福島県の磨崖仏V
江戸時代の磨崖仏 
  
 
 江戸時代になると、民間信仰の広がりとともに様々な石仏・石神が造立される。子供の健やかな成長を祈って子安観音が、豊作を願って大黒天や山の神が、子供の冥福を祈り地蔵石仏が各地につくられ、祀られた。その他、病魔退散を願って不動明王、馬の息災祈って馬頭観音、農業の守護神として弁財天、亡くなった人の供養と後世を念じて十三仏、婦人病・安産・浮気封じの神として淡島様と様々な石仏がつくられた。

 月待・庚申講・地蔵講・巳待・淡島講などと人々は集い、供養や祈願するとともに、飲食をし語り合った。その時、祈りの対象になったのが文字碑とともに如意輪観音・青面金剛・地蔵・淡島様などの石仏である。

 磨崖仏でも江戸時代になると三十三所観音とともに上記のような、民間信仰の広がりとともに不動・青面金剛・如意輪観音など様々な仏像や神像が造立されることになる。
福島の磨崖仏T   福島の磨崖仏U



   
福島の磨崖仏(18)  鮭立磨崖仏
福島県金山町山入字石田山2692 「江戸時代」
 鮭立集落の南西の山麓の小高いところに凝灰岩の洞窟があり、その壁面に像高14pから60pに至る大小様々な刻像が、交互に40〜50体びっしりと、不動明王を中心に密教系の諸仏・天部や垂迹神像が半肉彫りされている。深沙大将(じんじゃだいしょうや牛頭天王(ごずてんのお)・荼枳尼天(だきにてん)・飯綱権現(いづなごんげん)など石仏としては数少ない像もある。また、一洞窟に、これほど多種多様の像が刻まれているのも珍しい。飯綱権現像や愛染明王像などには彩色の跡が残っていて、もとは、美しく彩色されていたと思われる。

 この磨崖仏は天明の飢饉や天保の飢饉の惨状を見て、現在の岩淵家の祖先である修験者の法印宥尊とその子の法印賢誉が五穀豊穣と病魔退散を祈って彫ったと伝えられている。

 浅く細長い洞窟で3つほどに分かれていて、中央部の壁面は壁全体が奥まった形に掘りこまれていて、その左面と正面に40体ほど像が刻まれている。正面の中央には不動明王と八大童子が彫られている。不動明王は像高50pほどで、龕を穿ちその中に彫られている。龕の周りは火焔光背になっていて上部は面両側の表壁をつなぎ透かし彫りにしている。八大童子は矜羯羅童子と制た迦童子はともに像高23pで、龕の両側下に彫られている。他の6童子は龕の上部と下部に彫られている。不動明王の向かって右の龕は飯豊山神社を祀る祠になっている。向かって左には龍頭観音・牛頭天王・梵天・釈迦三尊などが並んでいる。

 左面には28体の像が彫られている。左端には45p〜53pの比較的大きな像が並んでいて、左から鬼子母神・箱根権現(or湯殿権現)※2・深沙大将・九頭竜権現でこの磨崖仏で最もよくで紹介されている部分である。その右には、風神と雷神が並び、その右は4段に分かれて、荼枳尼天・淡島様・愛染明王・聖観音・渡唐天神・弁財天など諸像が所狭しと彫られている。左面の右端は摩滅が進んだ尊名不明の像(文殊菩薩?)と飯綱権現が上下に並んでいる。

 3つに分かれた右側には青面金剛・大黒天・水神・地天などが彫られているが、中央の諸像よりは摩滅が進んでいる。左側の壁面は彫られた像は見当たらない。小形ながらどの像も儀軌に準じて彫られていて、一種の曼荼羅のようになっていて魅力的である。砂岩も含んだ軟質な凝灰岩のため摩耗がすすみ、顔の細かい表情がわからず、印相や持ち物の識別が困難な像が何体かあるのが惜しい。

 鮭立磨崖仏は稚拙な像形であるが石仏としては珍しい天部像が彫られている。像高53p〜14pの小像ながら風神・雷神・鬼子母神・荼枳尼天・牛頭天王・飯縄権現など他ではあまり見られない像が多い。
 
鬼子母神・湯殿権現(or箱根権現)・深沙大将・九頭竜権現・風神・雷神
 洞窟の左面の左端の諸尊像で、鬼子母神から九頭竜権現までは45p〜53pの比較的大きな像で、この磨崖仏で最もよくで紹介されている部分である。
 
摩利支天・荼枳尼天・尊名不明像・渡唐天神・淡島様・愛染明王
広目天・持国天・増長天・毘沙門天・子安観音・地蔵
風神・雷神の右側は4段に分かれていて、この画像は下の2段である。荼枳尼天・渡唐天神などは他ではあまり見られない。
 
牛頭天王・聖観音・竜頭観音・不動明王
尊名不明像の1対・釈迦三尊・梵天・制多迦童子と矜羯羅童子など
 洞窟の正面の中央には不動明王が彫られている。壁面に矩形の龕を穿ち中に像高52pの不動明王立像を彫る。龕の上部の面を両側の表壁と繋ぎ透かし彫りで火炎光背を刻む。左右には像高23pの制多迦童子と矜羯羅童子が彫られている。脇侍の両童子の間には小さな座像が彫られていて、他に確認できなかったが不動の上部にも5体の座像がある。制多迦童子と矜羯羅童子を含めて不動眷属の八大童子となっている。不動の左側は2段に分けて牛頭天王・竜頭観音・梵天などが並ぶ。
 
鬼子母神
 鬼子母神(きしもじん)は梵名ハーリーティーで訶梨帝母(かりていも)ともいう。もとは幼児を奪い食う悪鬼女であったが、釈迦に自分の子を奪われ教導されて、子女を庇護する善神となった。その像容は、諸児を抱き従える天女形が通形であるが、鮭立磨崖仏の像は片手で子供を抱え込んだ鬼神形である。
 
湯殿権現(or箱根権現)
 この像は小林源重著「ふくしまの磨崖仏」では帝釈天、佐藤俊一著「福島県の磨崖佛」では閻魔大王としている。しかし、帝釈天が笏を持つことは考えられず、閻魔王は片手で笏を持つ座像であるのが通常で閻魔王とも思えない。「仏像図彙」(元禄3年に刊行の「仏神霊像図彙」の復刻版)の出羽湯殿権現もしくは伊豆箱根権現にそっくりなことや湯殿権現・箱根権現は修験道に関わる神であることによって湯殿権現(or箱根権現)とした。
 
深沙大将
 像高45pの深沙大将像は大きな蛇を両手で抱えるように持っている。風化が進み、髑髏の首飾りはどうにか確認できるが、腹部の童子の顔は赤い彩色は残るが確認できない。 深沙大将の磨崖仏としては他に大分県の高瀬石仏・広島県の竜泉寺白滝山磨崖仏がある。
 
風神・雷神
風神
雷神
 風神・雷神は三十三間堂の千手観音の眷属の木像の風神・雷神像や俵屋宗達の風神雷神図屏風がよく知られている。風神は風袋を背負った鬼で雷神は小太鼓を取り付けた輪にしてバチで太鼓をたたく鬼である。

 鮭立磨崖仏の風神・雷神像は九頭竜権現の向かって右に上下に並んで彫られていて、上は風神で像高37p、雲上の大きな風袋を両手で背負った褌姿の裸体の鬼の姿で、迫力がある。下の雷神は像高33p、これも雲上の裸体の鬼で、丸い輪を背負いバチを振りかざしている。輪は小太鼓を取り付けていると思われるが、摩滅したのか初めから彫っていないのか、輪は円光のように見える。
 
荼枳尼天(だきにてん)
 荼枳尼天(だきにてん)はインドにおいてダーキニと呼ばれた人の心肝を食べる夜叉鬼で、真言密教では、 荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられ閻魔天の眷属となっている。後世の日本では稲荷信仰と習合し、一般に白狐に乗る天女の姿で表される。鮭立磨崖仏の像は右手に剣を持ち狐にまたがる姿である。
 
飯綱権現
 飯縄権現は秋葉権現とも言う、秋葉山三尺坊の祭神である。形像は鮭立磨崖仏の像のように烏天狗の顔で、右手に剣、左手に索(綱)を握り、背に双翼を張、火焔光背を、狐の背に乗る像が通形である。
 
牛頭天王
 牛頭天王は京都の祇園社(八坂神社)の祭神で、もとはインドの祇園精舎の守護神とされる。鮭立磨崖仏の像のように牛頭を頭に付けるのが通形である。
 
大黒天
 3つに分かれた中央部の洞窟の右側の5体の中央の像が大黒天である。宝珠型の龕の中に彫られていて、2俵の米俵に乗る袋を背負い、打ち出の小槌をもつおなじみの姿である。摩滅がひどく被っていると思われる頭巾や目鼻立ちはわからない。
 
竜頭観音
 龍頭観音は三十三体観音※の1つで、「仏像図彙」では龍の背に座し白衣観音と同じように頭から白い布をかぶり白い衣を着る姿になっている。しかしこの像は、雲中の龍の背に乗っている姿は同じであるが、地蔵のように左手を施無畏印、右手で宝珠を持っている。
 ※観音がその姿を変えて人々を救済するという33応現身にちなんで、俗信の観音を33に整理したもの。中国の典籍にあるもの、日本で考案されたであろうもの、由来が不明なものなどもある。白衣観音・水月観音・魚濫観音などかよく知られている。
アクセス
・JR只見線会津横田駅(タクシー乗り場なし)の南へ6q。
自動車・磐越自動車道、会津坂下ICから国道252号を南西へ45q。左折して県道352号に入り (布沢 の表示)4.4q。斜め右に入り200m。集落の南西の山麓。



福島の磨崖仏(19)  房又如意輪観音磨崖仏
福島県伊達郡川俣町小島字房又     「江戸時代」
 月舘から川俣町へ向かう途中の鳴石トンネルの手前、広瀬川を渡った細い農道脇の大きな露頭石に彫られた磨崖仏である。舟形の彫り窪みをつくり、そこに二重頭光を背負った、二臂の半跏思惟の如意輪観音を半肉彫りしたものである。福島県では十九夜塔として多数の如意輪観音石仏が像立されたが、単独の如意輪観音磨崖仏は珍しい(三十三所観音磨崖仏としては多数見られる)。
アクセス
・JR「福島」駅下車。「福島駅東口」より福島交通「月舘」経由「川俣」行きバス乗車(1日3本)。「新開」下車。広瀬川を渡った細い農道脇。
・または「福島駅東口」よりJRバス「川俣高校」行きバス乗車、「川俣役場」下車(近くにタクシー営業所あり)。タクシーで北へ約5q。
自動車・相馬福島道路(東北中央道)「霊山」ICより南へ10.6q(「霊山」ICから東へ0.6q進み右折して国道349号線を南へ9.5q。右折して広瀬川を渡って100m。)



福島の磨崖仏(20)  岩上渕大日如来磨崖仏
福島県伊達郡川俣町寺前     「室町時代〜江戸時代」
 川俣町の市街地の北、広瀬川沿いの丘陵地の麓の通称岩上渕(がんじょうえん)と呼ばれる場所の駒形をした露頭石に彫られた磨崖仏である。上の角を丸くした四角形の彫り窪みをつくり、蓮台を含めて像高1mの智拳印を結ぶ金剛界大日如来座像を半肉彫りしたもので、像立時期については室町初期説と江戸時代説がある。仏頭の鼻から口にかけて剥落している。彫り込みの上に大日如来と刻まれている。
アクセス
・JR「福島」駅下車。「福島駅東口」バス停よりJRバス「川俣高校」行きバス乗車、「川俣町」下車。北へ0.2q。
自動車・相馬福島道路(東北中央道)「霊山」ICより南へ14.2q(「霊山」ICから東へ0.6q進み右折して国道349号線を南へ12.7q。交差点を「川俣市街」の案内標識に従って右折して約1q。広瀬川を渡ってすぐ右折して北へ0.2q。)



福島の磨崖仏(21)  銚子の口不動磨崖仏
福島県二本松市下川崎前原     「江戸時代 明和元(1764)年」
 阿武隈川飯野ダム堰堤公園から 阿武隈川沿いの道を南へ約1qの所、木幡川が阿武隈川に合流する「銚子の口」と呼ばれる所の道路の下の崖の花崗岩の岩に刻まれた磨崖仏である。舟形状に彫り窪みをつくり、左手に宝剣を右手に羂索を持ち頭に蓮華をのせた不動明王立像を半肉彫りする。眉毛をつり上げ両眼を見開いた憤怒相であるが表情はあまり迫力はなく、相撲取りのような風情の不動明王である。向かって右に「明和元申天」の刻銘がある。
アクセス
・JR「福島」駅下車。「福島駅東口」バス停より「飯野町」行きバス乗車、「飯野下町」下車。南へ2.8q。
・または東北本線「松川」駅よりタクシーで約7q。
自動車・東北自動車道「福島松川」スマートICより東へ11.5q(「福島松川」スマートICから県道52号を東に1.9q、突き当たりを左折して260m進み「松川駅入口」交差点を右折し2.5q、コンビニやコインランドリーのある交差点を右折して県道147号に入り240m、「渋川」の案内標識に従って交差点を左折し、県道192号に入り南東へ3q、突き当たりを左折して県道39号に入り東へ3q、右折し南へ1.6q。)



福島の磨崖仏(22)  四十坦(しじゅうだん)の磨崖仏
福島県須賀川市舘ヶ岡四十坦     「江戸時代 宝永4(1707)年」
如意輪観音・阿弥陀如来・如意輪観音・地蔵座像・如意輪観音
如意輪観音・阿弥陀如来・如意輪観音
地蔵座像・如意輪観音
如意輪観音・胎蔵界大日如来
 舘ヶ岡の集落の北に南北に細長い丘陵が続いていて、丘陵の西の部分は現在ゴルフ場になっている。舘ヶ岡集落に近い丘陵の麓に古い墓地があり、その上の細長い岩に細長い龕を穿ち、そこに横一線に並んだ像高80pほどの仏像7体を半肉彫りする。(同じ岩の別の方龕にも1体彫られているが剥落している。)左端の3体は阿弥陀如来と阿弥陀の脇侍のように膝を立て半跏像の如意輪観音である。その右に地蔵座像・如意輪観音と少し離れて如意輪観音・胎蔵界大日如来が並ぶ。

 風化しやすい凝灰岩の岩のため風化や摩滅が進んでいるが、如意輪観音が4体も彫られているのは珍しい。両手で宝珠を持った地蔵の脇に「宝永丁亥 十月吉日 安田□□」(宝永丁亥は宝永4年に当たる)の刻銘があると言うが確認できなかった。この磨崖仏のある墓地は舘ヶ岡の領主、須田氏の子孫の安田家のものと言われている。
アクセス
・JR東北本線「須賀川」駅下車、バスまたはタクシー(約9.5q)。「須賀川駅前」より「滝原」行きバス乗車「舘ヶ岡」(1日4本)下車。北北西へ0.8q。
自動車・東北道「須賀川」ICより北西へ県道67号・県道109号・県道55号を経由して8.6q。



福島の磨崖仏(23)  羽黒山磨崖十三仏
福島県岩瀬郡天栄村大里羽黒山3 「元禄11(1698)年 江戸時代」
普賢菩薩・文殊菩薩・釈迦如来・不動明王
虚空像菩薩・大日如来・阿しゅく如来・阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩・薬師如来・弥勒菩薩・地蔵菩薩
虚空像菩薩・大日如来・阿しゅく如来・阿弥陀如来
不動明王
弥勒菩薩
虚空像菩薩
 羽黒山の西麓の小さな墓地の上段に安山岩の大きな岩が露出している。その岩壁に幅250p、高さ70pの細長い龕を設けて、龕いっぱいに並立に十三仏を厚肉彫りする。向かって右から、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・弥勒・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿しゅく・大日・虚空蔵の仏像である。元禄十一年七月「高山寺」「大方寺」の合同供養として像立された旨の刻銘がある。4頭身で如来や菩薩像は整った顔で、個性的で魅力的な磨崖仏である。
アクセス
・東北本線「鏡石」駅よりバスまたはタクシー(10.9q)。「鏡石駅前」よりより「南沢」または「丸山」行きバス乗車「沢邸」下車(1日2本)。北北東へ400mで墓地入口。
・または東北本線「矢吹」駅よりタクシー(9.8q)。
自動車・東北自動車道「矢吹IC」より国道4号線に入りすぐに左折して工業団地を抜けて東北道の下を通り県道58号線に入る に進む。県道58号を西へ4.5q、右折して国道294号線を北へ3.5q、右折し100mで左折し300mで墓地入口。



福島の磨崖仏(24)  上新城阿弥陀三尊磨崖仏
福島県白河市大信上新城大久保 「元禄15(1702)年 江戸時代」
 旧大信村の上新城の集落の北西の山麓にある上新城墓地の上段に彫られた善光寺式阿弥陀三尊の磨崖仏である。

 露出した岩に75p四方、深さ35の仏龕を彫り窪め、龕内に舟形光背を浮き彫りにして、頭光を背負った施無畏与願印の阿弥陀立像(像高60p)と同じく頭光を背負った宝珠を持つ観音・勢至の両脇侍(共に像高55p) を厚肉彫りしたものである。元禄十五年(1702)の紀年銘を持つ。

 同じ元禄期の作の羽黒山十三仏と比べると趣が違う。羽黒山十三仏は4頭身の地方作独特の迫力ある造形なのに対して、この像は中央の木彫仏を思わせる破綻のない端正な造形である。
アクセス
・JR「白河」駅下車、「白河駅前」よりバス、「大信庁舎前」行き乗車(平日のみ1日3本)、終点下車。北へ国道294号を940m、右折してすぐ。
・または東北本線「矢吹」駅よりタクシー(8.5q)。
・またはJR「新白河」駅または「白河」駅よりタクシー約13q。
自動車・東北自動車道「矢吹IC」より国道4号線に入りすぐに左折して工業団地を抜けて東北道の下を通り県道58号線に進む。県道58号を西へ4.5q、右折して国道294号線を北へ0.6q。右折して120m。


  
福島の磨崖仏T   福島の磨崖仏U