豊能町の多尊石仏

 豊能町には阿弥陀如来を中心に多数の僧形座像を彫った多尊石仏が7体見られる。僧形座像はほとんど合掌像で、この石仏を造った時の造立願主である結衆講員の逆修仏と思われる。すべてに紀年銘があり、永禄7(1564)年から天正8(1580)年の戦国時代末期から安土桃山時代の短期間につくられたものである。
 
 余野中所の十三仏が最も古く永禄7(1564)年の紀年銘がある。高さ1mあまりの自然石の表裏に浮彫りされていて、片面は錫杖を持った地蔵を中心に、反対側は阿弥陀如来?(宝冠をつけている。)を中心に合掌する僧形座像が表裏各19体彫られている。「十三仏」はこの地方の小字からきたもので、十三体彫られているわけではない。

 川尻北の谷多尊仏は左に観音菩薩・右に地蔵菩薩をしたがえた阿弥陀如来を中心に19体の合掌する僧形座像(供養像)を浮彫りする。天正8年(1580)の紀年銘がある。
 天正元年(1573)年の紀年銘のある川尻中の谷多尊石仏は上段に来迎阿弥陀三尊が彫られている。脇侍の手に蓮台を持つ観音と勢至菩薩は体を左に傾けていて、西方浄土より阿弥陀仏が往生する人を迎えにくる様子を表したものである。下段三段に、合掌供養像が16体彫られている。

 切畑西野多尊石仏は阿弥陀三尊と合掌供養像15体彫ったもので、天正3年(1575)の紀年銘と「為逆修」の文字が刻まれている。
 切畑大円下所多尊磨崖仏は高さ約2.5m、幅3mの磨崖岩面に舟形光背を有する阿弥陀像と、20体の合掌供養像と五輪塔を彫ったもので、天正2年(1574)の紀年と「為逆修」「為逆修檀」などの文字を刻む。豊能町には他に多尊石仏は磨崖仏1体、単独の石に彫られたものが1体ある。

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