豊前の磨崖仏・瑞巌寺磨崖仏 |
大分県は、豊後と豊前から成り立っていが、大分県の磨崖仏のほとんどは豊後の国に集中している。しかし、豊前にも、数は少ないが磨崖仏の秀作がある。豊前国宇佐郡の楢本磨崖仏・下市磨崖仏など薄肉彫りの磨崖仏、豊前国の求菩提山の麓の岩屋(福岡県豊前市)の飛天の浮き彫り像などが、それである。また、このページでは豊後の国であるが、他の磨崖仏から離れた地にある瑞巌寺磨崖仏も紹介する。 |
国東の石仏T 国東の石仏U |
国東の磨崖仏(16) 楢本磨崖仏 |
大分県宇佐市安心院町楢本 「室町時代」 |
山中の杉林の中の安山岩層に数十体に及ぶ多くの磨崖仏が上下二段に、薄肉彫りされている。まず、目にはいるのは上段の不動明王で、顔は大きく誇張された表現になっていて、やや荒っぽい。その他、上段には薬師三尊・釈迦三尊・多聞天・仁王などの像が彫られている。 下段は、1m前後の薄肉彫り像や半肉彫りの像が数多く彫られている。十王・地蔵・阿弥陀三尊・不動・多聞天・十二神将などである。阿弥陀如来座像と比丘形座像を刻んだ磨崖宝塔もある。 不動明王横に「応永35年(1428)」の銘があるので室町時代の作であることがわかるが、作風から見て、すべて同じ時期につくられたとは考えにくい。下段の諸像の方が整っていて、気品がある。これらの像は、上段の大作よりやや古い時期の作ではないだろうか。 |
不動明王 |
下段の不動明王は立像で龕の中に彫られていて像高は1mほどである。髪は左右に渦を巻いた螺髪風てはなく逆立っている。 |
十二神将 |
十二神将は下段の一番上、幅7mほどに像高70〜95pの像がやや薄く半肉彫りされている。苔むして風化が進むが、向かって左端の三角形の岩に彫られた像などは鋭い鑿跡が残る。 |
金剛力士 |
金剛力士像は、上段の向かって右端に阿形、左端に吽形が薄肉彫りで彫られている。吽形は像高195p、阿形230pで楢本磨崖仏の中では最も大型で、赤く彩色され、デフォルメされた大げさな表現である。 |
毘沙門天 |
毘沙門天像は上段の左端の吽形像の右隣にあり、像高85p、右手を顔の横まであげて、戟を持ち、左手で宝塔を捧げ、左足を一歩踏み出した力強い姿である。赤い彩色か鮮明に残る。 |
国東の磨崖仏(17) 下市磨崖仏 |
大分県宇佐市安心院町下市 「室町時代」 |
矜羯羅童子・不動明王・薬師如来・阿弥陀如来 |
薬師如来・阿弥陀如来・観音菩薩 |
矜羯羅童子・不動明王 |
薬師如来 |
観音菩薩 |
宇佐市安心院支所の北西、安心院大橋の近くの三女神社の西側の小丘陵の東と南の崖に10体ほどの仏像を彫られている。東崖には岩壁の亀裂を巧みに生かして、天部形像(多聞天?)・観音座像・阿弥陀如来座像・薬師如来立像・不動明王座像・矜羯羅童子の各像を薄肉彫りする。岸壁が南側へ曲がりこむ角には、阿弥陀如来座像2体が彫られ、南崖の上部には薄肉彫りの阿弥陀如来像が彫り出されている。不動明王座像は像高162pでやや頭を左に傾け、右目を天に向けて左目を地に向け、右手に剣を顔に合わせて傾けて持ち、左手を肩まで上げて羂索を持つ。 この磨崖仏の西側は、「下市百穴」と呼ばれる横穴古墳群になっている。また、この磨崖仏の南西は、スッポンの養殖場て゛、現在、安心院町はスッポンのと葡萄の産地として知られている。 |
国東の磨崖仏(18) 鈴熊寺涅槃石 |
福岡県築上郡吉富町大字鈴熊233 「江戸時代」 |
福岡県の瀬戸内海側も豊前である。吉富町は山国川下流の町で、大分県中津市と接する。その吉富町の中央部の丘陵上に鈴熊寺がある。その丘陵の巨大な花崗岩の露岩に涅槃仏と五百羅漢を薄肉彫りする。寺伝によれば、鈴熊寺中興の祖、牛道法師が彫ったという。 写真を撮った時は夕刻で、ストロポも持っていなかったので、あまりよい写真ではないが、釈迦涅槃像の磨崖仏は珍しいので、ここに載せた。釈迦の周りに集まり嘆き悲しむ羅漢や菩薩や人々は、釈迦の足元で釈迦の足をなでる老女と悲しみのあまりに気を失い死人のように俯せに倒れている阿難尊者以外は、頭部だけを所狭しと彫り出していて、頭のこぶでできた山のように見え、異様な風景である。 |
国東の磨崖仏(19) 岩洞窟飛天像 |
福岡県豊前市岩屋 「鎌倉時代?」 |
英彦山とともに修験道の山として知られる求菩提山の山腹の岩洞穴の天井に彫られている。ごく薄い肉付けだか、技巧は優れ、衣の流れも美しい。顔と手は黄白色、衣は朱、雲は青白色に塗られている(着色は近年の補修か)。他に、洞穴の内には薬師堂(御堂)と層塔と近世の妙見菩薩などの石仏がある。薬師堂の薬師如来像が12世紀の作とされているのでこの飛天像も平安後期の作とされているが、鎌倉時代の説もある。 |
国東の磨崖仏(20) 瑞巌寺磨崖仏 |
大分県玖珠郡九重町大字松本 「室町時代」 |
不動三尊 |
不動明王 |
矜羯羅童子 |
多聞天 |
増長天 |
高さ約2.6m、幅約7mの龕が彫られ、その壁面に、不動三尊と左端に増長天・右端に多聞天を厚肉彫りする。中尊の不動明王は2mを越え、厚肉彫りとしては大きく迫力がある。セイタカ・矜羯羅の両童子は背をかがめた姿勢で不動明王に向かって合掌する。矜羯羅童子のあどけない表情が印象的である。 |
国東の磨崖仏(21) 瑞巌寺磨崖仏小石窟 |
大分県玖珠郡九重町大字松本 「江戸時代」 |
不動三尊・地蔵十王 |
地蔵菩薩 |
十王像 |
大分県の史跡に指定されている瑞巌寺磨崖仏から20m程離れたところに、小さな石窟があり、不動三尊や地蔵菩薩・多聞天などの小像を薄肉彫りする。彩色が残り、地蔵の光背の周縁には十王像を墨書きして色をつけている。不動三尊の脇持は板絵風にして描いている。江戸時代の素朴な作品で、民芸品のような味わいがある。 |