天理市の石仏U(桃尾の滝・龍福寺道の石仏) |
石上神宮から3q離れた山中に桃尾の滝がある。落差23mの滝で、「布留の滝」として古今集に詠まれ、古くから親しまれている。春日断層崖に沿う滝の中では最大の規模である。桃尾の滝は奈良時代に創建された桃尾山蓮華王院龍福寺の境内地になっていた。この桃尾の滝は行場として利用されていたと思われる。龍福寺は明治時代の廃仏毀釈によって断絶した。 滝の近くの岩肌に鎌倉時代の迫力ある線彫りの不動三尊磨崖仏がある。その近くには伊行経作の如意輪観音石仏や不動石仏がある。滝から龍福寺への龍福寺道にも南北朝時代の不動や地蔵の磨崖仏があり、多くの板碑も置かれている。龍福寺道から脇道にそれた所に墓地があり、墓地の奥に江戸時代初期の地蔵磨崖仏がある。 龍福寺は奈良時代に建立された寺院で、石上の神宮寺とも伝えられる。廃仏毀釈によって断絶した。現在、龍福寺跡には大和桃尾山大親寺という寺があり、不動堂や本堂が建てられている。境内には最近になって彫像された法華経二十八品に関わる石仏や四国八十八ヶ所霊場石仏が並んでいる。 |
天理市の石仏11 桃尾の滝不動三尊磨崖仏 |
奈良県天理市滝本町 「鎌倉時代」 |
桃尾の滝の向かって左の岩壁の岩面を高さ138p、幅70pの長方形の枠どりをつくり、その中に像高132pの不動明王を板彫り状に浮き出し、線彫りで面相や着衣を線彫りで表したもので勇壮で力強い像である。脇持のコンガラ童子・セイタカ童子も板彫り式線刻である。火焔は枠の外まではみ出す。技法的にも類の見ない像で滋賀県の富川磨崖仏ほどの雄大さはないが同じように岩の厳しさに正面から取り組んでいて迫力がある。鎌倉時代中期の作である。 |
天理市の石仏12 桃尾の滝如意輪観音石仏 |
奈良県天理市滝本町 「南北朝時代」 |
桃尾の滝如意輪観音石仏は二重円光背を負って坐す像高43pの厚肉彫り像で、小作りながら技巧的に優れた石仏である。右足の膝を立て、両足裏を重ねて座り、六臂像である。一本の右手は頬杖をし、一本の地につけている。他の手で宝珠・念珠・蓮華・宝輪を持つ。左手は像の左に「奉起立行経」の刻銘があり、鎌倉後期から活躍する名工伊行経の作であることがわかる。 |
天理市の石仏13 桃尾の滝の不動石仏 |
奈良県天理市滝本町 「貞和4(1348)年 南北朝時代」 |
桃尾の滝付近には大和を代表する不動三尊磨崖仏以外にも不動石仏がある。その一つが滝の前の小さな覆い堂の不動石仏である。高さ60pほどの先の尖った船形の自然石に像高90pの不動明王立像と2童子を半肉彫りしたもので、不動は右手で細い剣を斜めに立てて構え、左手を腰まで垂らし羂索を持つ。滝脇の不動三尊磨崖仏と比べると、力強さや迫力を欠くが、丸顔の憤怒する顔や童子の顔も丁寧に写実的に彫られている。 「奉起立貞和四年二月廿三日」の銘があり、南北朝時代の作であることがわかる。不動三尊磨崖仏の近くに「奉起行経」の銘のある如意輪観音石仏があり、銘の「奉起立」が同じことや、丁寧な技法の熟達した作風などからこの不動石仏は同じ頃の同じ石工の作と考えられる。行経は奈良市南田原のきりつけ地蔵や岡山の保月三尊板碑・保月六面石幢の作者、伊行恒(行経)とも考えられ、行経の晩年の作として貴重である。 |
天理市の石仏14 竜福寺道の不動磨崖仏 |
奈良県天理市滝本町 「南北朝時代」 |
桃尾の滝から山道を登っていくと、奈良時代に建ったといわれる龍福寺跡がある。その山道の参道の途中薄暗い谷沿いの岩肌に長方形の枠をとり、像高60pの不動明王の立像を半肉彫りした竜福寺道不動磨崖仏がある。力強さはないが破綻のない彫りで南北朝時代の作と思われる。光量不足でよい写真がとれず露出補正と画像ソフトの補正して載せた画像です。谷の水かあふれるのか、泥と苔に覆われているのが残念である。 |
天理市の石仏15 竜福寺道の地蔵磨崖仏・板碑など |
奈良県天理市滝本町 |
阿弥陀石仏・板碑(梵字「ア」)・板碑(梵字「キーリク」) |
板碑(梵字「ア」)・双仏石・名号碑・地蔵磨崖仏 |
地蔵磨崖仏 |
龍福寺の山道の参道脇には多くの板碑や石仏が並んでいる。多くの板碑は高さ60p、幅23pで頂部を山形にして、碑身に枠取りをして上部に月輪を刻み、梵字「ア」を彫り、その下に法名を刻んだもので、月輪と法名の下には蓮台が彫られている。他に、梵字「キリーク」と法名を刻んだ板碑や「南無阿弥陀仏」と刻んだ名号碑も見られる。 不動磨崖仏から参道を少し上がった左側の山裾の小さな岩に地蔵立像が彫られている。岩にやや深く船形の彫りくぼみをつくり、船形いっぱいに錫杖と宝珠を持った地蔵立像を半肉彫りする。周りには板碑や名号碑、双仏石が散在している。これらは室町時代以降のものと思われる。 |
天理市の石仏16 滝本墓地地蔵磨崖仏 |
奈良県天理市滝本町 「江戸初期」 |
桃尾の滝から山道を400mほど登ると龍福寺跡(現在は大親寺)に出る。その山道の途中、少し脇道に入ったところに墓地があり、その墓地の奥に地蔵菩薩の磨崖仏がある。高さ3mほどの岩肌に、長方形の彫り込みをつくり、像高約90pの、宝珠と錫杖を持った地蔵立像を半肉彫りしたものである。 年号はなく法名と「七月十五日」の日付などの刻銘があるが年号は見当たらない。端整な顔立ちで南北朝時代から室町時代の作と一瞬見えたが、よく見ると、蓮弁は細く弱く単調な表現で衣紋も形式的で、安土桃山から江戸時代の作と考えられる。 |
天理市の石仏17 大親寺(龍福寺跡)の石仏 |
奈良県天理市滝本町693 |
毘沙門天・観音菩薩・子安地蔵 |
第一 文殊菩薩 (序品第一) |
第二 舎利弗尊者 (方便品第二) |
第十九 常精進菩薩 (法師功徳品第十九) |
第廿一 上行菩薩 (如来神力品第二十一) |
第廿四 妙音菩薩(妙音菩薩品第二十四) |
第廿七 薬上菩薩(妙荘厳王本事品第二十七) |
桃尾の滝から山道を登っていくと、奈良時代に建ったといわれる龍福寺跡がある。龍福寺は廃仏毀釈によって断絶し、その後、大和桃尾山大親寺として不動堂や本堂が建てられた。境内には最近になって彫像された多くの石仏が並んでいる。最初に目に入ったのは3体の石仏でそれぞれ方形(六面体)の基壇の上に毘沙門天・観音菩薩?・子安観音を光背を背にして厚肉彫りしたものである。 次に目にしたのは方形の基壇に「第一 文殊菩薩」や「第一五 弥勒菩薩」・「第廿五 観音菩薩」などと刻銘されている二十八体の石仏である。最初は霊場の石仏かなと思ったのですが、十大弟子や薬王菩薩など寺の本尊とは思えない尊像が多く、霊場の石仏ではないようです。後にあまり聞かない「妙音菩薩」や「常不軽菩薩」などについて調べると法華経に見られる菩薩名であることがわかり、それぞれ法華経二十八品の各品(章)にかかわる尊像であることがわかった。他に境内の奥には四国八十八カ所霊場の石仏が並んでいる。 これらの石仏は写実的であるが、「いかにも現代の石仏」といった形式的な像で、それほど魅力を感じなかった。しかし、法華経二十八品に関わる珍しい像の石仏だったのでアップした。 |