大和の地蔵石仏(5)  大和高原2

 大和高原の中央部、天理市東部・山添村・桜井市東北部にも優れた地蔵石仏が多くある。その中でも天理市福住町の建長5(1253)の刻銘を持つ七廻峠地蔵石龕仏は鎌倉彫刻の特色をよく示した豪快な作風の地蔵であり、大和を代表する地蔵石仏の一つである。桜井市瀧倉の西法寺地蔵石仏も力強く引き締まった面貌の鎌倉中期の地蔵石仏である。

 山添村奈良市都祁の歓楽寺地蔵石仏、桜井市三谷の三谷寝地蔵磨崖仏は鎌倉後期の作で、七廻峠地蔵のような豪快さや力強さに欠けるが、整った姿の美しい地蔵石仏である。山添村の的野地蔵磨崖仏も鎌倉後期の作で人間味のある個性的な表情の地蔵である。山添村のほうらく地蔵磨崖仏や三谷寝地蔵磨崖仏の隣にある見たに三谷地蔵石仏は南北朝の初期の作で鎌倉様式を残したこの時代としては優れた地蔵石仏である。

 大和高原の南部は宇陀市で、宇陀市の室生向淵や榛原山辺三には鎌倉時代の地蔵石仏がある。向淵三体地蔵は向淵集落の西の外れにあり、鎌倉中期、建長6(1254)の紀年銘のある地蔵磨崖仏で、正八角形の大きな石材に、 それぞれ二重円光型の彫り窪みをつくり、三体の地蔵を厚肉彫りしたもので、三尊形式の地蔵石仏の秀作である。榛原山辺三の濡れ地蔵磨崖仏は山からしたる水に濡れることから濡れ地蔵と呼ばれている。これも、建長6(1254)の紀年銘のある鎌倉中期の地蔵である。