南山城の石仏Utizu.gif (2477 バイト)

 

森八幡宮線刻石仏           京都府木津川市加茂町森
      正中三年(1326)鎌倉後期  高124p 片麻岩

 森八幡宮は岩船寺の4qほど北の山間の村、加茂町森にある 古社であ。その神社の境内の二つの大石の正面に頭部をアーチ形にしたほりこみを作り、不動明王と毘沙門天の立像を達者な線 で線刻する。不動像は直立でやや右方を向く。右手に剣、左手に索をとり、全身から火焔が立つ姿は雄壮である。
 毘沙門天像の左肩に「武内之本地」、不動像の左肩に「松童之本地」とある。不動像には「正中三年
虎丙二二月十八日」という造立銘文がある。武内・松童は八幡宮の摂社。現在、岩面が剥落するおそれがあるため、雨露に直接触れないように覆屋根がもうけられている。


西念寺地蔵石仏            京都府木津川市加茂町河原橋ノ本
      弘安四年(1281)鎌倉中期  高155p 花崗岩

 JR加茂駅の北西、木津川の北の田園地帯はかって恭仁京が造営された地である。その田園地帯にある集落が加茂町河原である。その集落の西に西念寺がある。西念寺に接して村墓の河原墓地があり、その墓の中の地蔵堂に等身大の地蔵菩薩立像が安置されている。
 二重円光背を背にした像高155pの地蔵菩薩立像を厚肉彫りしたもので右手に丁寧に彫られた錫杖頭の錫杖を持ち、左手で胸前に宝珠をささげる。温厚でふくよかな面相で衣紋も写実的な秀作である。弘安四年(1281)の紀年銘を持つ鎌倉中期の作である。


鹿背山の磨崖仏     京都府木津川市鹿背山大木谷・鹿背山二反田
      鎌倉後期・南北朝時代        高128p・120p 花崗岩

 JR木津駅の東の丘陵地帯にあるゴルフ場の北、鹿背山の南の麓に鹿背山不動がある。像高45pの南北朝時代の不動磨崖仏が祀られていて昔から厚い信仰を集めている。不動堂石室の奥の岩肌に彫られていて、「建武元年(1334)甲戌十一月卅一日」「大工末次」の刻銘がある。
 鹿背山不動の境内から急坂を登って裏山山頂に出ると大きな岩石が突き立っていて、そこに地蔵磨崖仏が彫られている。岩いっぱいに船型の彫り窪みをつくり、そこに錫杖と宝珠を持つ像高128pの地蔵立像を半肉彫りしたもので、引き締まった写実的な顔の磨崖仏である。「しょんべんたれ地蔵」と呼ばれていて、お参りを続けるとこの地蔵が子供の寝小便の代わりをしてくれると言われている。
 鹿背山の西麓の西念寺の近くの林道の道端にも地蔵磨崖仏がある。「回復地蔵」または「貝吹き地蔵」と呼ばれ磨崖仏で、林道の曲がり角の露出した大きな岩に船型の彫り窪めをつくり、その中に整った美しい顔の地蔵立像(像高120p)を半肉彫りしたもので南北朝時代の作である。


撰原峠地蔵石仏              京都府相楽郡和束町撰原

     文永4年(1267) 鎌倉中期 高102p 花崗岩

 峠の道のそばに、石室風に石を組んで、その中に安置されている。右手を垂れ与願印にし、左手で胸前に宝珠を持つ古式の形相の厚肉彫の地蔵立像である。おおらかな古い趣のある石仏である。像の両側に「釈迦如来滅後二千余歳、文永二二年(1267)丁卯、僧実慶」と刻む。


谷山不動磨崖仏         京都府木津川市山城町平尾峰山

     鎌倉中期 高102p 花崗岩

 JR京都線「棚倉」駅の東北東、約1.5q。木津川の支流不動川の谷沿いの山腹にある。谷沿いの道から石段を百数十段、登ったところの岩にさしかけるようにお堂がつくられ、その中に不動磨崖仏がある。
 内部の岩肌に瑟々座を刻み、その上に船型の彫り窪みをつくって、蓮華をのせ両眼を見開いて垂髪を左に下げ、右手に剣を構え、左手に索を持った不動明王座像を半肉彫りしたもので、鎌倉中期の作と思われる。温和な中にも迫力がある不動磨崖仏である。


笠置寺虚空蔵石磨崖仏    京都府相楽郡笠置町笠置笠置山
                  平安後期      高約9m  花崗岩

 花崗岩の壁面を二重光背式にほりさげて、内部を平らにし、そこに太い彫線で彫刻した石仏である。宝相華文を刻む宝冠をいだき、瓔珞を胸に飾り、右手を上げて指頭を捻じ、左手を膝上にのべる結跏趺坐の像、寺伝では虚空蔵菩薩像というが、如来のように持物を持たず、宝冠・瓔珞を加えて菩薩形にしている点から、弥勒菩薩と思われる。造立年代については本尊と同じ奈良時代説もあるが、現在の所、平安後期説が有力である。


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