令和6年4月30日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
暗い山の森の中で鳴いているキビタキです。毎年、5月頃この山の森で、キビタキが盛んに囀っています。 |
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センダイムシクイ・キビタキ・ウグイス |
尾根伝いの山道を歩いていると、右からウグイスの声が、左の木々が茂った谷からセンダイムシクイやキビタキの声が聞こえました。 |
コナラの木の枝にとまって時々囀っていたセンダイムシクイです。 |
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右側の谷にはキビタキもいました。 |
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尾根の左側は草や低い雑木の茂みで見晴らしがよく、茂みの中に1本、葛の蔓が絡まった小さな枝が目立つ木があります。この木でいつもウグイスが囀っています。おそらく雄で周りの茂みで子育てをしている雌を守ったり縄張りを主張するために囀っていると思われます。小さい枝が邪魔をしていつも枝かぶりのウグイスの写真しか撮れません。 |
令和6年4月29日 東北の磨崖仏(2)(3) | ||
東北の磨崖仏(2) 田沢磨崖仏(岩地蔵) | ||
宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢宮原34 「鎌倉~室町時代」 | ||
阿武隈川の河岸の岩塊の横穴墓を利用した石窟に4体の仏像と板碑を刻んだ磨崖仏で「岩地蔵」と呼ばれている。主となる石窟には三体の半跏像の地蔵菩薩が厚肉彫りされている。川に突き出た岩に彫られているため容易には近づけないが2体は川岸から見ることができる。一体は側壁に刻まれていていて、何とか岩を伝って石窟近づいて確認することができた。 風化が進み印相等は確認できない。目鼻の風化も進んでいて側面と向かって左の像は面相はわからないが、向かって左の像は当時の面影を残していて、富沢虚空蔵窟石仏に似た穏やかな面相をしている。虚空蔵窟石仏のような繊細さはないが、茫洋とした魅力がある。 一番手前の石窟には座像の厚肉彫り像が刻まれているが、風化が激しく尊名は確認できなかった。 古墳時代末期に築造された横穴墓群の中に石仏を刻んだもので岩地蔵といわれている。この場所は、昔の要路であった東街道の渡し場「稲葉の渡し」で、左甚五郎が船を待つ間に彫り上げたという伝説が残されている。 |
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東北の磨崖仏(3) 岩切磨崖仏 | ||
宮城県仙台市宮城野区岩切入山22(東光寺境内) 「鎌倉時代?」 | ||
阿弥陀如来・薬師如来 | ||
如来座像・如来座像・菩薩立像・阿弥陀如来 | ||
阿弥陀如来 | ||
薬師如来 | ||
東光寺は留守氏四代留守家政の妹比丘尼性喜の菩提寺といわれ、市内でも最も由緒古い寺院の一つである。東光寺の境内や周辺には古代から中世・近世にかけての横穴群・城跡・板碑群・石窟仏群など遺跡・遺物があり、仙台市教育委員会によって発掘調査が行われた。 その石窟仏群が岩切磨崖仏である。風化が激しく、尊容も明瞭でないものが多いが、主窟は鉄柵が設けられていて、比較的保存状態はよい。高さ約2m、奥行約2.5m、幅約3.1mの横穴状の岩窟の正面に像高約150cmの薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像が、左壁には二体の菩薩立像と二体の坐像、右壁には菩薩立像と天部像が彫られている。石仏の肩から上の部分は水を含みやすい地層なのか黒くなっていて風化も進んでいて、薬師如来の顔面は大きくえぐられている。この磨崖仏は「穴薬師」と称して、慈覚大師円仁が一夜にして3薬師の一つ「宵の薬師」として古くから信仰を集めていた。 |
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令和6年4月26日撮影 隣町の山にて |
ウグイス |
キビタキやセンダイムシクイばあちこちで鳴いているのですが、この日はどちらも姿はちらっと見たのですが、まともに写真は撮れませんでした。撮影できたのはウグイスだけでした。 |
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令和6年4月25日 隣町の山にて |
キビタキ |
山道を歩いているとキビタキの地鳴きがかぐ近くで聞こえました。聞こえる方を見てみるとキビタキが数メートル先の木の枝ととまっていました。カメラを向けたのですが近く過ぎてピントが合わず慌てましたが、すぐに飛ばなかったので何とか撮影できました。 |
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ニュウナイスズメやセンダイムシクイがいたコナラの木にもキビタキはいました。 |
| ニュウナイスズメ・センダイムシクイ |
いつも行く隣町の峠付近の山へ行く途中の道路の左右のコナラの木々からセンダイムシクイなどの鳥の鳴き声が聞こえたので、車を降りてコナラの木にカメラを向けました。コナラにはセンダイムシクイだけでなくニュウナイスズメ・キビタキ・メジロ・ヤマガラなど様々な鳥がいました。 |
センダイムシクイと思ってカメラを向けてみると上面はオリーブ色でなく茶色で、嘴は黒色です。ニュウナイスズメの雌です。 |
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雄のニュウナイスズメもいました。 |
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センダイムシクイです。 |
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令和6年4月24日 隣町の山にて |
センダイムシクイ |
この日もセンダイムシクイも鳴き声があちこちで聞こえていました。キビタキを撮影した後、近くのコナラの木で鳴くセンダイムシクイを撮影しました。 |
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キビタキ |
今日の隣町の山はウグイス・ソウシチョウ・センダイムシクイの声は所々で聞こえたのですがキビタキの囀りは聞こえませんでした。今日はキビタキは撮影できないと思っていたら、ヒタキ類の地鳴きが聞こえました。鳴き声が聞こえたほうにカメラを向けるとキビタキでした。しばらく同じ枝にとまっていて、十分楽しませてくれました。 |
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令和6年4月22日撮影 隣町の山にて |
キビタキ |
山の上の公園のキビタキです。この日は枝や葉に被らずキビタキを撮ることができました。 |
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令和6年4月20日撮影 隣町の山にて |
ソウシチョウ |
隣の山は昨日と同じようにソウシチョウの鳴き声があちこちで聞こえていました。昨日は姿を見られませんでしたが、今日は姿を見せ何とか撮影できました。 |
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センダイムシクイ |
センダイムシクイも鳴き声があちこちで聞こえていました。この日は2ヶ所でセンダイムシクイを撮影しました。 |
最初に撮影したセンダイムシクイです。 |
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最初に撮影した場所から山道を500m離れた場所で撮影したセンダイムシクイです。 |
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シメ♀ |
センダイムシクイのさえずりが聞こえるコナラにカメラを向けると、「チィ」「チィ」とセンダイムシクイ以外の鳥の声が聞こえ、センダイムシクイより大きい鳥を見つけました。シメの雌です。 |
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令和6年4月19日 隣町の山にて | キビタキ・シロハラ |
隣町の山は2週間前は鳥影少なく聞こえる鳥の声はメジロ・ヒヨドリぐらいだったのですが、今日はウグイス・ソウシチョウ・センダイムシクイ・キビタキなどの鳴き声があちこちから聞こえました。 |
ウグイス・センダイムシクイは撮影したのですが、すべて枝被りで載せるような写真はありませんでした。何とか撮影したのは今日もキビタキでした。 |
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冬鳥のシロハラもいました。「アカハラかな」と期待したのですが。
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令和6年4月18日 地元の山の上の公園にて | キビタキ |
山の公園の桜園のキビタキです。この桜園で3日間連続のキビタキの撮影になります。空抜けで後ろ向きですが、ようやく枝や葉なと被らずにキビタキを撮影できました。 |
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空抜けでないピントの合った写真を撮ったつもりだったのですが、見直してみると枝被りでした。 |
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令和6年4月16日 地元の山の上の公園にて | キビタキ・センダイムシクイ |
山の上の公園の桜園でこの日もキビタキを撮影しました。また、山の上の公園に向かう登山道ではセンダイムシクイがさえずっていました。 |
桜園の桜(ジンダイアケボノ)は横に張った枝が少なく、上向きの小さい枝が多くあって、枝にとまっている野鳥を撮ろうとすると枝被りになることがよくあります。この日もキビタキをきれいに撮れたと思っていたのですが、モニターで見ると小さい枝が被っていました。 |
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山の上の公園へ向かう急な登山道で「チョチョビー チョチョビー」と高い木の上からセンダイムシクイの声が聞こえました、カメラを構えて撮影しようとしたのですが、なかなか撮影できません、何とか逆光でしたが撮影できました。 |
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令和6年4月15日 隣町の山にて | センダイムシクイ |
3月末にセンダイムシクイを見て以来、隣町の山でセンダイムシクイを撮影しようと何回か訪れているのですが、いつも何か所でセンダイムシクイの声を聴くのですが、撮影できませんでした。今日、ようやくセンダイムシクイを2か所で撮影できました。 |
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2か所目で撮影したセンダイムシクイです。こちらは逆光での撮影です。 |
令和6年4月14日 地元の山の上の公園にて |
桜園の桜(ジンダイアケボノ)もほとんど散ってしまいましたが、桜園では花が咲いている時にいたメジロやヤマガラは見られなくなりましが、シロハラ・アオジ・ツグミ・ビンズイなどが桜園のあちこちで見られました。 |
キビタキ・シロハラ |
アカハラとオオルリ・センダイムシクイなどの夏鳥を期待していたのですが、昨日来た時はビンズイ・アオジなどを撮影しただけでした。今日もアカハラ・オオルリ・センダイムシクイは見られませんでしたが、キビタキがいました。残念ながら、後ろ向きの姿しか撮れませんでしたが、今年初めてのキビタキです。 |
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毎年のよう4月にこの公園の桜園でアカハラを見ているので今年もアカハラを撮影したいと思っているのですが、昨日も今日もシロハラしか撮影できませんでした。 |
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ルリビタキ♀・アオジ・ビンズイ |
ルリビタキ♀です。今の桜園はキビタキなどの夏鳥とこの辺りでは冬には見られない漂鳥や冬鳥が混在している状態です。ルリビタキもそろそろ高い山へ移動するころと思うのですが。 |
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漂鳥のアオジは毎年、桜の花が散るころに桜の木でよく見かけます。 |
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ビンズイです。ビンズイはこの辺りでは1月から4月にかけて見かけます。特に4月は地元の山や公園で毎年よく撮影しています。 |
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令和6年4月12日 近くの大きな公園にて |
いつも行く地元や隣町の山や公園でここ数日、ニュウナイスズメ以外に撮影していないので、久しぶりに近くの大きな公園に行きました。珍しい野鳥はいませんでしたが、何種類かの野鳥を撮影できました。 |
桜にホオジロ♀とメジロ |
満開の桜は桜は散り始めて、青葉が目立つようになっています。その桜の木にホオジロの雌がとまっていました。 |
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桜にメジロです。 |
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アオジ・ビンズイ |
アオジの雄です。近くの河原や山や公園で毎年よく見かけるアオジを今年はあまり見ていません。久しぶりのアオジの撮影です。雄のアオジです。 |
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花が散った桜の木の付近で薄茶色の3羽の鳥を見つけました、1羽を撮影してモニターで見てみるとビンズイでした。 |
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3羽のうち1羽は幼鳥でした。 |
令和6年4月11日 宮崎の田の神 (100)(101) | |||
宮崎の田の神 (100) 尾谷の田の神 | |||
宮崎県宮崎市高岡町内山1932 「安政4年(1857)」 | |||
尾谷の田の神も石祠に納められていて柱に「安政四年(1857)年巳六月吉日」「尾谷相中」と刻銘がある。柚木崎や田之平の田の神と同じように瓜実顔の田の神像であるが、装束の表現は硬く、立体感に欠ける。纓を垂らした冠や笏も彫られいる。撮影の時、居合わせた地元の人から「曾祖父の別府金蔵ら尾谷の村人たちによって建立され、昭和になって尾谷林道の入口に移した。」ことを聞くことができた。 | |||
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宮崎の田の神 (101) 高浜の田の神 | |||
宮崎市高岡町高浜 | |||
高浜の田の神1 「年代不明」 | |||
高浜の田の神2 「年代不明」 | |||
天然記念物に指定されている梅の古木、高岡の月知梅がある高岡町高浜には白く化粧された田の神が2体ある。1体は高浜神社の近くの石祠の中に祀られている(高浜の田の神1)。神官型座像の田の神で両手を膝の前で輪組する。装束の表現は高岡五町や去川・浦之名の田の神のような写実的な表現でなく小林市野尻町の田の神のような角張った抽象的な表現である。 全身を白色で彩色し、目鼻口は黒で描かれ、装束は黒で田の字の模様と丸に十の紋を描いている。よく化粧直しをしているようで、最初に訪れた時はゲシゲジ眉毛の男らしい顔であったが、再度の訪問時は丁寧な化粧で子供のような可愛らしい顔になっていた。 高浜の田の神1より少し離れた集落の北西にもう1体、全身を白色で彩色した田の神がある(高浜の田の神2)。この像も石祠の中に祀られていて、座像の田の神である。右手に笏、左手に宝珠らしきものを持つ。頭部に冠の甲や纓があるので神官型の田の神と考えられる。右手に笏、左手に宝珠を持つ神官型田の神像は高岡町では何体か見られる。高浜の田の神1と同じく装束は黒で田の字の模様が描かれているが、この時は丸に十の紋はなく鼻の下に髭が描かれていた。 |
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令和6年4月10日 近くの川にて |
ニュウナイスズメ |
川岸の桜並木に行きました。6日に引き続いてニュウナイスズメの撮影です。今日は青空の空抜けで、6日の時と比べるとよい写真が撮れると思ったのですが、ニュウナイスズメの動きが素早く、枝や花が被った所にとまることが多いため、たいした写真は撮れませんでした。 |
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雌のニュウナイスズメです。 |
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令和6年4月9日 東北の磨崖仏 (1) |
東北の磨崖仏 |
東北地方の磨崖仏の多くは福島県に集中している。その代表的なものとして泉沢磨崖仏・舘ヶ岡磨崖仏などがある。
東北の他の県には全く磨崖仏はないかといったら、そうではなく、数は少ないが、宮城県の富沢磨崖仏・岩切磨崖仏(仙台市東光寺境内)、山形県の大森山磨崖仏(東根市大森山)、岩手県の達谷窟(たっこくのいわや)大日如来磨崖仏など、福島県の磨崖仏に劣らない中世の磨崖仏がある。 その中でも特に知られていて、観光客も多数訪れるのが達谷窟大日如来磨崖仏である。日本有数のの大きさを誇る磨崖仏でもある。 宮城県を代表する磨崖仏が富沢阿弥陀如来磨崖仏である。保存状態もよく、泉沢磨崖仏・舘ヶ岡磨崖仏に匹敵する優れた磨崖仏である。また、仙台市周辺には、穴薬師と呼ばれる石窟に祀られた薬師如来がいくつかあり、その多くは磨崖仏である。東光寺の岩切磨崖仏・湊浜薬師堂の磨崖仏・菅谷の穴薬師などが知られている。これらは「宵の薬師」(岩切磨崖仏)、「夜中の薬師」(菅谷の穴薬師)、「暁の薬師」(湊浜薬師堂の磨崖仏)と称され、慈覚大師一夜の作と伝えられている。他に大和町の報恩寺穴薬師も石窟に彫られた薬師磨崖仏である。 宮城県には他に、松島の雄島の六地蔵及び阿弥陀の磨崖仏や亘理町田沢の岩地蔵磨崖仏などがある。磨崖仏ではないが富沢磨崖仏の近くの「虚空蔵窟」と呼ばれる石龕には鎌倉時代の優れた地蔵石仏が安置されている。 山形県では大森山磨崖仏以外に安久津八幡神社阿弥陀磨崖仏・吹浦十六羅漢岩などがある。ともに江戸時代の磨崖仏である。 福島県の磨崖仏については「福島の磨崖仏」としてアップしているので、ここでは宮城県・岩手県・山形県の磨崖仏を「東北の磨崖仏」として紹介する。 |
東北の磨崖仏(1) 富沢磨崖仏群 | ||
富沢地区岩崎山西側の凝灰岩が露出した岩肌斜面に、高さ2.4mの阿弥陀如来座像の磨崖仏があり、「富沢大仏」と呼ばれている。富沢大仏は現在は風化を防ぐために昭和40年代つくられたお堂のなかにある。富沢大仏の北には石窟があり、その中に七体の丸彫りの比丘形像などが納められている<富沢六地蔵>。お堂の背後の斜面には江戸時代の石仏が多数見られる。岩崎山の東側にも虚空蔵窟とよばれる石窟があり、4体の比丘形像が安置されている<富沢虚空蔵窟石仏>。富沢六地蔵と富沢虚空蔵窟石仏は磨崖仏ではないが、岩を穿ちて造られた石窟に安置され、岩と一体になって摩崖仏かのような趣がある。 | ||
<富沢阿弥陀磨崖仏> | ||
宮城県柴田郡柴田町富沢岩崎 「嘉元4(1306)年 鎌倉時代後期」 | ||
東北本線槻木駅の北約3㎞の柴田町富沢の小さな丘、岩崎山の西面する山裾に通称「富沢大仏」と呼ばれる阿弥陀磨崖仏がある。丘陵端の凝灰岩の岩層を利用して作られた磨崖仏で、堂内に保存されていたため保存状態はよい。 岩面を1mばかり彫りくぼめ、像高240㎝の定印の阿弥陀如来座像を厚肉彫りする。ほとんど丸彫りに近く彫られた角張った大きな顔と大粒の螺髪が、「富沢大仏」という通称にふさわしく雄大である。大きな鼻と厚ぼったい唇など達谷窟大日如来磨崖仏と共通する表現で、いかにも東北らしい鈍重であるが素朴な力強さを感じる磨崖仏である。 像に向かって右壁面に「嘉元4(1306)年」の年とともに恵一坊藤五良なるものが父の供養のために刻んだ旨がかかれた銘文があり、東北地方唯一の在銘磨崖仏として資料的価値も高い。 |
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<富沢六地蔵> | 宮城県柴田郡柴田町大字富沢岩崎 「徳治2(1307)年」 | |
阿弥陀磨崖仏の堂の向かって左側の岩肌に彫り込んだ石龕があり、その中に丸彫りの比丘形像7体が安置されていて、六地蔵と称されている。合掌する1体を除いて、膝の上に両手を置く(右手を膝の上で与願印にしたものも見られる)。二つに身体が割れたり、持ち物が折れたりしている像がみられが、向かって右の3体が痛みが少ない。しかしこの3体も頭部は摩滅していて表情がわからない。しかし、頭光を付けた丸掘りでフォルムはよく、鎌倉期の古仏らしい気品がある。「徳治2(1307)」の年紀銘がある。膝の上の両手には宝珠は見あたらないので、地蔵石仏とは断言できないが、地蔵と同じ比丘形像であることから地蔵石仏と考えてよいのではないだろうか。 | ||
<富沢虚空蔵窟石仏> | ||
宮城県柴田郡柴田町大字富沢岩崎 「永仁2(1294)年」 | ||
富沢虚空蔵窟は富沢大仏の山を挟んだ反対側の離れた場所にあるためほとんどの人が訪れない。民家の裏の山の斜面の岩山にあり、四角い石窟の中に4体の比丘形の丸彫り座像が納められている。 中央の正面を向く2尊は右手を膝から垂らし与願印、左手で丸餅(宝珠?)のような物を掌にのせている。左右の2尊は中央の2尊よりやや小さく、中央の2尊の方を向かい合っている。膝より高い位置で両手を組むようにして何か捧げるようにしているように思えるが、布or着衣をかぶせていてわからない。中央の2尊はほとんど風化・摩滅がなく、木彫風の丸彫り像の秀作で、鎌倉期の古仏らしい気品がある。永仁2(1294)年の紀年銘がある。 |
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令和6年4月8日 宮崎の田の神 (97)~(99) | |||
宮崎の田の神 (97) 面早流(もさる)の田の神 | |||
宮崎市高岡町五町面早流 「年代不明」 | |||
唐崎の田の神から国道10号線を東へ0.7㎞ほど進むと大淀川にかかる面早流(もさる)橋があり、橋を渡ると「面早流」バス停がある。そのバス停から国道をそれて集落へ入って北へ200mほど進んだ道端に面早流の田の神が鎮座している。瓜実顔で切れ長の目の気品のある顔立ちで、冠の巾子は立派で烏帽子のように見える。両手を膝の上で輪組みする。2回訪れたが、どちらの日も快晴で逆光だったためよい写真は撮れなかった。 | |||
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宮崎の田の神 (98) 柚木崎(ゆのきざき)の田の神 | |||
宮崎市高岡町五町柚木崎 「元文2年(1737)」 | |||
宮崎駅行きバスの「面早流」の次のバス停が「柚木崎」である。そのバス停の近くの路傍に柚木崎の田の神がある。面早流の田の神とよく似た瓜実顔で切れ長の目の気品のある顔立の神官型の座像の田の神で、両手を膝の上で輪組みする。頭に被っているのは立烏帽子のように見えるが、冠の甲のような部分が烏帽子の下にあるので烏帽子ではなく巾子(こじ)で冠とも考えられる。 | |||
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宮崎の田の神 (99) 浦之名田之平の田の神 | |||
宮崎市高岡町浦之名田ノ平 「嘉永年間(1848~1854)」 | |||
浦之名の東、野尻町との境付近にある田之平の田の神も面長で、頭に巾子をのせている。横から見ると巾子から垂れる纓(えい)も表していることがわかる。石祠に納められているが、石祠の柱は新しいものになっている。横に古い石柱の一部が残っていて「嘉永(1848~1854)」と刻まれている。(年号の部分はコンクリートで固められ読めない。) | |||
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令和6年4月6日 近くの川にて |
ニュウナイスズメ |
去年ニュウナイスズメを撮影した近くの川岸の桜並木に行きました。今年も数羽のニュウナイスズメが満開になったソメイヨシノの花蜜を食べに来ています。今日は曇り空の空抜けの逆光でため桜の花は美しく撮れませんでしたが、花ラッパなどニュウナイスズメのいろいろな姿を撮影できました。 |
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雌のニュウナイスズメです。 |
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令和6年4月5日撮影 近くの広い公園にて |
シロハラ・ルリビタキ♀ |
4月5日に広い公園で撮影したシロハラとルリビタキ♀です。 |
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令和6年4月4日撮影 自宅の裏にて |
イソヒヨドリ |
我が家のある住宅地には数羽のイソヒヨドリがいて、町内を散歩するとあちこちでイソヒヨドリの鳴き声をきいたり、姿を見たりします。自宅不付近には2羽のイソヒヨドリがいて、テレビアンテナの上で囀ったり、時には我が家の屋根下にとまったりします。この日は我が家の裏の空き地にいてブロック塀にとまりました。 |
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令和6年3月30日撮影 地元の山の上の池にて |
オシドリ |
地元の山の上にある2つの池にいるオシドリは、最近は見かけることはほとんどありません。3月30日以降は見ていません。30日に対岸の岸近くを移動する雌と雄のオシドリを撮影したのが最後です。 |
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令和6年4月2日 地元の山の上の公園にて |
山の上の公園の桜と花桃 |
昨日は望遠レンズしか持っていなかったので、満開になった桜の風景写真は撮れませんでした。そこで今日はレンズを変えて撮った桜の写真を載せました。この公園と隣の桜園の桜はほとんどがジンダイアケボノです。花は淡紅色で、花弁のピンク色がソメイヨシノより濃くグラデーションがあり鮮やかです。 |
この山の公園は、ベンチやキャンプ施設、ふれあい広場などが整備された公園部分と山を切り開いてジンダイアケボノを一面に植えた桜園から成り立っています。公園にも桜がたくさん植えられています。この写真は桜園の入り口付近です。手前の木は花桃です。背後にある桜がジンダイアケボノです。いつもは花桃はジンダイアケボノより遅れて咲くのですが? |
花桃です。 |
桜園はジンダイアケボノが所狭しと植えられていてピンクの山になっています。 |
キャンプ施設などがある公園の桜もほとんどがジンダイアケボノですが、所所に紅色に近い桃色の桜がありよいアクセントになっています。この写真の背景はジンダイアケボノの咲く桜園です。 |
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枝垂桜はまだ5分咲きです。 |
令和6年4月1日 地元の山の上の公園にて |
桜にヤマガラ・ウグイス・メジロ |
27日に山の上の公園に行ったときには、花芽が赤く膨らんでいたが、花が咲いていなかった桜(ジンダイアケボノ)が連日の夏日に近い高温で満開です。2分咲きぐらいだと思って来たのですが驚きです。その桜にヤマガラが来ていました。ヤマガラは花や赤い花芽を食いちぎって花芯の部分を食べているようです。他にウグイスとメジロを撮影しました。 |
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ヤマガラを撮影しているとき、薄茶色の鳥を見つけてカメラを向けました。モニター画面で見てみるとウグイスでした。 |
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ジンダイアケボノ桜は枝が多く、それも上向きで、メジロは写しやすい場所にとまってくれませんでした。数多く撮った写真の数枚しかアップできる写真はありませんでした。 |
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河津桜に来ていたメジロは明らかに花蜜を採食しいるようでしたが、このメジロはヤマガラと同じように花芯の部分を咥えています。 |