不動石仏50選 (2)
南北朝・室町・江戸・昭和時代
  
 
 南北朝時代・室町時代になっても多くの不動磨崖仏が造立された。特に大分県では川の中の岩に薄肉彫りで表した川中不動や大きく誇張された表現の楢本磨崖仏不動明王や薄肉彫りで表現した下市磨崖仏、石窟に厚肉彫りた不動三尊の瑞巌寺磨崖仏、胸には垂れた乳房が刻まれた大化切小野谷磨崖仏など個性的な不動磨崖仏が多くみられる。

 近畿地方でも鎌倉時代に引き続き、不動磨崖仏が像立された。桃の尾の滝不動石仏・峰寺不動磨崖仏・竜福寺不動磨崖仏は南北朝時代の像で、力強さに欠けるが穏やか姿の磨崖仏である。経堂ヶ谷不動磨崖仏鬼のような恐ろしい顔の不動立像である。近畿の室町時代の磨崖仏としては米谷不動磨崖仏・磐船神社不動磨崖仏山口県の岩谷十三仏の不動石仏と山口県の岡山県の山崎磨崖仏の不動像はともに室町時代の作で、穏やかな風貌の座像である。

 室町後期の特出すべき不動石仏として越前一乗谷の石仏群があげられる。笏谷石という金鋸で切れるほど軟らかい石材が使われていて、厚肉彫りの精緻な表現の石仏が多く、この時代の石仏としては出色のものである。盛源寺や西山光照寺跡の不動石仏は一乗谷の石仏を代表するものである。

 江戸時代になると不動明王は災害を除き、怨敵を降伏させ、財福を得るなどの種々の祈願をかなえてくれるとして、個人の信仰だけでなく不動講もつくられた。こうした不動への信仰に支えられ多くの個人や講中が全国各地に不動石仏を造立している。ここでは、車谷不動磨崖仏・銚子の口不動磨崖仏・柏野不動明王磨崖仏・瑞光庵不動明王磨崖仏・浄土寺不動磨崖仏など磨崖仏を中心に掲載しました。宮崎で活躍した修験僧の仏師、串間延寿院作の鵜戸神宮不動明王磨崖仏と高遠の石工、守屋貞治の代表作である常盤橋不動石仏(大聖不動明王)は江戸時代の優れた不動石仏であ。最後に現代の迫力ある不動磨崖仏として法安寺磨崖仏と臼杵石仏入口の不動磨崖仏を紹介して不動石仏50選を締めくくる。
不動石仏50選(1) 



不動石仏50選(23)   川中不動磨崖仏
大分県豊後高田市大字長岩屋  「室町時代」
制多迦童子
 鬼会で有名な天然寺の前の岩長屋川の巨大な岩石の壁面に凸形に彫りくぼめて、浮き彫した不動三尊である。あたかも川の中にあるように見え、絶好の被写体であるが、私が行った3回とも午後のため、逆光でよい写真が撮れなかった。不動像は立像でやや稚拙で素朴な表現である。首をすくめた悪童面した制多迦童子といかめしい表情の不動明王が印象的である。



不動石仏50選(24)   福真磨崖仏不動明王立像
大分県豊後高田市大字黒土  「室町時代」
 県道から田んぼのあぜ道を通り、小川に差し渡した一枚板の橋を渡り、小さな鳥居をくぐった、四王権現社の参道脇の石造の覆堂内に、高さ160cm、幅450cmの枠を岸壁に区画し、その中に19体の像を半肉彫りする。

 中央に金剛界大日如来座像と金剛界四仏座像を刻み、左に六地蔵座像、右に六観音座像を刻む。右端には多聞天立像、左端には不動明王立像が彫られ、さらに向かって右の外壁には種子の胎蔵界曼陀羅又は法華曼陀羅が刻まれているということであるが、摩耗してわからない。六観音の右端に剣を構え羂索を持った不動立像(像高89p)が他の像よりやや大きく刻まれている。



不動石仏50選(25)   下市磨崖仏
大分県宇佐市安心院町下市 「室町時代」
矜羯羅童子・不動明王・薬師如来・阿弥陀如来
矜羯羅童子・不動明王
 宇佐市安心院支所の北西、安心院大橋の近くの三女神社の西側の小丘陵の東と南の崖に10体ほどの仏像を彫られている。東崖には岩壁の亀裂を巧みに生かして、天部形像(多聞天?)・観音座像・阿弥陀如来座像・薬師如来立像・不動明王座像・矜羯羅童子の各像を薄肉彫りする。岸壁が南側へ曲がりこむ角には、阿弥陀如来座像2体が彫られ、南崖の上部には薄肉彫りの阿弥陀如来像が彫り出されている。不動明王座像は像高162pでやや頭を左に傾け、右目を天に向けて左目を地に向け、右手に剣を顔に合わせて傾けて持ち、左手を肩まで上げて羂索を持つ。

 この磨崖仏の西側は、「下市百穴」と呼ばれる横穴古墳群になっている。また、この磨崖仏の南西は、スッポンの養殖場て゛、現在、安心院町はスッポンのと葡萄の産地として知られている。



不動石仏50選(26)   楢本磨崖仏
大分県宇佐市安心院町楢本 「室町時代」
 山中の杉林の中の安山岩層に数十体に及ぶ多くの磨崖仏が上下二段に、薄肉彫りされている。まず、目にはいるのは上段の像高200pの不動明王座像で、顔は大きく誇張された表現になっていて、やや荒っぽい。その他、上段には薬師三尊・釈迦三尊・多聞天・仁王などの像が彫られている。

 下段は、1m前後の薄肉彫り像や半肉彫りの像が数多く彫られている。十王・地蔵・阿弥陀三尊・不動・多聞天・十二神将などである。阿弥陀如来座像と比丘形座像を刻んだ磨崖宝塔もある。下段の不動明王は立像で龕の中に彫られていて像高は1mほどである。髪は左右に渦を巻いた螺髪風てはなく逆立っている。

 上段の不動明王横に「応永35年(1428)」の銘があるので室町時代の作であることがわかるが、作風から見て、すべて同じ時期につくられたとは考えにくい。下段の諸像の方が整っていて、気品がある。これらの像は、上段の大作よりやや古い時期の作ではないだろうか。



不動石仏50選(27)   大化切小野谷磨崖仏(今山磨崖仏)
大分県豊後大野市緒方町大化今山、切小野谷 「室町時代」
 豊肥本線緒方駅の南6qの山中にある。国道502号線、緒方井上付近から県道634号線を南に1380mほど行った所に今山磨崖仏という案内板があり、その案内板に沿って1100mほど行くと神社に到着する。そこから案内板に沿って、細い山道を下ると切小野谷とよばれる谷にたどり着く。大化切小野谷磨崖仏は谷を少し上った東を向いた高さ約4bの垂直な岸壁にある。

 高さ2.6b幅1.16bの龕を彫り、中に髪の毛を逆立て、右手で剣を構え、左手を腰に当てて羂索を持つ不動明王立像を半肉彫りする。胸には垂れた両乳房が刻まれている。おそらく、昔は乳のでない婦人の参詣を集めていた、いわゆる乳不動であったと思われる。



不動石仏50選(28)   軸丸磨崖仏
大分県豊後大野市緒方町軸丸北 「室町時代」
 豊肥本線緒方駅北西3q徒歩30分。石窟のように自然にくぼんでいる岸壁からせり出すように彫り出された不動明王座像で、 丸彫りに近いほど、 厚く彫られている。 頭部には彩色が施され、両眼球には瞳を丸く抜いた銅板がはめ込まれている。人気のない谷にあり、どことなく不気味な雰囲気が漂っている。



不動石仏50選(29)   瑞巌寺磨崖仏
大分県玖珠郡九重町大字松本 「室町時代」
矜羯羅童子
 高さ約2.6m、幅約7mの龕が彫られ、その壁面に、不動三尊と左端に増長天・右端に多聞天を厚肉彫りする。中尊の不動明王は2mを越え、厚肉彫りとしては大きく迫力がある。セイタカ・矜羯羅の両童子は背をかがめた姿勢で不動明王に向かって合掌する。矜羯羅童子のあどけない表情が印象的である。



不動石仏50選(30)   山崎磨崖仏不動明王
岡山県総社市下原字山崎 「室町時代」
不動明王・六地蔵
 総社市下原の高梁川岸近くに六地蔵と不動の磨崖仏がある。露出した花崗岩の断崖を、幅約3.6m、高さ3mに削り取り磨き、これを3区に分け、1区に2体つづの地蔵を舟形の中に半肉彫りしたもので、岡山県の重要文化財に指定されている。

   六地蔵は各像の高さは40pほどで、六体とも左手に宝珠を持ち、右手に錫杖を持つ延命地蔵で、頭部が大きく愛らしい表情が印象に残る。

 「恭借十万信男信女力労為法界衆生利益故」 「應永五戈寅八月 日 北斗代 大願主道清 宮」 の銘文があり、室町初期の応永5年(1398)年に大願主道清が十万の男女信徒の合力を得て法界衆生の為に造立したのがわかる。

 六地蔵の左の斜めになった岩面に船形の彫りくぼみをつくり地蔵とほほ同じ大きさの不動明王座像が半肉彫りされている。船形の彫りくぼみの下には線彫りで岩座が彫られている。この不動も六地蔵とおなじような穏やかな表情であるが、彫りは伸びやかさに欠ける。制作年代は六地蔵より下ると思われる。



不動石仏50選(31)   岩屋十三仏不動石仏
山口県下関市豊浦町大字川棚 中小野 岩屋  「室町後期」
 岩谷(いわや)十三仏は下関の奥座敷として知られる川棚温泉の北東6kmの中小野・岩屋という山あいの集落にある。公園として整理された露出した岩場の所々に1mにも満たない十三の石仏が安置されている。

 岩谷十三仏は、山口を支配した大内義隆が家臣の陶晴賢の叛乱に敗れた時、一時身をひそめたという岩谷が浴八丈岩に納められていたもので、現在、大小の岩が組み合わされた庭園風の公園の、岩の上に並べられている。

 一体一体、丁寧に彫られていて、柔和で愛らしい顔の千手観音像やすました穏やかな表情の大日如来や弥勒菩薩、哲学者のような風貌の釈迦如来など魅力的な石仏群である。不動明王は初七日の死者の追善の法事を修めるため配当された十三の仏菩薩等で、岩屋十三仏の不動明王は4段に大きな石を積み上げた上に安置された座像で、右手に剣を立てて持ち、左手を折り曲げて胸の高さに上げ羂索を持つ。火炎光背を背にしているのが一般的であるが、この像は頭部の周りのみろうそくの炎のような火炎になっている。



不動石仏50選(32)   桃尾の滝周辺の不動石仏
奈良県天理市滝本町  
桃尾の滝の不動石仏 「貞和4(1348)年 南北朝時代」
 桃尾の滝付近には大和を代表する不動三尊磨崖仏以外にも不動石仏がある。その一つが滝の前の小さな覆い堂の不動石仏である。高さ60pほどの先の尖った船形の自然石に像高90pの不動明王立像と2童子を半肉彫りしたもので、不動は右手で細い剣を斜めに立てて構え、左手を腰まで垂らし羂索を持つ。滝脇の不動三尊磨崖仏と比べると、力強さや迫力を欠くが、丸顔の憤怒する顔や童子の顔も丁寧に写実的に彫られている。

 「奉起立貞和四年二月廿三日」の銘があり、南北朝時代の作であることがわかる。不動三尊磨崖仏の近くに「奉起行経」の銘のある如意輪観音石仏があり、銘の「奉起立」が同じことや、丁寧な技法の熟達した作風などからこの不動石仏は同じ頃の同じ石工の作と考えられる。行経は奈良市南田原のきりつけ地蔵や岡山の保月三尊板碑・保月六面石幢の作者、伊行恒(行経)とも考えられ、行経の晩年の作として貴重である。
竜福寺道不動磨崖仏 「南北朝時代」
 桃尾の滝から山道を登っていくと、奈良時代に建ったといわれる竜福寺跡がある。(竜福寺は廃仏毀釈によって断絶し、その後大和桃尾山大親寺として不動堂や本堂が建てられた。境内には最近になって彫像された法華経28品に関わる常不軽菩薩・常精進菩薩などの石仏や四国八十八ヶ所霊場が並んでいる。)

 その山道の途中薄暗い谷沿いの岩肌に長方形の枠をとり、像高60pの不動明王の立像を半肉彫りした竜福寺道不動磨崖仏がある。力強さはないが破綻のない彫りで南北朝時代の作と思われる。光量不足でよい写真がとれず露出補正と画像ソフトの補正して載せた画像です。谷の水かあふれるのか、泥と苔に覆われているのが残念である。



不動石仏50選(33)   山添村の不動磨崖仏
 山添村の真ん中を南北に流れる川が布目川である。村の北部にはダム湖の布目湖がある。その布目湖の南端に架かる県道奈良名張線の橋が大橋である。大橋の南東にある集落が峰寺で、大橋から南へ布目川に沿って進むと的野の集落がある。この二つの地区にそれぞれ南北朝時代の不動磨崖仏がある。
 
峰寺不動磨崖仏
奈良県山辺郡山添村峰寺 「建武4年(1337) 南北朝時代」
 峰寺の六所神社の岩肌に、この不動磨崖仏はある。高さ97cmの火焔光背を彫りくぼめ、岩座に立つ像高75pの右手に剣、左手に羂索を持つ、 不動明王立像を半肉彫りする。

 像の脇に「建武四年四月七日」の刻銘がある。迫力はないが味わいのある姿である。六所神社の本地仏として造立されたものである。
 
的野不動磨崖仏
奈良県山辺郡山添村大字的野 「南北朝時代」
 大橋から南へ布目川に沿って2kmほど行ったところの道端の大きな岩に、高さ38cmの火焔形を彫りくぼめ、右手に剣左手に羂索を持つ不動立像を半肉彫り  する。小像ながら、張りのあるしっかりとした姿の磨崖仏である。

 昔、右手の岸壁にあったものが、転げ落ちてその場にまつられてきたもので、「転び不動」と言われている。



不動石仏50選(34)   経堂ヶ谷不動磨崖仏
奈良県桜井市多武峰経堂ヶ谷 「延文3(1358)年 南北朝時代」
 経堂ヶ谷不動磨崖仏(像高75p)は多武峰の谷の岩に火焔形光背を彫り窪めて半肉彫りで刻まれた磨崖仏で鬼のような恐ろしい顔の不動立像である。顔の割に装飾的な彫りが目立ち力強さに欠ける。南北朝時代中期の「延文3(1358)年」の造立年号の記銘がある。



不動石仏50選(35)   米谷不動磨崖仏
奈良県奈良市米谷町 「室町時代」
 名阪国道にかかる薬師橋の谷あいの巨岩に、高さ35cmの火焔形を彫りくぼめ岩座上に立つ像高88cmの不動立像を半肉彫りする。 胸の所に{「カーン」 と不動明王の種子を刻む。

 形式化した室町初期の作風であるが、谷沿いの高さ3mを越える巨岩に彫られいるため、岩自体の魅力が迫力のなさを  補っている。



不動石仏50選(36)   磐船神社不動磨崖仏
大阪府交野市私市9丁目19ー1  「天文14年(1545) 室町後期」
 天野川は阪奈道路の奈良県と大阪府の県境の峠付近から、府県境に沿って流れて、大阪府に入り交野市を南北に流れ、枚方市で淀川に流れ込む河川である。その天野川が奈良県から離れて大阪府に入ると交野市私市まで巨岩が至る所に露出する深い渓谷になっている。その渓谷の奈良県境付近に饒速日命(にぎはやいのみこと)を祀る磐船神社がある。

 船形の巨岩「天磐船(あめのいわふね)」をご神体とする神社で、物部氏の祖神とも言われる饒速日命が高天原からこの地に降臨した時、用いていた舟が石となり、神格化したという。修験道の行場として知られ、巨岩の下に広がる岩窟内に入る「岩窟めぐり」も行なわれていて、一般の参拝者も体験することができる。

 不動磨崖仏は、境内に入った左側の岩に不動石仏がある。岩に船形の彫りくぼみをつくり、右手に剣、左手に羂索を持った不動明王立像を半肉彫りしたもので、船形の彫りくぼみに火炎が彫られ、一部は船形からはみ出している。像の左右に「交野郡住吉大明神関白大蔵坊」「天文拾四年乙巳十二月吉日法印清忍」の刻銘がある。



不動石仏50選(37) 一乗谷の不動石仏
 福井県の朝倉氏の居城跡、一乗谷には、多数の石仏が残されている。一乗谷の石仏のほとんどは朝倉氏がさかえた16世紀の石仏である。日本全体で見ると16世紀は、造形的に見ると石仏の衰退期で、小型化・様式化・簡略化がすすみ、迫力のある魅力的な石仏はみられなくなる。しかし、この一乗谷の石仏は、細部を省略せず、細密に彫り出した、古様な表現であり、室町時代後期の石仏の中では異彩を放つ石仏群である。

 では、なぜそのような石仏がつくられたのだろうか。それは、京にあこがれつづけた戦国大名朝倉氏の存在である。朝倉氏の城下町、一乗谷は北陸の小京都として栄え、朝倉氏の庇護により多くの寺院が作られた。多くの石仏が残る西山光照寺や盛源寺は天台宗真盛派の寺院で、一乗谷の石造物造立の重要な担い手が、城主の朝倉貞景が帰依した特異な浄土教である天台宗真盛派である。もう一つは笏谷石(しゃくだにいし)という金鋸で切れるほど軟らかい凝灰岩の石材と古墳時代より続く越前の石の加工技術である。一乗谷の石造物のほとんどがこの笏谷石で、木彫と同じように加工できる笏谷石という石材が、細部を省略せず、細密に彫り出す、古様な表現を可能にした。
 
盛源寺の不動石仏
福井県福井市西新町 「室町後期」
 盛源寺は、朝倉館跡(義景屋敷跡)から一乗谷川を1qほどさかのぼった西新町にある天台宗真盛派の寺院で、真盛上人によって建立されたといわれている。真盛上人の高弟、舜盛上人の墓も残る。

 参道から境内に至るまで二百体ほどの石仏が、所狭しと並べられていて壮観である。中でも境内の不動明王<弘治2(1556)年在銘>と地蔵菩薩<天文6(1537)年在銘>は、量感もあり、一乗谷の石仏の最高傑作である。不動明王像は火焔が彫られた光背をバックに丸彫りに近い厚肉彫りの像高202pの立像で光背の上部と鼻などは欠けているが憤怒相の顔は力強く、迫力がある。体躯の表現はやや平板であるが衣紋表現も丁寧である。
 
一乗谷朝倉義景墓所の不動石仏
福井県福井市城戸ノ内町  「室町後期」
 一乗谷観光のメインとなるのは復元された城下町ととも、復元城下町と県道をはさんである朝倉氏館跡で、移築された唐門や庭園が残されている。その館跡の南側に続く、木立の中に朝倉義景の墓地があり、石祠の中に墓塔が納められている。

 その石祠の右奥にこの不動明王が安置されている。蓮弁のような形の船形光背を背にした不動明王立像の厚肉彫り像である。大げさに表現された憤怒相の不動石仏が多いなか、この不動石仏は小さな目で眉根を寄せ静かに睨み付けていて、静かな中に凝縮した力強さを感じる。
 
西山光照寺跡不動石仏
福井県福井市安波賀町11?4 「室町後期」
 西山光照寺は一乗谷の北端近くにあった、最澄の創建と伝える古刹を、文明3年、朝倉孝景が真盛上人の高弟、舜盛上人を招いて再興した寺である。江戸時代に福井城下に移され(福井大仏観音のある光照寺)、廃寺となっている。

 私が最初訪れた時は、本堂や庫裏の跡に石材を乱雑にくみ上げた基壇の上に虚空像菩薩や阿弥陀如来があり、本堂跡前の前の広場の両側に細長い向かい合わせの3棟の覆堂と、本堂跡を背にして広場の手前に不動と童子の安置する1棟の覆堂に、合わせて30数体の石仏がまつられていた。覆堂は現在は新しく立て直され、本堂跡にあった虚空像菩薩・阿弥陀如来をまつる覆堂も追加され覆堂は5棟になっている。
制多迦童子
 本堂跡に背を向けて建つ覆堂ある不動明王立像は2.5mを越え、一乗谷最大の石仏で天文2年(1533)の刻銘がある。朝倉義景墓所の不動石仏と違って大げさに表現された不動石仏である。螺髪のような渦巻いた一つ一つの髪や目鼻は大きく、やせ形の体躯や細い腕などカリカチュアライズされた姿であり、朝倉義景墓所の不動石仏や西山光照寺跡のもう一体の不動石仏とは違った魅力がある。特に脇侍の制多迦童子は大げさなカリカチュアライズされた表現が十分生かされた、一乗谷の石仏を代表する像である。
 本堂跡から見て左側の細長い覆屋の右端に安置されている不動石仏である。一面に火炎が彫られた船形を負った厚肉彫りの立像で、精緻な写実的な表現で、軟らかい笏谷石の石材と越前の石工の加工技術を十分に生かした不動石仏である。



不動石仏50選(38)   福円寺不動三尊石棺仏
兵庫県姫路市的形町福泊  「室町時代〜江戸時代」
矜羯羅童子
制多迦童子
 福円寺裏山の墓地に立つ。組合せ式家型石棺の底石を利用して、不動三尊像をやや厚く薄肉彫りする。(石棺材の高さ約160cm、不動の像高は約1m)  中尊の不動明王は、異常に肩幅が広く、誇張した表現に見える。しかし、矜羯羅童子と制多迦童子の両脇侍はしっかりとした写実的表現である。不動明王も鼻や口元など顔の一部が剥落しているために、カリカチュアのように見えるのであって、よく見ると、しっかりとした力強い彫りである。石質が赤みを帯びていることと相まって、不動三尊石仏として出色のできばえの石棺仏である。

 製作年代については、江戸時代説と室町時代説があるが、西山光照寺跡などの越前一乗谷の不動石仏と表現がよく似ているので、室町時代ではないだろうか。



不動石仏50選(39)   香高山五百羅漢不動石仏
奈良県高市郡高取町壺坂  「江戸時代初期」
 西国三十三所観音の6番札所、壺阪寺(南法華寺)は、お里・沢市の物語で知られる『壺阪霊験記』の舞台でもある。その壺阪寺の奥の院といわれるのが、この香高山五百羅漢である。

 壺阪寺より高取城跡へ行く道を1qほどすすむと、五百羅漢の道標が立っている。その道標から山道を少し行くと、数百体の羅漢を半肉彫りした岩があらわれる。像高約50pほどの像が所狭しと並んでいる。そこから数メートルほど上ったところにも、十一面観音や大黒天とともに数百体の羅漢が同じように彫られていて、壮観である。ここからさらに上ると地蔵・十王像、五社明神、弘法大師蔵、阿弥陀来迎二十五菩薩と磨崖仏が次々と現れてくる。

  最初の五百羅漢岩から左下へ下った奧には、大日如来の半肉彫り像と梵字で表した両界曼陀羅が彫られている。その両界曼陀羅の磨崖仏へ行く途中の道端に自然石に薄く半肉彫された小さな不動石仏がある。頭上に蓮華をのせ弁髪を垂らし、剣を右手で斜めに持ち、左手を下腹部まで垂らして羂索を持った像であるが、形式的な表現で写実性にも乏しく体躯は貧弱であるが、顔は目のつり上がった個性的なの面容で魅力がある。石の上部が斜めに大きく割れていて、元は岩に彫ったものかな思ったが、確かめていない。



不動石仏50選(40)   車谷不動磨崖仏
滋賀県湖南市花園 「江戸時代」
 岩根山の中腹にある。善水寺は和銅年間(708年〜715年)に草創され、最澄(伝教大師)によって中興された、国宝の本堂をはじめ多くの文化財をもつ、古刹である。その善水寺の周辺には近江を代表する不動磨崖仏が2つある。一つは、善水寺の近くにある不動寺の岩根山不動磨崖仏である。南北朝時代の初期の作であるが、拝殿があるため、正面からの写真は撮れず磨崖仏100選には入れなかった。

 もう一つはここで紹介する岩根山の北西の車谷と呼ばれる谷にはある巨大な車谷不動磨崖仏である。高さ6mあまりもある花崗岩の巨岩に、像高4mの不動磨崖仏立像を半肉彫りしたもので、江戸時代の作である。顔をはじめ衣紋の表現など形式的で写実性に欠けるが、近江では富川磨崖仏につぐ大作で、蔵王権現のように、左足膝を左に張って、右足を大きく踏み込みこんだ姿が動きがあっておもしろい。周囲の自然ととけ合った姿は魅力的で絶好の被写体となっている。   




不動石仏50選(41)   守屋貞治の不動石仏
 長野県を中心に江戸時代の文化・文政・天保年代に優れた地蔵石仏や観音石仏を造ったのが、高遠の石工、守屋貞治である。諏訪の温泉寺の住職・願王和尚に帰依し個性的である種の精神性を感じられる石仏を次々と造立していった。

 貞治の不動石仏としては高遠町の三峰川の反乱を鎮めるために作られた「大聖不動明王」や駒ヶ根市の伊那街道沿いの光前寺への道しるべを兼ねて造立された2体の不動明王像がある。
 
大聖不動明王
長野県伊那市高遠町勝間  「文政年代 江戸時代」
 高遠を流れる三峰川は、たびたび洪水をおこした。その氾濫を鎮めるために、水切り不動として造立したのか、高遠町勝間の 常盤橋西袂にある、全長1.5mの大聖不動明王である。貞司の最高傑作の一つである。大火焔を背に右手で剣を構え、左手に羂索を持った座像で、眼下を流れる三峰川を静めるかのように、憤怒相で見つめている。
 
筒沢追分不動明王
長野県駒ヶ根市福岡筒沢  「文政年代 江戸時代」
 駒ヶ根市の伊那街道沿いには光前寺への道しるべを兼ねた守屋貞治の不動明王像が2体ある。1体は小町谷村不動明王で自然石に彫り抜いた立像で貞治40代の作で、側面に「左光前寺道之より三十丁」と刻む。もう一体がこの筒沢追分不動明王で、側面に「左光前寺道四十丁」と刻む。この像も小町谷村不動明王と同じく自然石に彫り窪みをつくり、半肉彫りで彫ったものでこちらは座像である。善福寺准胝観音と同じく歌人小町谷吉英が願主である。貞治50歳代の作。


不動石仏50選(42)   日光開山堂六武天不動石仏
栃木県日光市山内・輪王寺開山堂裏 「江戸時代」
 日光輪王寺開山堂の裏の通称「仏岩」と呼ばれる岸壁の下に6体の石仏が腰下や膝下を地中に埋めて立つ。向かって右から帝釈天・四天王(持国天?)・梵天・不動明王・四天王(増長天?)・四天王(広目天?)で、「六武天像」とよばれるている。

 江戸時代の石仏としては出色の出来ばえである。特に梵天と帝釈天は端正な顔で、クローズアップで撮った横顔はどことなく、薬師寺の聖観音などの天平時代の金銅仏を思わせる。手が欠損しているため、尊名が断定できないが、肩を張った鎧姿の体躯の3体の四天王は力強く、石仏とは思えない精巧な表現である。おそらく、石仏の専門の石工だけではなく、本格的な仏師がかかわった石仏ではないだろうか。   



不動石仏50選(43)   銚子の口不動磨崖仏
福島県福島市飯野町飯野新田  「明和元(1764)年 江戸時代」
 阿武隈川飯野ダム堰堤公園から 阿武隈川沿いの道を南へ約1qの所、木幡川が阿武隈川に合流する「銚子の口」と呼ばれる所の道路の下の崖の花崗岩の岩に刻まれた磨崖仏である。舟形状に彫り窪みをつくり、左手に宝剣を右手に羂索を持ち頭に蓮華をのせた不動明王立像を半肉彫りする。眉毛をつり上げ両眼を見開いた憤怒相であるが表情はあまり迫力はなく、頭上に蓮華が髷に見え、相撲取りのような風情の不動明王である。向かって右に「元和元申天」の刻銘がある。  



不動石仏50選(44)   行者山不動磨崖仏
大阪府豊能郡能勢町山辺  「江戸時代」
 行者山不動磨崖仏は、行者山の麓の大岩に彫られた像高2m程の線刻と一部薄肉彫りの不動座像の磨崖仏で飾り立てた技巧的な像である。苔に覆われてよく見なければ姿を確認できない。。  



不動石仏50選(45)   浄土寺不動明王磨崖仏
広島県尾道市尾崎町 「江戸時代」
 浄土寺は聖徳太子の創建と伝えられる古刹で、本堂・多宝塔は国宝である。石造文化財も多く、宝篋印塔・納経塔は重要文化財である。その浄土寺の裏山、奥の院のある浄土寺山の登山道の途中に不動明王の磨崖仏がある。高さ8mほどの岩に像高約4mの憤怒相の不動明王が薄肉彫りされている。 絵画的な作風で大きさの割に迫力に乏しい。 大峰山信仰講中の奉納されたもので、江戸時代の作と思われる。  



不動石仏50選(46)   柏野磨崖仏
大分県豊後大野市清川町平石柏野  「江戸時代」
 国道326号線の豊後大野市清川町天神から県道410号線を南へ6.6qへ進み、斜め左に折れて0.9qへ行った三叉路付近に、柏野磨崖仏の案内板がある。その案内板横の道を少し上ると柏野磨崖仏である。擬灰岩の岩肌を舟形に彫りくぼめ、右手に剣を持ち、左手に羂索を持った不動明王立像が半肉彫で彫り出した磨崖仏である。顔は憤怒相とは言いがたく、苔むした姿で、素朴で愛嬌のある不動磨崖仏である。江戸時代の作と推定される。



不動石仏50選(47)   瑞光庵磨崖仏
大分県豊後大野市緒方町越生  「江戸時代」
 豊肥本線緒方駅の北東、1.5q、徒歩20分。田んぼを横切って、坂を上ると、深く大きな岩窟がある。その奥に、異様な雰囲気の不動明王像が刻まれている。 目はつり上がり、大きな口をくいしばって、 右手に剣、左手に羂索を持っている。 火焔と唇の赤と剣と歯の白の色が鮮やかである。 近世の地方的な作であるか、庶民のエネルギーを感じさせる磨崖仏である。



不動石仏50選(48)   鵜戸神宮磨崖仏不動明王
宮崎県日南市宮浦鵜戸鵜戸山  「明和元(1764)年・明和2(1765)年 江戸時代」
 鵜戸神宮は山幸彦、海幸彦の物語で知られる山幸彦(彦火火出見尊〔ひこほほでみのみこと〕)と海神のむすめ豊玉姫命〔とよたまひめのみこと〕の子どもの「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」を祀る神社で、国定公園日南海岸の風光明媚な海岸にあり、参拝客・観光客が絶えない。明治以前は「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と称した寺院でもあった。

 その鵜戸神宮駐車場の南西側の小さな山の岩肌に、不動明王磨崖仏と閻魔王磨崖仏と四天像と称される磨崖仏がある。(新駐車場の登り口に案内板がある。)「鵜戸山仁王護国寺」の第47世の別当隆岳が明和元年(1764)から同2年に仏師延寿院に彫らしたのがこれらの磨崖仏である。

 不動明王は北斜面の突き出た三角形の岩に火焔光背とともに像高1.27mの不動明王立像を厚肉彫りしたものである。極彩色に塗られていたらしく、光背などに色彩が残る。力強い表現で江戸時代の磨崖仏としては出色の作である。

 山の南側の車道に沿った樹林下の小広場には、大型の転石が数個並んでいて、左端の石には閻魔王の厚肉彫りの倚座像が彫られている。保存状態は良く、整った木彫仏を思わせる石仏である。右手の石には四天像と称される、亡者や獄卒などを彫った像がある。



不動石仏50選(49)   法安寺磨崖仏
佐賀県唐津市北波多岸山 「昭和27年(1952)」
法安寺は、朝鮮出兵(文禄の役)の時、あらぬ嫌疑を受け、豊臣秀吉により改易された、平安末期から肥前松浦地方で活躍した豪族、波多一族の追善供養のため、小野妙安が大正12年に開いた寺院である。昭和27年(1952)、小野妙安は開山30年に当り、信者とはかり、釈迦涅槃の像をはじめ不動明王・弘法大師等諸仏像百数十体を大石壁に浮彫りして、四国八十八ケ所霊場を建立したという。(法安寺HP参照)

 本堂の対面の岩山に四国八十八ケ所霊場磨崖仏が彫られている。山頂まで細い参道に沿って四国八十八ケ所霊場の本尊を始め多数の2mを超える大きな磨崖仏が刻まれている。不動明王・弘法大師・阿弥陀・薬師・大日如来など様々な仏像が見られる。

 本堂から四国八十八ケ所霊場の参道へ向かうととまず目に入るのが、見事に彩色された大きな波切不動である。右手に持つ剣を頭の上に振りかざし、左手で太い羂索を肩に担ぐように持った不動像で、燃えさかる火焔の前に立つ青い体躯の不動明王で迫力がある。剣を頭の上に振りかざした不動は全国的に見ると珍しいが、唐津市の漁港や田川市の英彦山天宮宮などに見られる(全て昭和期の作)。

 次に目を引くのが大きな一枚岩に彫った蛇体不動(倶利伽羅剣)・毘沙門天などの5体の像である。その付近から登山道になり、四国八十八ケ所霊場の本尊や弘法大師像など多数の磨崖仏が彫られている。ほとんどが2mを超える量感豊かな厚肉彫りで、15番国分寺薬師如来像・30番善楽寺阿弥陀如来像は貞観彫刻を思わせる整った力強い像である。32番禅師峰寺十一面観音・70番本山寺馬頭観音や山の中腹にある高野大明神とその隣の弘法大師像は土俗的な怪奇さを持った独特な表現になっている。時代は違うが鵜殿窟磨崖仏と共通する雰囲気を持った磨崖仏である。
波切不動
 本堂から四国八十八ケ所霊場の参道へ向かうととまず目に入るのが、見事に彩色された大きな波切不動である。右手に持つ剣を頭の上に振りかざし、左手で太い羂索を肩に担ぐように持った不動像で、燃えさかる火焔の前に立つ青い体躯の不動明王で迫力がある。剣を頭の上に振りかざした不動は全国的に見ると珍しいが、唐津市の漁港や田川市の英彦山天宮宮などに見られる(全て昭和期の作)。
波切不動
 第20番鶴林寺の地蔵菩薩の隣にある不動立像で、この不動も右手に持つ剣を頭の上に振りかざした波切不動である。

 波切不動明王とは、弘法大師がが唐からの帰路、嵐に遭い、 嵐を鎮めるために恵果和尚から授かった霊木に自ら不動明王を刻み、その不動明王を船首に据えたところ、 火炎を放ち手にした利剣で荒波を切り裂く様に船は進み 船は無事に日本へと導いたことから付けられた名前で、その不動が高野山南院にある不動明王である。その後、全国各地に全国各地に波切不動と名のついた像が作られた。姿は特別な姿ではなく、他の不動と変わらない。昭和になって、北九州では波を切る姿を剣を頭の上に振りかざした姿で表した波切不動が像立されている。
蛇体不動(倶利伽羅不動)
 彩色された大きな波切不動や釈迦涅槃像とともに目を引くのが山の麓にある大きな一枚岩に彫った倶利伽羅不動・毘沙門天・不動明王座像などの5体の像である。倶利伽羅不動は岩上で火炎に包まれた不動明王の化身である倶利伽羅竜が剣に巻きついて、それをのもうとするさまを表したもので、ここでは像の向かって左に「蛇体不動」の刻銘がある。
不動明王座像
 倶利伽羅不動などがある一枚岩の5体の磨崖仏の向かって右端にある不動明王像である。船形の彫りくぼみの中に右手で剣を立てて持ち、左手を胸に持って行って羂索を持った座像の不動明王を厚肉彫りしたもので、火炎は船形の中だけでなく船形の周りまで燃え上がっている。憤怒相の顔は人間くさい写実的な表現である。
不動明王立像
 倶利伽羅不動などがある一枚岩の右に四国八十八ケ所霊場磨崖仏のある岩山へ登り口がある。少し上った大きな岩に3体の磨崖仏がある。向かって右端に18番恩山寺本尊の薬師如来座像で、その左に地蔵菩薩立像と不動明王立像が深い彫りくぼみの中に厚肉彫りされている。

 不動明は彫りくぼみをつくって右手で利剣を立てて構え、左手で持った羂索を放つ場面をあらわした立像で、右目を天に向けて左目を地に向けて、右牙を上に出し左牙を下に出して、睨み付けている。鼻か高く彫りの深いアーリア人風の顔立ちである。彫りくぼみの中とその周りは波のように渦巻く火炎で覆われている。



不動石仏50選(50)   臼杵石仏入口の不動明王磨崖仏
大分県臼杵市深田211 
 臼杵石仏の入り口近くにある不動磨崖仏である。臼杵焼の窯元の横に「不動明王入口」の標識があり、そこから少し上ると山裾にこの不動磨崖仏がある。岩肌に半円形に突き出た台座と深いおにぎり形の彫りくぼみをつくり、その中に右手で剣を立てて持ち、左手を胸まで上げて羂索を持った不動明王座像を半肉彫りしたものである。螺髪風の髪に左肩に辮髪を垂らし、眉を上げて牙を上下に出して睨み付ける姿は力強い。近代彫刻の影響を受けた写実的な表現の磨崖仏である。 


不動石仏50選(1)