福島の磨崖仏(18) 鮭立磨崖仏 |
福島県金山町山入字石田山2692 「江戸時代」 |
鮭立集落の南西の山麓の小高いところに凝灰岩の洞窟があり、その壁面に像高14pから60pに至る大小様々な刻像が、交互に40〜50体びっしりと、不動明王を中心に密教系の諸仏・天部や垂迹神像が半肉彫りされている。深沙大将(じんじゃだいしょうや牛頭天王(ごずてんのお)・荼枳尼天(だきにてん)・飯綱権現(いづなごんげん)など石仏としては数少ない像もある。また、一洞窟に、これほど多種多様の像が刻まれているのも珍しい。飯綱権現像や愛染明王像などには彩色の跡が残っていて、もとは、美しく彩色されていたと思われる。
この磨崖仏は天明の飢饉や天保の飢饉の惨状を見て、現在の岩淵家の祖先である修験者の法印宥尊とその子の法印賢誉が五穀豊穣と病魔退散を祈って彫ったと伝えられている。
浅く細長い洞窟で3つほどに分かれていて、中央部の壁面は壁全体が奥まった形に掘りこまれていて、その左面と正面に40体ほど像が刻まれている。正面の中央には不動明王と八大童子が彫られている。不動明王は像高50pほどで、龕を穿ちその中に彫られている。龕の周りは火焔光背になっていて上部は面両側の表壁をつなぎ透かし彫りにしている。八大童子は矜羯羅童子と制た迦童子はともに像高23pで、龕の両側下に彫られている。他の6童子は龕の上部と下部に彫られている。不動明王の向かって右の龕は飯豊山神社を祀る祠になっている。向かって左には龍頭観音・牛頭天王・梵天・釈迦三尊などが並んでいる。
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左面には28体の像が彫られている。左端には45p〜53pの比較的大きな像が並んでいて、左から鬼子母神・箱根権現(or湯殿権現)※2・深沙大将・九頭竜権現でこの磨崖仏で最もよくで紹介されている部分である。その右には、風神と雷神が並び、その右は4段に分かれて、荼枳尼天・淡島様・愛染明王・聖観音・渡唐天神・弁財天など諸像が所狭しと彫られている。左面の右端は摩滅が進んだ尊名不明の像(文殊菩薩?)と飯綱権現が上下に並んでいる。
3つに分かれた右側には青面金剛・大黒天・水神・地天などが彫られているが、中央の諸像よりは摩滅が進んでいる。左側の壁面は彫られた像は見当たらない。小形ながらどの像も儀軌に準じて彫られていて、一種の曼荼羅のようになっていて魅力的である。砂岩も含んだ軟質な凝灰岩のため摩耗がすすみ、顔の細かい表情がわからず、印相や持ち物の識別が困難な像が何体かあるのが惜しい。
鮭立磨崖仏は稚拙な像形であるが石仏としては珍しい天部像が彫られている。像高53p〜14pの小像ながら風神・雷神・鬼子母神・荼枳尼天・牛頭天王・飯縄権現など他ではあまり見られない像が多い。 |
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鬼子母神・湯殿権現(or箱根権現)・深沙大将・九頭竜権現・風神・雷神 |
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洞窟の左面の左端の諸尊像で、鬼子母神から九頭竜権現までは45p〜53pの比較的大きな像で、この磨崖仏で最もよくで紹介されている部分である。 |
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摩利支天・荼枳尼天・尊名不明像・渡唐天神・淡島様・愛染明王 広目天・持国天・増長天・毘沙門天・子安観音・地蔵 |
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風神・雷神の右側は4段に分かれていて、この画像は下の2段である。荼枳尼天・渡唐天神などは他ではあまり見られない。 |
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牛頭天王・聖観音・竜頭観音・不動明王 尊名不明像の1対・釈迦三尊・梵天・制多迦童子と矜羯羅童子など |
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洞窟の正面の中央には不動明王が彫られている。壁面に矩形の龕を穿ち中に像高52pの不動明王立像を彫る。龕の上部の面を両側の表壁と繋ぎ透かし彫りで火炎光背を刻む。左右には像高23pの制多迦童子と矜羯羅童子が彫られている。脇侍の両童子の間には小さな座像が彫られていて、他に確認できなかったが不動の上部にも5体の座像がある。制多迦童子と矜羯羅童子を含めて不動眷属の八大童子となっている。不動の左側は2段に分けて牛頭天王・竜頭観音・梵天などが並ぶ。 |
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鬼子母神 |
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鬼子母神(きしもじん)は梵名ハーリーティーで訶梨帝母(かりていも)ともいう。もとは幼児を奪い食う悪鬼女であったが、釈迦に自分の子を奪われ教導されて、子女を庇護する善神となった。その像容は、諸児を抱き従える天女形が通形であるが、鮭立磨崖仏の像は片手で子供を抱え込んだ鬼神形である。 |
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湯殿権現(or箱根権現) |
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この像は小林源重著「ふくしまの磨崖仏」では帝釈天、佐藤俊一著「福島県の磨崖佛」では閻魔大王としている。しかし、帝釈天が笏を持つことは考えられず、閻魔王は片手で笏を持つ座像であるのが通常で閻魔王とも思えない。「仏像図彙」(元禄3年に刊行の「仏神霊像図彙」の復刻版)の出羽湯殿権現もしくは伊豆箱根権現にそっくりなことや湯殿権現・箱根権現は修験道に関わる神であることによって湯殿権現(or箱根権現)とした。 |
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深沙大将 |
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像高45pの深沙大将像は大きな蛇を両手で抱えるように持っている。風化が進み、髑髏の首飾りはどうにか確認できるが、腹部の童子の顔は赤い彩色は残るが確認できない。 深沙大将の磨崖仏としては他に大分県の高瀬石仏・広島県の竜泉寺白滝山磨崖仏がある。 |
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風神・雷神 |
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風神 |
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雷神 |
風神・雷神は三十三間堂の千手観音の眷属の木像の風神・雷神像や俵屋宗達の風神雷神図屏風がよく知られている。風神は風袋を背負った鬼で雷神は小太鼓を取り付けた輪にしてバチで太鼓をたたく鬼である。
鮭立磨崖仏の風神・雷神像は九頭竜権現の向かって右に上下に並んで彫られていて、上は風神で像高37p、雲上の大きな風袋を両手で背負った褌姿の裸体の鬼の姿で、迫力がある。下の雷神は像高33p、これも雲上の裸体の鬼で、丸い輪を背負いバチを振りかざしている。輪は小太鼓を取り付けていると思われるが、摩滅したのか初めから彫っていないのか、輪は円光のように見える。 |
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荼枳尼天(だきにてん) |
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荼枳尼天(だきにてん)はインドにおいてダーキニと呼ばれた人の心肝を食べる夜叉鬼で、真言密教では、 荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられ閻魔天の眷属となっている。後世の日本では稲荷信仰と習合し、一般に白狐に乗る天女の姿で表される。鮭立磨崖仏の像は右手に剣を持ち狐にまたがる姿である。 |
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飯綱権現 |
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飯縄権現は秋葉権現とも言う、秋葉山三尺坊の祭神である。形像は鮭立磨崖仏の像のように烏天狗の顔で、右手に剣、左手に索(綱)を握り、背に双翼を張、火焔光背を、狐の背に乗る像が通形である。 |
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牛頭天王 |
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牛頭天王は京都の祇園社(八坂神社)の祭神で、もとはインドの祇園精舎の守護神とされる。鮭立磨崖仏の像のように牛頭を頭に付けるのが通形である。 |
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大黒天 |
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3つに分かれた中央部の洞窟の右側の5体の中央の像が大黒天である。宝珠型の龕の中に彫られていて、2俵の米俵に乗る袋を背負い、打ち出の小槌をもつおなじみの姿である。摩滅がひどく被っていると思われる頭巾や目鼻立ちはわからない。 |
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竜頭観音 |
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龍頭観音は三十三体観音※の1つで、「仏像図彙」では龍の背に座し白衣観音と同じように頭から白い布をかぶり白い衣を着る姿になっている。しかしこの像は、雲中の龍の背に乗っている姿は同じであるが、地蔵のように左手を施無畏印、右手で宝珠を持っている。 ※観音がその姿を変えて人々を救済するという33応現身にちなんで、俗信の観音を33に整理したもの。中国の典籍にあるもの、日本で考案されたであろうもの、由来が不明なものなどもある。白衣観音・水月観音・魚濫観音などかよく知られている。 |
アクセス |
・JR只見線会津横田駅(タクシー乗り場なし)の南へ6q。 |
自動車・磐越自動車道、会津坂下ICから国道252号を南西へ45q。左折して県道352号に入り (布沢 の表示)4.4q。斜め右に入り200m。集落の南西の山麓。 |
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