令和7年3月29日撮影 近くの川にて |
イカルチドリ・イソヒヨドリ |
近くの川に行きました。河川敷でキジやタヒバリ、河川横の水路でタシギを見たのですが撮影できませんでした。まともに撮影できたのは河原のイカルチドリと河川近くの民家の鬼瓦の上で鳴くイソヒヨドリです。 |
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河原から「ピイ ピイ」とチドリらしき鳴き声が聞こえたので、3月であることを忘れて夏鳥のコチドリを期待してカメラを向けてみると、留鳥のイカルチドリでした。 |
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堤防を歩いていると盛んにさえずっているイソヒヨドリの声が聞こえました。さえずりり声の先を探してみると川の近くの大きな民家の鬼瓦の上でした。 |
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令和7年3月28日撮影 近くの大きなため池にて |
カンムリカイツブリの求愛行動 |
岸近くに2羽のカンムリカイツブリのうち飾り羽がやや少ない1羽は濃い飾り羽の1羽を置いて、池の中央に移動して休んでいました。しばらくすると濃い飾り羽の1羽が追いかけていき2羽は寄り添って求愛行動を始めました。濃い飾り羽のカンムリカイツブリは冠羽を立て、飾り羽を開いています。 |
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カンムリカイツブリ |
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近くの大きなため池の2羽の夏羽のカンムリカイツブリです。最初に見た時は岸近くに2羽いました。その後は別れてしばらく離れた場所にいました。 |
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右のカンムリカイツブリは冬羽です。冬羽のカンムリカイツブリこの池では久しぶりに見ました。 |
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令和7年3月26日撮影 地元の山の上の公園の桜園にて |
ルリビタキ |
地元の山の上の公園のルリビタキですが、ここ数日はなかなか姿を見せてくれません。この日は暗い林の奥にちらっと姿を見せただけです。 |
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令和7年3月24日撮影 近くの山にて |
ソウシチョウ |
近くの山のクロジなどがいるポイントへ行く途中「ジッ、ジッ、ジッ、ジリリリ」とかなり騒がしい数羽の鳥の地鳴きが聞こえました。初めて聞いたのですが、おそらくソウシチョウなのではと思いながらポイントへついてみると、予想通りソウシチョウでした。3ヶ所に分かれて7、8羽のソウシチョウが5分間ほど鳴きながら餌を探して地面をつついたり近くの藪に飛び移ったりしていました。その後も滞在していた1時間に3回、数羽のソウシチョウが現れて、クロジやシロハラの出番はあまりありませんでした。 |
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クロジ |
この日は山の上の桜園で早咲きの桜のメジロを撮影した後、近くの山のコナラの木の根元に集まるクロジなどを撮影しました。 |
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クロジ雄は最近は2羽見かけることが多いのですが、この日は姿を見せたのは初列風切・次列風切が灰褐色のクロジが1羽でした。 |
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久しぶりにクロジの雌も見られました。 |
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令和7年3月25日 少し遠くの公園にて |
アリスイ |
この日はアリスイが葦が葦原近くの木にとまりました。そのため、かなり近くで撮影できました。 |
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令和7年3月24日 地元の山の上の公園の桜園にて |
桜にメジロ |
地元の山の上の公園の桜園は数か所あり桜はほとんどがジンダイアケボノなのですが、他に早咲きの桜の咲く一画もあります。この一画は毎年、3月の中頃に満開になるのですが、今年は1週間ほど遅れてようやく咲き始めました。その桜にメジロが蜜を求めて来ています。 |
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令和7年3月22日撮影 近くの大きなため池にて |
夏羽のカンムリカイツブリ |
近くの大きなため池の2羽のカンムリカイツブリです。先日と比べると赤褐色と黒の飾り羽がより目立つようになりました。この日は2羽が寄り添う姿は見られませんでした。 |
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令和7年3月20日撮影 地元の山の上の池にて |
オシドリ |
地元の山の上の池のオシドリは最近なかなか見られません。この日はようやく対岸の岸近くを移動するオシドリを撮影できました。 |
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令和7年3月21日 羅漢石仏の美(4) 香高山五百羅漢Ⅲ | |
香高山五百羅漢Ⅲ | |
最初の五百羅漢岩から左下へ下った奧には、両界曼陀羅が彫られている。金剛界曼陀羅、胎蔵界曼陀羅とも大日如来のみを薄肉彫り像であらわし、残りは梵字であらわした、珍しい石造の両界曼陀羅である。この下り道の途中には自然石に彫られた不動明王石仏がある。他に真言宗八祖を浮彫りにした参道の町石を紹介する。 | |
不動石仏 | |
両界曼陀羅の磨崖仏へ行く途中の道端に自然石に薄く半肉彫された小さな不動石仏がある。頭上に蓮華をのせ弁髪を垂らし、剣を右手で斜めに持ち、左手を下腹部まで垂らして羂索を持った像であるが、形式的な表現で写実性にも乏しく体躯は貧弱であるが、顔は目のつり上がった個性的なの面容で魅力がある。石の上部が斜めに大きく割れていて、元は岩に彫ったものかな思ったが、確かめていない。 | |
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金剛界曼陀羅 | |
両界曼陀羅の磨崖仏は南向きの岩壁に、左右二つの方形を彫りしずめ、向かって左に金剛界、右に胎蔵界の両界曼荼羅を刻んでいる。 金剛界曼荼羅は画面を縦横三分割、計九つの会と呼ばれる区画からなる曼荼羅で、ここでは上段中央の一院会の大きい月輪内の智拳印の大日如来坐像のみを半肉彫りにする。他の八会の諸仏はすべて梵字の種子で表している。 |
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胎蔵界曼陀羅 | |
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胎蔵界曼陀羅は八葉の蓮華の中心に大日如来、蓮華上に四仏と四菩薩を配した中央の区画(院)である中台八葉院を中心に同心円状に十二の区画(院)を配し、414尊が描かれた曼荼羅である。この曼荼羅は大日如来の慈悲が放射状に伝わり、教えが実践されていくさまを表している。ここでは金剛界曼荼羅と同じく中央の法界定印の大日如来のみを半肉彫りして他の諸仏はすべて梵字の種子で表している。 | |
町石 | |
羅漢岩に至る参道には、千手観音の種子(キーリク)と、真言宗八祖像が彫られた町石がたてられている。年号はないが、「甲辰」の紀年があるので、様式から見て慶長9(1604)年にあたると考えられる。 | |
五町石 | |
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真言宗八祖の「金剛智三蔵」の浮彫り像と「香高山五町 甲辰 五月日」の刻銘が刻まれている。 | |
七町石 | |
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真言宗八祖の「恵果阿闍梨」の浮彫り像と「香高山七町 甲辰 五月日」の刻銘が刻まれている。 | |
令和7年3月18日撮影 近く大きなため池にて |
ミコアイサ・カンムリカイツブリ |
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近くの大きなため池に行きました。岸近くにオオバンやマガモが数羽いるだけで、広い池の水面にははほとんど鳥らしき鳥がいません。その中で白い鳥が1羽いました。望遠レンズで覗いてみるとミコアイサ♂です。前回この池に来たときは数羽の雌と一緒に泳いでいたのですが、遠くてまともな写真は撮れませんでした。この日は岸から近くにポツンと1羽でいました。 |
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夏羽になりつつある2羽のカンムリカイツブリも滞在していました。初めはほとんど鳥が見られない池の真ん中で離れて泳いだり潜ったりしていた2羽でしたが、しばらくすると接近し仲良く長時間過ごしていました。 |
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令和7年3月17日撮影 近くの山と地元の山の上の公園にて |
クロジ |
近くの山のクロジです。2羽の雄が姿を見せました。この日は雌は見られませんでした。 |
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ソウシチョウ |
近くの山では6日の時と同じようにソウシチョウも姿を見せました。あちこちに現われたため数えられませんでしたが5~6羽ほどいたと思われます。 |
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ルリビタキ |
この日は近くの山でクロジなどを撮影た後、地元の山の上の公園にいってルリビタキを撮影しました。 |
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令和7年3月7日 羅漢石仏の美(4) 香高山五百羅漢Ⅱ |
香高山五百羅漢Ⅱ |
五社明神 |
五百羅漢岩から上へ少し登ると五社明神(五社大神)と呼ばれる像高20㎝ほどの小さな5体の磨崖仏がある。向かって左端が八臂弁財天、右端が毘沙門天、中央が雨宝童子で、雨宝童子の左右に顎髭を生やした仙人風の神像が立つ。 |
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毘沙門天 |
五社明神の向かって右端にある毘沙門天像は像高20㎝ほどの小さな磨崖仏で、力強さはないが、かわいらしく印象に残る毘沙門天像である。 |
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弁財天 |
五社明神の向かって左端にある弁財天は丸顔のかわいらしい像である。弓・箭(や)・剣・斧・羂索などを持つ八臂像の天女形である。 |
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雨宝童子・顎鬚の神像 |
五社明神像の中心にあるのが雨宝童子である。雨宝童子は天照大神が日向に下生した際の姿とされ、大日如来が化現した姿とされることもある。雨宝童子は頭上に宝塔乗せ、右手に宝棒、左手に宝珠を持つ童子形の神像であるが、この像は宝棒の代わりに宇賀弁財天の持つような鍵を持っている。顎鬚を生やした両脇の神像は、調べたが神像名はわからなかった。 |
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来迎二十五菩薩磨崖仏 |
五社明神から登っていくと次に現れるのは二十五菩薩来迎磨崖仏である。来迎二十五菩薩は阿弥陀如来が観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に、諸菩薩や天人従えて信者を迎えに来る様子を表したもので、石仏では「千燈石仏」「西教寺阿弥陀来迎二十五菩薩石仏」などがよく知られている。各菩薩は笙や横笛・琵琶などの楽器などを持った小像が岩肌に所狭しと彫られている。阿弥陀如来像は風化が進み載せることはできなかった。 |
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宝蔵菩薩 |
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衆宝菩薩 |
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金蔵菩薩 |
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徳蔵菩薩 |
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獅子吼菩薩 |
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月光王菩薩? |
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令和7年3月15日撮影 地元の山の上の公園の桜園にて |
ルリビタキ |
地元の山の上の公園のルリビタキです。 |
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令和7年3月13日撮影 近くの大きな公園にて |
河津桜にジョウビタキ♀ |
メジロが河津桜から去った後、ジョウビタキ♀が姿を見せました。初めはほとんど花が咲いていない河津桜にとまっていたのですが、しばらくすると五分咲きの河津桜にとまりました。頭部の右側にできものか傷の痕のようなものがあり右側面は少し痛ましい姿でした。 |
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河津桜にメジロ |
毎年、河津桜の花の蜜を求めて集まるメジロを撮影しています。この公園でもよく撮影しているのですが、今年はいつもより2週間近く花が咲くのが遅れていて、30本以上ある河津桜の数本が五分咲きの状態です。その5分咲きの河津桜にメジロが来ていました。 |
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令和7年3月12日撮影 少し遠くの公園にて |
葦原でアリスイ・オオジュリン・クイナ・ヒクイナなどを撮影しようと少し遠くの公園にいきました。オオジュリンとヒクイナは見ることができませんでしたが、何とかアリスイとクイナは撮影できました。 |
クイナ |
アリスイを撮影しているとツグミが3羽やってきました。そのためアリスイをしばらく見失いました。遠くてわかりにくいためどうしてもツグミにレンズを向けてしまいます。ツグミだと思ってレンズを向けてみると1羽はクイナでした。この後、しばらくクイナを追いかけ撮影しました。 |
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アリスイ |
広い葦原の半分は刈り取られて、湿地になっていました。刈り取られていない葦原と湿地との境付近にアリスイがいました。ただ遠くて、大きくトリミングした写真のアップになりました。アリスイの小さな眼はピンボケにしか写せませんでした。湿地でめだったのはツグミでした。 |
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令和7年3月12日 羅漢石仏の美(4) 香高山五百羅漢Ⅰ | ||
香高山五百羅漢 | ||
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奈良県高市郡高取町壺阪香高山 「桃山時代~江戸時代初期」 | ||
西国三十三所観音の6番札所、壺阪寺(南法華寺)は、お里・沢市の物語で知られる『壺阪霊験記』の舞台でもある。その壺阪寺の奥の院といわれるのが、この香高山五百羅漢である。 香高山の山腹に露出する岩肌にひしめくようにに刻まれた石仏群である。五百羅漢をはじめ釈迦如来・来迎二十五菩薩石仏・五社明神・十王・両界曼荼羅なと像高50cm前後の磨崖仏の大群集は魅力的である。 参道の町石の「甲辰」の刻銘や、五百羅漢岩の前の石灯籠には慶長十(1607)年の紀年があることから、香高山五百羅漢は慶長年間の作であると思われる。(慶長九年(1606)が「甲辰」の年に当たる。) |
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香高山五百羅漢Ⅰ |
五百羅漢(羅漢岩1) |
壺阪寺より高取城跡へ行く道を1㎞ほどすすむと、五百羅漢の道標が立っている。その道標から山道を少し行くと、の羅漢を半肉彫りした岩があらわれる。像高50cmほどの羅漢像が所狭しと並んでいる。一見するとこけしが並んでいるようにみえるが、よく見ると一体ずつ姿態・表情は違い、個性が感じられる。五百羅漢の彫られた岩は羅漢岩といわれている。 |
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五百羅漢(羅漢岩2) |
そこから数メートルほど上ったところにも、羅漢岩1と同じように岩肌一体に釈迦如来を中心に百体を越える羅漢が彫られている。 |
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十一面観音 |
十一面観音磨崖仏は羅漢岩2の上部の岩に彫られていて、円形の彫りくぼみをつくり、その中に蓮華座に座す、右手を膝に置き、左手で未敷蓮華を持った十一面観音像を半肉彫りする。香高山の磨崖仏なかでは最も保存状態がよく、大型で整った像である。 |
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大黒天 |
羅漢岩2の上の岩に十一面観音座像とともに、大黒天像が彫られている。頭巾をかぶり、袋を背負い、打ち出の小槌をもつ七福神などでおなじみの姿である。 |
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令和7年3月9日撮影 近く大きなため池にて |
カンムリカイツブリ |
2月20日以来の近くの大きなため池です。その時撮影した冬羽から夏羽への移行中の2羽のカンムリカイツブリがまだいました。この日は、時々寄り添うようにして求愛行動らしき姿を見せました。 |
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この後、2羽は潜水し、姿を消しました。 |
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対岸に回ってみると、岸近くにいました。2羽は離れて行動していて、しばらく水面にいると潜水して浮き上がりまた水面でしばらくいることを繰り返していました。 |
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1羽は浮き上がった後、羽繕いを始めました。 |
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別々に行動していたカンムリカイツブリがそれぞれ潜水した後、突然2羽が並んで水中から浮き上がりました。そして2羽はカンムリを立てて再び求愛行動を始めました。琵琶湖のようにこの2羽が巣作りをして卵を産み子育てを始めたらいいのですが、残念ながらこの池には巣作りができるような葦原や草地はありません。 |
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令和7年3月8日撮影 近くの小さな川にて |
カワセミ・モズ |
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この川に来た目的はカワセミです。カワセミは鳴きながら川を下から上へ上から下へと飛び回っていたのですが近くにはとまってくれませんでした。遠くの草にとまったカワセミを大きくトリミングしてのせました。 |
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モズが花芽から蕾になりつつある紅梅にとまって、花芽(蕾)を食べていました。 |
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令和7年3月6日撮影 近くの山にて |
ソウシチョウ |
久しぶりに近くの山にクロジを撮影に行きました。クロジが姿を見せる前に、3羽のソウシチョウが現れました。ここでソウシチョウを見たのは初めてです。ソウシチョウは地元の山や隣町の山などで春から夏にかけてよく見かける野鳥なのですが、木々の茂った森や藪の中にいて手ごわくなかなか良い写真が撮れません。この日は同じ場所に次々と現れて難なく撮影できました。 |
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クロジ |
クロジは雄1羽、雌1羽が姿を見せました。雄は褐色の羽が多く残る第1回冬羽と思われる個体です。 |
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ルリビタキ♀ |
いつも最初に姿を見せるのはルリビタキ♀です。 |
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令和7年3月5日 羅漢石仏の美(3) | ||
瓜生十六羅漢 | ||
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兵庫県相生市野矢野町瓜生 「室町時代」 | ||
幽谷の趣のある奇岩巨石の間を登ると岩窟の奥まった岩陰に釈迦三尊像を囲んで十六羅漢石仏がある。山野五百羅漢とは違って、両手で鉢を捧げる那迦犀那尊者像など『仏像図彙』(天明3年刊)に示されている姿で描かれ、一見して羅漢とわかる石仏である。 しかし、同じように奇岩巨石の山中にある本耶馬渓の羅漢寺の羅漢と比べると受ける印象は大きく違う。羅漢寺の羅漢は俗臭の強い、類型的な僧や老人像の集まりといった感じて、あまり感動を受けなかった。(羅漢寺耶馬と呼ばれる奇岩・奇石のそそり立つ姿を見たときの感動が大きすぎたからかも知れないが) それにたいして、瓜生の羅漢は奇岩巨石の中にあっても、奇岩巨石に圧倒されず、奇岩巨石と同化し、あたかも、石そのものが羅漢であるかのような印象を受ける。俗臭はまったくなく、悟りを開いた聖人の深さが感じられる。それは、自然石の形にさからわず、羅漢の個性を表現することによって、石や岩そのももの魅力や生命を生かしているからである。おそらく、作者は個々の自然石にそれぞれの羅漢を感じて彫ったのであろう。 石仏の作者、製作年代は明らかではない。伝説によると、飛鳥時代、朝鮮の僧恵便・恵聰一行がこの岩窟に隠棲し、後世の衆生に仏縁を結ばんと作ったといわれているが、作風から見て室町時代の作と考えられる。 |
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十六羅漢 |
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十六羅漢・文殊菩薩 |
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釈迦如来 |
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那伽犀那尊者(なかさいなそんじゃ) |
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濱度羅跋羅堕闍尊者(びんどらばらだじゃそんじゃ) |
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羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)or 伐那婆斯尊者(ばなばしそんじゃ) |
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蘇頻陀尊者(そひんだそんじゃ) |
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令和7年2月23日撮影 地元の山の上の公園の桜園にて |
ルリビタキ |
23日に撮影した地元の山の上の公園のルリビタキです。 |
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令和7年3月2日 羅漢石仏の美(2) | ||
山野五百羅漢 | ||
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福岡県嘉麻市山野1609 「室町時代」 | ||
山野若八幡神社の丘陵に、砂岩の仁王像・神像・五百羅漢の石仏群がある。現在、約350体ほど残ってる。板碑もありそこに「願主神宮寺座主妙道、文永八年(1271)辛未十二月奉納」とあり、石仏には直接の銘ないが、鎌倉期に妙道という人が、神社に奉納したたものであると推定できる。県の有形民俗文化財に指定されている。 「《筑前続風土記》と《太宰管内志》に『山野村の内に小高き所に石仏一処に多くあり、是を五百羅漢という。いつの此よりか多く失て三百四五十ばかり、是を守る寺なし』と記されている」という(『日本の石仏 九州篇』図書刊行会)。ただ、五百羅漢といっても、女性だと思える像や、神像などがあり、江戸時代の禅宗寺院や天台宗寺院の五百羅漢とあきらかに違っいる。 半数以上が破損や摩滅しているのが残念であるが、残りの像は、姿態・顔面などの彫りがおおらかで一体一体、様々な姿や表情をしていて、個性的で素朴な表現の石仏である。 |
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五百羅漢 |
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比丘尼像1 |
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比丘尼像2 |
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羅漢1 |
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羅漢2 |
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羅漢3 |
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羅漢4 |
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大黒天 |
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十王1 |
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十王2 |
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金剛力士吽形 |
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