住蓮・安楽と鈴虫・松虫像

 
 自然石の表面を平らにして、花頭窓風の彫り窪みをつくり、上下に分けて、上に往蓮・安楽の二人の僧、下に向かい合って立つ落飾した鈴虫・松虫の2人の女性を半肉彫りする。専修念仏の停止され、法然の門弟4人の死罪、法然と親鸞ら中心的な門弟7人が流罪に処された「承元の法難」のきっかけとなった伝わる事件に関わったのが、住蓮・安楽と鈴虫・松虫である。
 
 法然上人の説法に魅了された後鳥羽上皇の女官姉妹、松虫と鈴虫が、後鳥羽上皇の熊野参詣の留守中に、御所を忍び出て、「鹿ヶ谷草庵」で法然上人の弟子である住蓮・安楽に剃髪得度を願い、住蓮は松虫を、安楽は鈴虫を剃髪する。

 松虫と鈴虫が出家し尼僧となったことを知った後鳥羽上皇は激怒し、法然上人は讃岐へ流刑、弟子である親鸞聖人は越後国へ流刑。そして安楽は六條河原において、住蓮房は近江国馬渕にて処刑される。鈴虫と松虫は承元の法難後、安芸国生口島光明三昧院に逃れ、安楽・住蓮の菩提を弔ったという。