豊能町の中世石仏


 豊能町最古の石仏は切畑大円の釈迦堂の阿弥陀三尊笠塔婆である。高さ1.5m、幅48p、厚さ25pの細長い花崗岩の自然石に舟形の彫り込みをつくり阿弥陀三尊を厚肉彫りする。「乾元2年(1303)」の紀年銘があり、鎌倉後期の作であることがわかる。素朴ながら、気品のある石仏で、豊能町では最も優れた石仏といえる。

 法性寺地蔵石仏大円下所地蔵石仏はともに自然石に舟形の彫り込みをつくり、蓮華座に乗る像高70pほどの地蔵立像を厚肉彫りしたものである。柄の短い錫杖と宝珠を持つ。法性寺地蔵石仏は「正和3年(1314)」の紀年銘があり、鎌倉後期の像らしく、整った写実的な秀作である。
 下所地蔵石仏は法性寺地蔵石仏を手本にして作られたと思われ、法性寺地蔵石仏に比べるとのびやかさに欠けるが、可愛らしい石仏である。

 小松阿弥陀三尊磨崖仏は府道の横の崖の上にあり、磨崖仏に行く道はなく、草におおわれた崖をよじ登るしかない。高さ75p、横幅3mの岩面に舟形の彫り込みを3つつくり、像高27pの定印阿弥陀座像と中央の阿弥陀に体を向けた観音・勢至菩薩を厚肉彫りする。肉付けがよく、丸みのある彫りの童顔の顔は愛らしく魅力的である。
 打越阿弥陀三尊石仏は、高さ2.7m、幅約1mの自然石に舟形の彫り込みをつくり、像高70pの阿弥陀立像と顔を内側に向けた観音・勢至菩薩を厚肉彫りしたものである。4頭身のずんぐりした像容で、小松阿弥陀三尊磨崖仏とよく似た稚拙で素朴な表現の石仏である。「正平7年(1352)」の紀年銘があり、南北朝時代の作である。 

 北の谷磨崖仏は高さ30pほどの稚拙な表現の地蔵菩薩と不動明王の2体の磨崖仏である。室町後期の「天文17(1548)年」の紀年銘がある。

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