| 令和7年10月30日撮影 丘陵の中の小さな公園にて |
| ビンズイ・ジョウビタキ♀ |
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| 毎年モミジバフウの実を食べにアトリの群れが来る小さな公園に行きました。モミジバフウはまだ色づき始めたばかりで、当然アトリも見られませんでした。アトリの代わりにビンズイがいました。 |
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| ジョウビタキの雌もいたのですが、電線にとまっていて、下に降りてきてくれませんでした。 |
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| 令和7年10月30日 自宅裏にて |
| ジョウビタキ♀・モズ |
| 自宅は住宅地の中にあるのですが、自宅周辺では毎日のように見られるイソヒヨドリをはじめとしてカワラヒワ・シジュウカラ・メジロ・エナガ・ジョウビタキ・モズなどの鳥が見られます。 |
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| ジョウビタキは毎年、10月末にやってきて冬の終わりまで自宅周辺で見られます。今年も数日前から「ヒッ ヒッ ヒッ」と鳴き声が聞こえるのですが、種瀬宅の近くには近づいてくれません。今日、ようやく遠く離れた家のテレビアンテナにとまっているジョウビタキ♀を撮ることができました。 |
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| しばらくすると別の鳥が飛んできてジョウビタキ♀は飛び去りました。変わってアンテナにとまったのはモズでした。 |
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| 令和7年10月25日撮影 地元の山の上の池にて |
| オシドリ |
| 25日に撮影した地元の山の上の池のもオシドリです。池にかかった橋の上から撮りました。 |
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| 令和7年10月27日撮影 近くの大きなため池にて |
| カワセミ |
| 池の管理棟のある南西隅に階段の手すりのようなものや水位測定ゲージなどがあり、そこによくカワセミがとまります。 |
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| カワセミは水面から出た棒に長い間、止まっていました。 |
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| 近くの手すり状の所にとまりました。この後すぐに水面から出た棒に戻りました。 |
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| 水位測定ゲージにとまりました。水面に飛び込むのか、水面を見つめていました。 |
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| 目を離したすきに水面にとびこみました。水面の場面は撮れませんでした。 |
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| 飛び込んだ後、水位測定ゲージの上に戻りました。小魚を咥えていました。この後、魚が少し大きいのか、なかなか吞み込めず、顔を回したりして悪戦苦闘していました。 |
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| しばらくすると、魚をくわえたまま飛び去りました。 |
| 令和7年10月23日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 19日に撮影した近くの水田地帯の耕作放棄地のノビタキです。この日はススキによくとまっていました。アップした今日(27日)も同じ場所に行ったのですがノビタキはいませんでした。 |
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| 令和7年10月26日 全国各地の石造十三仏(6) 深谷十三仏 | ||
| 深谷十三仏 | ||
| 山口県山口市徳地深谷 「応永14(1407)年」 | ||
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| 堂の中に二列に並べて安置されていて前列は中央の虚空像菩薩を中心に7体並べられている。この画像では右端の不動明王が写っていない。 | ||
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| 虚空像菩薩(前列中央) | ||
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| 地蔵菩薩(前列、向って右から3体目) | ||
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| (前列、向って右から2体目) | ||
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| 不動明王(前列、向って右端) | ||
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| (前列、向って左から3体目) | ||
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| (前列、向って左から2体目) | ||
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| (前列、向って左端) | ||
| 「深谷十三仏」は山口市徳地深谷の集落への入り口近くの小さな丘の上の堂の中に二列に並べて安置されている。一石一尊の十三仏で、それぞれ花崗岩の座像で、二重光背を型どった石材に薄肉彫りしている。中央の虚空像菩薩が最も大きく、高さ87㎝で、他の像はほぼ同じで高さ70㎝ほどである。虚空像菩薩の背面に「応永十四丁亥二月彼岸逆修」と刻銘があり、応永十四年(1407)の彼岸に建立されたものである。 頭も身部もあまり凹凸がなく薄肉彫りというより、線彫りに近い。堂内に安置されているためかその線もわかりにくく、像容を見ただけでは尊名が判断しにくい。地方作であるが、素朴な味わいのある石仏である。 十三仏石仏は全国にみられるが、千葉県や埼玉県などの関東地方と生駒山山麓の関西地方に特に多く見られる。これらは板碑で一石で十三仏を種子または像容であらわす。深谷十三仏のような一石一尊仏は全国的に見ても少ない。十三仏碑の初現は千葉県の印旛村の迎福寺の永和4年(1378)銘の種子碑である。像容を刻んだものでは、この深谷十三仏が最も古い。 |
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| 令和7年10月24日撮影 地元の山の中のため池にて |
| オシドリ |
| 地元の山の中のため池のもオシドリです。いつもため池の奥の暗い岸で休んでいて、池の真ん中に来てくれなかったのですが、この日は池の真ん中で10羽ほどが水面に出てきて、羽ばたいたり、追いかけあいをしていました。 |
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| 令和7年10月24日 全国各地の石造十三仏(5) 保月六面石幢 | |
| 全国各地の石造十三仏Ⅱ (西日本) |
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| 「全国各地の十三仏Ⅱ」は西日本の各地の石造十三仏を紹介します。「全国各地の十三仏Ⅰ」と同じく十三仏を目的で撮影したのではなく、各地の磨崖仏や石仏の撮影中に撮った十三仏で、わずか5体の紹介である。しかし十三仏信仰の最も古い石造物である岡山県の「保月六面石憧」や容像を刻んだもので最も古い刻銘「応永14(1407)年」を持つ山口市の「深谷十三仏」、「深谷十三仏」と同じく室町時代の一石一尊仏の十三仏である山口県下関市の「岩谷十三仏」など貴重な石造十三仏が含まれたページになっている。他に昭和期に造られた ふっくらとした願容のかわいらしい広島県竹原市の「黒滝山十三仏」と大阪府柏原市の「高井田十三仏板碑」を紹介する。 |
| 保月六面石幢 | ||
| 岡山県高梁市有漢町上有漢 「嘉元4年(1306) 鎌倉後期」 | ||
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| 二面(観音) 一面(弥陀・薬師・釈迦・地蔵・弥勒・不動・普賢) | ||
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| 二面(観音) | ||
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| 三面(勢至) | ||
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| 五面(虚空像)・四面(弥陀) | ||
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| 六面(不動) | ||
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| 一面(薬師・釈迦・地蔵・弥勒) | ||
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| 一面(不動・普賢) | ||
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| 「保月六面石幢」は鎌倉後期に活躍した大和の伊派の仏師、伊行恒(井野行恒)の作である。伊行恒は和歌山県地蔵峰寺地蔵石仏(重文)や奈良市南田原のきりつけ地蔵(阿弥陀磨崖仏)などの作者として知られている。「保月六面石幢」 花崗岩製で、高さ263㎝、頂上に小五輪塔の水輪以上がのせられているが、笠と六角柱の幢身部分は造立当時のものである。幢身の各部の上部に、二重円光の彫り窪めの中に仏菩薩など(弥陀・観音・勢至・弥陀・虚空像・不動)の像容を薄肉彫する。第一面の弥陀の下には、釈迦・弥勒・普賢・薬師・地蔵・不動を、他の面の彫像下には種子を、そのまた下に銘や偈を刻まれている。各彫像は小さいが、迫力があり、重要文化財にふさわしい石幢である。 第六面下方に「嘉元四年(1306)十月廿四日、願主沙弥西信結儀西阿、大工井野行恒敬白」と刻む。第一面下方に「右沙弥西信結儀西阿、従初七日至十三年相当、□彫刻仏菩薩十二尊像、為証大菩提之指南、敬敬白(初七日より十三年の忌日に相当する諸尊十二仏を彫り、大菩提心を証ずる為に造立した)」の銘があり、十三仏成立過程を示す遺物として注目される。 |
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| 令和7年10月21日撮影 山の中の菊畑にて |
| ノビタキ |
| オシドリを撮影した後、山の中の菊畑に行きました。この日も黄・赤・白の菊の花が咲いている菊畑にノビタキがいました、7日に比べると枯れかかっている花が増えましたが、ノビタキの数は多くなっています。撮影後、モニターで見ると枯れかかった花でイモムシを捕まえているノビタキが数羽いました。菊の花にいるイモムシを撮るために多くのノビタキが集まっているようです。 |
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| 令和7年10月21日撮影 地元の山の上の池にて |
| オシドリ |
| 地元の山の上の池のもオシドリです。池にかかった橋の上から撮りました。オシドリは左右の両岸の水面に茂った木の下にいて、時々、姿を見せて池を横断します。 |
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| 令和7年10月19日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 19日に撮影した近くの水田地帯の耕作放棄地のノビタキです。14日に撮影した時と比べると数は少し減りましたが、この日もオオアレチノギクやセイタカアワダチソウにとまって楽しませてくれました。 |
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| 令和7年10月20日・16日 近くの大きなため池にて |
| カイツブリ・キンクロハジロ |
| 16日と今日20日、近くの大きなため池に行きました。ハジロカイツブリ・カワセミなどがねらいでしたが、撮影できませんでした。目立ったのはカイツブリでした夏羽・冬羽・幼鳥のカイツブリでした。 |
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| 16日に撮影したカイツブリです。 |
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| 幼鳥です。 |
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| 今日20日に撮影したカイツブリです。右は夏羽です。 |
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| 幼鳥です。 |
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| 今日20日は3羽のキンクロハジロがいました。 |
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| 令和7年10月14日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 14日に撮影したノビタキです。この日は近くの水田地帯の広い耕作放棄地の草地でノビタキを撮影しました。 |
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| 令和7年10月17日撮影 山の中の菊畑にて |
| ノビタキ |
| この日は黄・赤・白の菊の花が咲いている菊畑にノビタキがいました。畑の境のネットやポールや支柱にとまっていて、時々、菊の花に降りてきます。 |
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| 令和7年10月15日撮影 山の中の菊畑にて |
| ノビタキ |
| 支柱やポールではなくようやく菊にノビタキがとまってくれました。 |
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| 令和7年10月13日撮影 地元の山の上の池にて |
| オシドリ |
| 山の中のため池以外にも山の上の池にもオシドリがいました。山の中のため池に比べて近の明るい場所にオシドリがいて、ようやくまともなオシドリの写真になりました。 |
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| 令和7年10月11日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| この日も近くの水田地帯の広い耕作放棄地の草地でノビタキを撮影しました。あちこちにみられるオオアレチノギクやセイタカアワダチソウにとまっていて楽しませてくれました。 |
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| 令和7年10月9日撮影 地元の山の中のため池にて |
| オシドリ |
| 地元の山の中のため池でオシドリを撮りました。ここでは7日は雄1羽、8日はエクリプス1羽を見ました。この日は水面で雄2羽、エクリプス1羽を撮影しました。 |
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| エクリプスです。 |
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| ため池の奥の暗い岸には8羽ほどのオシドリが休んでいました。 |
| 令和7年10月8日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| 近くの水田地帯の広い耕作放棄地の草地でノビタキを撮影しました。今までは3羽ほどしかいなかったのですが、一週間ぶりに来てみると数が増えて、撮影している道路に近い位置まで来てくれました。 |
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| 令和7年10月10日 大隅の田の神さあ 伊佐市4 |
| 築地の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈川北築地 |
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| 旧菱刈町を流れる川内川の流域は広い水田地帯になっていて、「築地の田の神」はその水田地帯の用水路の横に水田に向かって座している。この像も神官型座像の田の神で両手を膝の上で合わせて笏をさせるように輪組している。長い間、化粧(彩色)されていないようで黒と白の彩色の跡が一部、残るのみで、供花された痕跡もなく忘れられたような田の神である。しかし、衣文などは直線的で硬い表現であるが造形はしっかりしていて、旧菱刈町の神官型座像の田の神の中では優れた田の神像である。 |
| 前目の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈前目 |
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| 前目の田の神は宮崎県でよく見かける腰掛け神官型の田の神で、瓦葺きの吹き抜けの覆屋の中に祀られている。顔だけを白く彩色し、残りはすべてベンガラ色に塗られている。手は膝の上で合わせて輪組するのではなく、別々に膝の上に置いている。田の神像の横に龍神像があり、これも田の神像と覆屋の柱と一緒にベンガラ色に塗られていた。 |
| 令和7年10月7日撮影 山の中の菊畑にて |
| ノビタキ |
| 菊畑のノビタキは相変わらず近くに来てくれません。また、菊の花にもとまってくれません。何とか支柱やワイヤーなどにとまったノビタキを撮影しました。 |
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| 菊にとまったのですが花は枯れていました。 |
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| 令和7年10月7日撮影 地元の山の中のため池にて |
| オシドリ・カイツブリ |
| 菊畑のノビタキを撮った帰り道、地元の山の中のため池によりました。この池には毎年、秋になればオシドリがやってきます。少し早いかなと思いながら来てみるとオシドリが1羽いました。 |
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| カイツブリもいました。 |
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| 令和7年10月6日撮影 山の中の菊畑にて |
| ノビタキ・コサメビタキ |
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| ノビタキは広い菊畑の真ん中にいてなかなか近づいてくれません。咲いた菊の花にも止まってくれません。ポールや支柱、ワイヤーなどにとまったノビタキの写真になりました。 |
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| 菊畑横の雑木林に数羽の鳥がいるのを見てカメラを向けました。空抜けの逆光で、撮影した後モニター画面で見るとノビタキのようです。 |
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| コサメビタキもいました。 |
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| 令和7年10月5日 全国各地の石造十三仏(4) | |
| 羽黒山磨崖十三仏 | |
| 福島県岩瀬郡天栄村大里羽黒山3 「元禄11(1698)年 江戸時代」 | |
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| 虚空像・大日・阿しゅく・阿弥陀・勢至・観音・薬師・弥勒・地蔵・普賢・文殊・釈迦・不動 | |
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| 普賢菩薩・文殊菩薩・釈迦如来・不動明王 | |
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| 虚空像菩薩・大日如来・阿しゅく如来・阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩・薬師如来・弥勒菩薩・地蔵菩薩 | |
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| 虚空像菩薩・大日如来・阿しゅく如来・阿弥陀如来 | |
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| 不動明王 | |
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| 弥勒菩薩 | |
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| 虚空像菩薩 | |
| 羽黒山の西麓の小さな墓地の上段に安山岩の大きな岩が露出している。その岩壁に幅250㎝、高さ70㎝の細長い龕を設けて、龕いっぱいに並立に十三仏を厚肉彫りする。向かって右から、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿しゅく・大日・虚空蔵の仏像である。元禄十一年七月「高山寺」「大方寺」の合同供養として像立された旨の刻銘がある。4頭身で如来や菩薩像は整った顔で、個性的で魅力的な磨崖仏である。 |
| ・ 東北本線「矢吹」駅よりタクシー(9.8㎞)。
・ 自動車 東北自動車道「矢吹IC」より。 |
| 令和7年10月1日撮影 近くの水田地帯にて |
| ノビタキ |
| この日も近くの水田地帯の広い耕作放棄地の草地でノビタキを撮影しました。この日も広い草地の真ん中にいて遠くて大きくトリミングした画像になりました。 |
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| 令和7年10月3日 大隅の田の神さあ 伊佐市3 |
| 猶原の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈川北湯之尾駅前 |
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| 旧菱刈町は鹿児島県で唯一、衣冠束帯姿など公家装束の神官型の田の神が他の型の田の神より多い地域である。鹿児島県ても時々見かける神官型座像だけでなく、宮崎県でよく見かける腰掛け神官型もある。そこで神官型の田の神を中心に紹介する。まず始め4体は神官型座像の田の神である。 九州道「栗野IC」より国道268号線を北へあがって伊佐市菱刈に入って最初に目にする田の神が国道268号線沿いにある山野線「湯之尾駅」跡の公園にある「猶原の田の神」である。新しい覆堂の中に国道に向かって座している。神官型座像の田の神で両手を膝の上に合わせて笏を持たすために輪組にしている。赤と白、黒、ピンク色で化粧(彩色)している。雑な彩色をしている田の神が多い中でこの像は白い顔の目の下と鼻筋にピンク色を入れ、上品な化粧となっていて、化粧した人のセンスの良さが光る田の神像である。 |
| 仁王の田の神 |
| 鹿児島県伊佐市菱刈下手仁王 |
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| 菱刈下手の仁王集落の用水路沿いにある墓地の横に小さな集会所があり、集会所の裏に用水と水田に向いて田の神像が座している。神官型座像の田の神で右手で握り飯を持ち、左手を膝の上で輪組する。輪組した手に笏やメシゲを持たしたと思われる。冠は甲のみを表した田の神が多い中、この像は巾子と纓も彫っている。赤と白・黒で化粧(彩色)しているが目鼻の化粧は稚拙である。 |