨油掛地蔵とおなじように油を掛けて参拝する信仰が残る「伏見油掛地蔵」(鎌倉時代)なとの古い石仏もある。江戸時代の石仏であるが、「奇想の画家」ともいわれる異色の画家、伊藤若沖が下絵を描き、石工たちに彫らしたという、「石峰寺五百羅漢」もこのエリアの石仏の見所である。



京都の石仏(36) 安楽寿院三尊石仏
京都市伏見区竹田中内畑町74 「平安後期」
釈迦三尊石仏
 
薬師三尊石仏
 
阿弥陀三尊石仏(京都国立博物館)
 安楽寿院は鳥羽上皇により、阿弥陀三尊を祀るために、保延3年(1137)、鳥羽離宮の東殿に、、建てられた御堂を起源とする寺院である。その後、本御塔、九躰阿弥陀堂、閻魔堂、不動堂などの諸堂が建てられ、全国に広大な寺領を持つ寺院となったが、中世以降衰え、現在は江戸時代の大師堂や書院などが残のみで、本尊の阿弥陀如来などに当時の面影をとどめる。

 三尊石仏は大師堂の西側の三宝荒神社の参道ぞいに仮堂がもうけられて2基安置されている。江戸時代に、安楽寿院の西の聖菩提院跡から掘り出されたものである。凝灰岩の高さ1mあまり、幅1.1m〜1.2m、厚さ0.4mの方形の切石に釈迦三尊と薬師三尊を厚肉彫りしたものである。軟質の凝灰岩のため痛みがひどく当時の面相が残るのは釈迦三尊の蓮華をささげた右の脇侍のみである。

 三尊石仏はもう一基、出土していて、現在、京都国立博物館の西の庭に安置されている。三尊石仏で最も保存状態がよく、豊満な顔、丸みのある体躯など、平安時代後期の様式がよく残る。
アクセス ・近鉄京都線竹田駅下車、南南西に400m



京都の石仏(37) 石峰寺五百羅漢
京都市伏見区深草石峰寺山町    「江戸時代」
 石峰寺は、伏見稲荷大社の南に続く低い丘陵地帯の中腹に位置する禅宗の寺院である。黄檗宗を開いた隠元の孫弟子に当たる、黄檗宗六世千呆(せんがい)禅師によって、正徳三(1713)年に創建された。

 石峰寺には、異色の画家、伊藤若沖(1716〜1800)が下絵を描き、石工たちに彫らしたという、石仏群がある。若沖は、京都の錦の青物問屋の生まれで、青物問屋の主人として17年間を過ごしたあと、家督を弟に譲り40歳以降、画道三昧に過ごしで、中国の院体花鳥画を手本にして、緊張感の高い独自の花鳥画を完成した人で、戦後、とみに評価を高めている画家である。「動植綵絵」(宮内庁・御物)三十幅のような幻想的な傑作や野菜を釈迦や羅漢に見立てた「果蔬涅槃図」などの宗教画がある。
釈迦誕生仏
二十五菩薩来迎石仏
十八羅漢
釈迦三尊(説法場)
羅漢
善光寺釈迦
賽の河原
白衣観音?
 石峰寺石仏群は安永(1772〜1781)の半ば頃より天明元(1781)年まで、6〜7年でつくられたもので、本堂の背後の裏山の小道に沿って、釈迦誕生より涅槃に至るまでの一代を物語る石仏群になっている。したがって、石峰寺五百羅漢と呼ばれて有名であるが、主役は羅漢ではなく、あくまでも羅漢は釈迦の一生の物語を飾る劇の脇役といったところである。

 石仏群は、「天上天下唯我独尊」と姿を示す釈迦誕生仏から始まり、出山釈迦、二十五菩薩来迎石仏や十八羅漢石仏、釈迦説法の群像、托鉢修行の羅漢〔羅漢(托鉢)〕の群像、釈迦涅槃の場面、賽の河原〔賽の河原地蔵〕と続いていく。その数は約500体(寺説)で、大きさは2m〜数十pで、表情・姿態はいずれも奇抜軽妙である。「果蔬涅槃図」の作者が原画を描いた石仏群らしい洒脱な石仏群である。

 北条五百羅漢や山野五百羅漢や瓜生十六羅漢・香高山五百羅漢などと比べると、石や岩の美しさ生かしているとは言い難く、石仏としては劣る。しかし、一種の釈迦の一代を描いた絵巻物として見たとき、この石仏群は、魅力を増すことになる。

 若沖は妹と二人、石峰寺の古庵に住み、生涯独身で過ごし、寛政十二年(1800)、85歳で没した。墓は賽の河原の石仏群を下った石峰寺墓地にある。
アクセス ・京阪電鉄本線「伏見稲荷駅」下車、南東に800m。または、JR奈良線「稲荷」駅下車、南東に500m。



京都の石仏(38) 伏見の油掛地蔵
京都府京都市伏見区下油掛町898   「鎌倉時代」
 「伏見桃山」駅より、大手筋通りを西に400mほど行き、納屋町を南に下り、魚屋通にはいるとそこは下油掛町である。その町の名前は魚屋通の北にある西岸寺にまつられている油掛地蔵尊に由来する。

 油掛地蔵はお堂の中の厨子に安置されていて、高さ170p、幅80pの花崗岩の表面に、右手に錫杖、左手に宝珠を持った地蔵菩薩を厚肉彫りしたものである。嵯峨油掛地蔵と同じく油が参拝の度に掛けられ、油が層になり黒光りをしていて、紀年銘などはわからない状態であるが、優れた面貌やなで肩の体躯など鎌倉時代の様式を示している。
アクセス 京阪「伏見桃山」駅下車西南西へ0.6q。または、近鉄「桃山御陵前」駅下車西南西へ0.7q。



京都の石仏(39) 宇治橋観音石仏
京都府宇治市宇治乙方   「鎌倉時代」
 宇治川にかかる宇治橋のたもと、京阪宇治駅の東詰にまつられている観音石仏である。花崗岩製で、別石の蓮華座の上に、二重光背を負った高さ115pの聖観音を厚肉彫りしたものである。宝冠をつけ、左手に蓮華を持って結跏趺坐している。かなり摩滅が進んでいるがやさしい顔の表情はまだ残っている。

 京阪宇治駅が改築され、駅周辺も大きく変わり、この観音石仏の周辺は喫茶店や雑貨店となっている。
アクセス ・京阪宇治線「宇治」駅下車。

・JR奈良線「宇治」駅下車。南東へ800m。


  
京都の石仏W